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第4話

 狛は息を呑んで、その男を見つめていた。

 痩せ型で、黒いレザーパンツを履き、少しダボっとした大きめのTシャツの上には黒のジャケットを羽織っている。

 うっすらと顔立ちが解る程度の明るさしかない中でも、一際目立つ明るいオレンジ色の髪は短く切り揃えられ、キラリと金色に光る瞳の中心で、縦長の瞳孔が狛を射抜くように見据えていた。


 何より気になるのは、頭に生えている髪と同じ色をした猫の耳だ。そして、先程から狛の顔をくすぐるように動いているのは、モフモフとした尻尾だった。余りの事に声も出せず固まっていると、何かに気付いたように、男は言った。


「犬神の旦那…?いやでも、メスだよな?お前」


「え、えっ…」


 人を捕まえてメス呼ばわりとは、酷い言われようである。どう答えていいのか解らない。そもそも、この男は何者で、狛の何を知っているのか、犬神の旦那とは誰のことなのか。

 消化しきれない疑問が次々に浮かぶ中、傍で様子を伺っていたイツが男の方へ飛び出し、じゃれ始めた。


「おお?お前、イツか?!懐かしいなぁ!」


「イツを、知っているの…?」


「ああ、犬神の旦那と一緒にいたからなー。って、やっぱお前旦那じゃねーよな?知ってるか?犬神宗吾って人」


「い、犬神宗吾は私の、ひいひいお爺ちゃんの…えっと、高祖父、ですけど」


「高祖父?あー…まぁそうか、そうだよな。あれからもう150年くらい経つもんな。しかし、あの人にこんな子孫がいたとはねぇ」


 逆光でよく見えないが、どうも笑っているような口振りだ。

 よく見ると、狛の顔だけでなく、頭や身体にも尻尾が触れて、探っている。


「し、尻尾、が…三本?!」


「ん?ああ、違う違う、全部で六本だ、ほら」


 そう言うと男の背後から、さらに三本の尾が伸びてきて、するりと狛の身体を持ち上げた。尾の一本一本は、狛の腕ほどの太さをしていて、フカフカとした毛に覆われているが、その下にはしっかりとした筋肉が感じられる。

 温かくて肌触りはとても気持ちがいいが、この状況でそれを楽しむ余裕は、狛にはなかった。


「よし、大した怪我はないみたいだな。何でこんなとこにいるのか知らねぇが、さっさと帰んな」


 どうやら、さっきから尻尾で狛の身体を探っていたのは、怪我がないかを確認していたらしい。ゆっくりと狛を床に下ろしてその場に立たせると、尻尾は一つにまとまって、背後に消えた。


「何でって…そうだ、佐那姉!」


 その言葉で、今まで混乱したままでいた思考が、一つの方向に定まり、一気に視界がクリアになる。

 すぐに佐那が倒れていた方へ駆けよるが、どこにも佐那の姿はなかった。


「どうして?!佐那姉、どこ!」


「他にも誰かいたのか?…ああ、さっきどさくさ紛れに連れ去られたか」


 イツを頭に乗せたまま、すんすんと匂いを嗅ぐようにして、男が状況を察する。


「そんな、助けなきゃ!」


「おいおい待て待て!一人で行く気か?殺されかけてたの忘れたのかよ、お前」


「そんなの…解ってても助けなきゃ!大事な人なんです!」


 狛の必死の形相をみて、男は溜息をつきながら頭をボリボリとかいて言った。


「はぁ…しょーがねーなぁ、付き合ってやるよ。旦那の子孫を見殺しにしたんじゃ、寝覚めが悪すぎる」


「貴方、一体…」


 突然の申し出に、呆気にとられる狛を横目に、落ちていた懐中電灯を拾った男は、それを手渡しニッコリと笑って言った。


「俺は猫田吉光…見ての通り、猫又だ。犬神の旦那は昔の同僚でな、ずいぶんと世話になったもんさ。ま、よろしく頼むぜ」


 先を行く猫田の後に続きながら、狛はこれまでの経緯を話した。廊下の奥へ行くにしたがって、段々と建物が変質し、再び異界化の兆候が見えている。恐ろしい光景…のはずだが、すたすたと歩く猫田の後ろ姿、正確にはピコピコと動く猫耳と尻尾が視界に入ると、どうも緊張感が薄れてしまいそうだ。


(佐那姉、無事でいて…!)


