収穫祭の2日目が終了した夜。
本日最後の治療者を見送ったレティシアに、背後から声が掛かる。
「レティシアさん、お疲れさま」
振り向いた先には、げっそりとした顔のマルスが立っていた。
「お疲れさまです。薬草茶を淹れましょうか?」
「ありがとう。それを期待してきたんだ。もう、ヘトヘトだよ」
レティシアが差し出したいカップを受け取るやいなや、一気に飲み干したマルス。
「ああ、生き返る。昨日、今日と、僕のところにやってくるのは、冒険者ばっかりなんだ。魔獣にやられた古傷が痛むとか、毒虫に噛まれたとか……」
上級魔毒士であるマルスの元には、より症状の重い冒険者たちが回されてくるようで、魔力の消耗も激しいのだろう。
「ああ、明日は地方のギルドから冒険者たちが押し寄せてくるらしくて……今から泣きそうだよ」
マルスが愚痴るなか、
「なに泣き言いってんのよ。レティシアちゃんの方がもっと大変なんだから」
天幕があがり、アイリスとジオ・ゼアが顔をだした。
「そうそう、アンナに比べたら、キミなんて『かすり傷係』だ」
「わかってないな」
マルスは不満をあらわに反論する。
「レティシアさんは『癒者の聖印』持ちなんだよ。僕と比べてどうするんだ。彼女は片手を添えるだけで、四肢の欠損部位を再生したり、機能不全になった内臓の再構築をしたり……それがどんなにスゴイことか、攻撃系のキミたちには一生理解できないだろうな」
「まぁ、たしかに。聖印持ちと比べるのは申し訳なかったわ。でも、さすがよねぇ。オルガリアの聖女なんて呼ばれているし、ああ、本当に何度見てもキレイな髪ねえ」
蒼銀色の髪に触れようとしたアイリスの手に黒い影が巻き付き、強引に引き離された。
「勝手にさわらないでくれ」
「ちょっとぐらいいいじゃない。この嫉妬狂魔導士っ!」
「なんとでも。嫌なものはイヤなんだ。これは、数少ない僕の特権なんだから」
アイリスの目の前で、これ見よがしにレティシアの髪を手にとったジオ・ゼアは、うっとりと口付けを落とす。
「ムカつくぅぅぅぅ! だから、アンタとは任務に行きたくないのよ! ああ、いつになったら、レティシアちゃんとふたりで行けるようになるのかしら」
「それはないよ。アンナとふたりきりなんて……男女問わず、この僕が許すはずないだろ」
「まぁまぁ、ふたりともそこらへんで──」
アイリスとジオ・ゼアの
アイリス、マルス、ジオ・ゼア、レティシアと、いつもの顔ぶれでテーブルが囲まれ、会話をしながらお茶がはじまる。
ただそこに、上級魔剣士エディウスの姿はなかった。
レティシアが聖印を得てから2カ月後の或る日──
「国境治安部隊に志願した」
エディウスに告げられたのは、夏の終わりだった。
「急に、どうしてなの?」
「俺は……もっと強くならないといけないから」
理由らしい理由はそれだけで、それから1週間も経たないうちに、配属地となった北部方面治安隊に合流するため、エディウスは首都アシスを旅立って行った。
幼いころからずっと一緒だった幼馴染が遠く離れていき、レティシアの心にポッカリと大きな穴があいた。
「アイツがいなくなって、さびしい?」
ジオ・ゼアに訊かれ素直に頷くと、「アンナには、僕がいるでしょ」と指先で額をコツンとされた。
「あまり妬かせないでよ。まぁ、でも、アイツは悪い男ではないから、しばらくは目をつむるよ」
「エディは、幼馴染よ。これからもずっと」
あえて「幼馴染」を強調したのに、恋人になったばかりの魔導士は、複雑な表情を浮かべた。
「それはわかっているし、アンナことも、もちろん信じている。でも、あの赤髪は、僕と同じ匂いがするから油断ならない。同属嫌悪的なものかな」
「ジオ・ゼアとエディが似てる?」
いったいどこか。レティシアは首をかしげる。
「全然、似てないと思うけど。たしかに、ふたりとも馬鹿みたいに強いけど、エディは責任感が強くて仕事に真面目なタイプよ。寡黙で自分に厳しい人だから、少し近づきがたい印象はあるけれど、本当はとっても優しくて、騎士たちには信頼されているし人望もある。彼ほどの人格者をわたしは知らないわ」
レティシアが評するエディウスの人物像に、ジオ・ゼアの金色の目が一気に細くなった。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、馬鹿みたいな強さしか似ていない僕は、無責任なおしゃべり魔導士で、仕事に不真面目で魔導士たちからの信頼も人望もない欠格者、ってこと?」
「…………」
すっかり拗ねてしまったジオ・ゼアの機嫌をとるのは一苦労だった。
夏にエディウスを見送ってから、季節は早くも冬の訪れを待つ時期となっていた。
エディウスの旅立ちとほぼ同時に、特務機関での任務に復帰したレティシア。
目まぐるしい日々のおかげで、幼馴染のいない日常にもしだいに慣れていったが、ときおり燃えるような夕空を見上げたときは、やはり思い出してしまう。
『レティ』
強く優しい幼馴染は今、北の砦でどうしているだろうか。
天幕のなか。円型のテーブルを囲いながら、空席となった椅子を見つめる。
エディは帰ってくるだろうか。いつの日かまた、みんなで任務に行ける日がきますように──
そう願い、「さあ、明日も頑張ろう」と、レティシアは薬草茶に口をつけた。
皇宮から呼び出しを受けたのは、その翌日だった。