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第20話



 翌日――



「絶対安静!」という家族の猛反対を押し切り、レティシアは皇宮の最奥にある白亜宮を訪れていた。



 17歳にして、剛腕の腕輪をはめた母ローラの腕に抱かれるという、とてつもなく恥ずかしい条件付きあっても、ここを訪れたい理由があった。



 急な訪問にもかかわらず快く承諾し、白亜宮の前庭で出迎えてくれたのは、皇帝ユリウス・オブ・オルガリアをはじめとする皇室一家。



 皇帝ユリウスは「息子の命を救ってくれたこと、心より感謝する」とサイラスと同じ夏空を思わせる青い瞳を細め、歓迎してくれた。



 2カ月ぶりの再会に、レティシアの手をとった皇太子サイラスの目には、すでに光るものがあった。



「レティシア嬢……キミが目覚めてくれて本当に良かった。1日も早く、キミに感謝を伝えたかったんだ。あのとき、キミと精霊ヒギエアがいてくれなかったら、僕はいま、ここにはいない。命を救ってくれて、本当にありがとう」



「サイラス殿下、たくさんのお花をありがとうございます。殿下がお元気になられて良かったです。公務でお疲れではないですか? また、執務室に薬草茶をお持ちしますね」



「それは、すごく嬉しいな。レティシア嬢ならいつでも歓迎するよ」



 前庭から、聖樹のある後庭へ。そこでは、トライデン宰相とエディウス、そしてルーファスも待っていた。



 そうそうたる顔ぶれを前に緊張しながら、ようやく母ローラの腕から降ろしてもらったレティシアは、泉の畔にある老樹を見上げる。



 その紫の目が、「すごいわ」驚きに見開かれた。



 聖なる力を帯びた『生命の樹』は、6年前とは比べようもないほど樹皮に若々しさがあり、横に広がる見事な枝には銀色の葉が生い茂っていた。



 年老いた動物の目にしか見えなかった幹の中央にあるふたつの節。今はそこから瑞々しい聖力が溢れだしている。



 レティシアが『生命の樹』を訪れた理由。それは今まさに、ヒギエアが聖獣となって生まれようとしているからだ。



 昨日、風が運んできた銀葉といっしょに、主神アシドフィルスの声が届いた。





∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 



 聖印を抱く乙女よ



 汝の守護聖霊ヒギエアが待つ



 『生命の樹』の元へ



 聖蛇ヒュギエリアスが



 誕生するであろう



 汝に聖なる力を与えるであろう




∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 





 主神アシドフィルスのお告げに従い、訪れた白亜宮の後庭。



 『生命の樹』に右手をあてたレティシアには、ドクン、ドクン──鼓動のような波動が伝わってくる。



 波動と共鳴しているのは、レティシアの左胸の少し上、鎖骨の下あたりに刻まれた聖印だ。



 真新しい聖印の紋様は、



 【杯に巻き付く一匹の蛇】



 紫の光を帯びた紋様が、『生命の樹』から溢れる聖なる力と融合をはじめる。



 銀色の葉がまばゆい光を放ったとき、幹の落ち窪んだ節から顔をのぞかせたのは、金色に輝く1匹の蛇だった。



 聖なる蛇『ヒュギエリアス』の誕生。



 精霊ヒギエアが聖獣化した姿に、レティシアから笑みがこぼれる。



「迎えにきたわよ」



 赤い両眼はそのままに、金色に輝く聖蛇はスルスルと穴から抜け出してきて、レティシアの右腕に絡みついてきた。



 神々しい。



 そんな言葉がふさわしい姿になった聖蛇ヒュギエリアスは、レティシアの聖印にひんやりとした蛇頭を擦り付ける。



 その仕草は、聖獣化する前のヒギエアにそっくりで、輝く鱗をやさしく撫でながらレティシアは促した。



「ずいぶん小さくなっちゃったけど、可愛いわ。これからもヨロシクね。さあ、遠慮なくガブッと噛んじゃって」



 左胸の少し上にある聖印は、いまだ未完成。



 聖獣化した聖蛇ヒュギエリアスが聖気と霊力を注いで、はじめて真の聖力を得ることができるのだが、レティシアの肌に牙を刺すことを、幾度となくヒュギエリアスは躊躇っていた。



 こんな仕草も、ヒギエアのままだ。



「せっかく聖印を刻む試練に耐えたのに、このままじゃ、ただのお飾りだわ。わたしに、聖なる力をちょうだい」



  聖蛇の蛇頭がゆっくりと持ち上がり、縦長の瞳孔がレティシアの紫瞳を見上げた。しばし視線が交わり、ヒュギエリアスの蛇眼がふたたび聖印にむけられた直後、鋭い牙がたてられた。



 聖獣の聖気と霊力が流れ込んできたとき、『癒者の聖印』から鮮やかな輝きが放たれ、溢れる聖なる力が星雲のようにレティシアを包んだ。



 新たな『聖印持ち』の誕生に、天空から祝福の聖風が吹く。『生命の樹』から一斉に銀葉が舞い上がり、陽の光を反射させた無数の銀色の葉が、羽のようにゆっくり舞い落ちてくる幻想的な光景に、だれしもが目を奪われていた。



 聖風が吹きやみ、白亜宮の上空に青い空が戻ってきた。その場にいる者たちの視線が、ふたたびレティシアへと戻されたとき──だれしもが息をのんだ。



 一面の銀世界に佇むその姿に、すべての者が魅了される。



 『癒者の聖印』を持つ乙女は、美しい紫の瞳はそのままに、艶やかな紫髪は、清らかな聖水のごとき蒼銀となっていた。



 銀の聖樹を見上げるレティシアの耳には、このときアシドフィルスの声が届いていた。




∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 



聖印の乙女よ。


新たなる世界にて、


艱難かんなんなんじを、ぎょくにす。


汝に幸あれ。



∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 




 それで終われば良かったものの、祝福につづくアシドフィルスの言葉に、レティシアはヒュギエリアスと目を合わせた。



『聖印の乙女に告ぐ! 人生、山あり谷あり。玉磨かざれば光なし。我を敬え! 我を尊べ! 求めよ、さらば与えられん!』



 何を云いたいのか。意味不明なうえに、相変わらず偉そうな整腸成分の神に、溜息がもれる。



「しばらく無視しておこうね」



 金色の蛇頭をやさしく撫でながら、レティシアはアシドフィルスの声を遠ざけた。






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