 狛は余計な考えを振り払うように頭を振って、佐那の事を第一に考えることにする。そんな狛の気持ちを知ってか知らずか、猫田はのんびりとした態度で言った。


「心配すんな、お前さんの連れはたぶんまだ無事だ」


「え、どうして解るの?」


 狛の疑問を受けて、猫田はまた鼻をならして何かを確かめながら、振り返って言った。


「新しい血の匂いがしねぇ…ってのと、奴は俺達がまだここにいて、しかも近づいてきてるのを解ってるからさ。どんな奴も、飯を食う時ってのは無防備になるもんだからな。そこまで油断はしないだろうよ…ま、うかうかしてたら危ねーだろうが」


 飯を食う、とはつまりそういうことなのだろう、妖怪にとって人間はまさに食糧だった。先程のメス呼ばわりといい、見た目は人の姿をしていてもやはり人とは価値観が違うのだと、狛は少し猫田が恐ろしくなった。

 表情に出さなかったつもりだが、何かを察したのか、猫田は少しばつの悪そうな顔をして話を続ける。


「あー、すまん。気を悪くさせたか?人間と話すのは久しぶりだからな、何か言い方が悪かったか」


「いえ、そんなつもりじゃ…あ、でも、メスって言われたのはちょっとヤでした…」


「そうか、そうだな。人間は男と女…だったか、悪いな。そういや昔、犬神の旦那…宗吾さんにも同じような事言われた気がすんな」


 猫田は謝りながらも、懐かしそうに目を細めて何かを思い出しているようだ。まだどんなではないがなのかは判断できないが、高祖父との思い出を懐かしむその姿は好感が持てた。


「しかし、なんだな、さっき戦ってるのをちょっと見てたんだが、お前さん戦い方がまるでなってねーな。せっかく素質はいいモン持ってるのに、あれじゃあんな奴に後れを取るわけだぜ」


「猫田さんは、あの化け物を知ってるの?」


「ああ、ありゃあ手長だ。どっかの地方じゃ神として祀られてるらしいが、そんないいもんじゃない。ただの鬼よ。そうは言っても、お前さんみたいな素人に毛が生えた程度のペーペーじゃキツイ相手かもな。…妙なのは、あいつは大体、足長って別の鬼と一緒にいるもんなんだが、この感じからするとそっちはいなさそうなんだよな」


 どういうことだかなとボヤいて、再び前を向いて歩き出す猫田。狛も置いて行かれないよう後に続きながら、さっきからずっと気になっていた事を聞いてみる事にした。


「あの…宗吾お祖父さんと同僚だったって、本当なの?」


「うん?ああ、昔、明治の初め頃にな。俺と宗吾さんは【ささえ】っていう妖怪退治の集団にいたんだよ。他にも面子はいたが、俺はあの人の部下だったんだ」


「妖怪退治の…集団?そんな話、今まで聞いたことも…」


「ありゃ一応隠密の集団だったからなあ。そういや家族にも話すなって言ってた気がするな。妖怪の俺に家族もへったくれもあるかと思ってたが」


 笑いながらそう話す猫田に、そもそも、妖怪が妖怪退治の集団にいるなんて誰も予想していなかったんじゃ?と狛は心の中でツッコまざるを得なかった。


「まぁ短い時間だったが、あの頃は楽しかった。中には問答無用で俺を殺しに来る奴もいたけどよ」


「ちっとも楽しそうじゃないけど!?え、殺しにって、妖怪…だから?」


「いや、本人的にはただ遊んでくれって感じだったと思うぜ。どうも俺をデカい猫だと思ってるフシがあったからな。まぁ、人間じゃねーのは俺だけじゃなかったし、そういう差別みたいなのはなかったぞ」


「どういうことなの…」


 普通は大きな猫だからと殺そうとしたりしないと思うのだが、それを楽しかったと言う猫田も含めて、どうやら想像以上にぶっ飛んだ集団だったようだ。そんな所にいた犬神宗吾とは、一体どんな人物だったのだろう?興味が湧くと同時に、何だかあまり知りたくないなと、狛は複雑な思いを抱くのだった。


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