重ねた唇から吐息に混じって、闇の魔力が流れこんでくる。
疲弊したレティシアの身体を労わるように、ゆっくりと。
相性が良いとはいえない「闇」と「光」の属性なのに、ジオ・ゼアから与えられる魔力は、どうしてこうも心地よいのだろうか。
ジオ・ゼアとのはじめてのキスは、ドキドキよりも安堵感が勝り、自然と笑みがこぼれてくる。
お返しにと、額と頬から血を流す魔導士に手を伸ばし、回復魔法をかけていると、
「どうしてそんなに余裕なのかな。僕は、これでもかっていうくらい、もっと抱きしめて、もっと深くキスしたいのを、必死に我慢してるっていうのに」
鼻先が触れ合う距離まで顔を引いたジオ・ゼアと目が合った。金色の瞳は、これまで目にしたことがないほどの熱を帯びている。
「だったら我慢しないで。もっと抱きしめて、もっとキスしてほしい」
「もう遠慮しなくていいってこと?」
返事をする間もなく、より深い口付けが与えらた。
「アンナ、もう離してあげられない。僕はキミを愛さずにはいられないから、もう何があってもそばに在りつづける。たぶん、僕からは逃げられないと思う。意味わかるかな? キミはとんでもなく厄介な男に執着されたってこと」
ジオ・ゼアの首に腕をまわして、何度も頷く。迷いはなかった。金色の瞳をまっすぐ見つめ返し、レティシアは告げた。
「貴方のことが、だれよりも愛しい」
使用人たちが戻ってきたのか、にわかに騒々しくなってきた屋敷内。そこに、聞き覚えのある激しい足音が聞こえてきた。
蕩けるような目をしていたジオ・ゼアが、舌打ちする。
「……思ったより早いな」
レティシアの身体を抱きしめたまま、頬ずりを繰り返しながら不満を口にした。
「本当は誰にも触らせたくないんだよ。他の男も女も、アンナの家族でさえも。でも、あの将軍閣下が、いまにも死にそうな顔で毎日泣いていたのを知っているから、少しは譲歩するよ。少しだけね」
直後、「アンナマリー! アンナマリー!」名前を呼ぶ声がどんどん近づきて、予想どおりに扉を蹴破って現れたのは、もう何日寝ていないのか、というくらい酷い顔色をした父ゼキウスだった。
「父さまが帰ってきたぞ! もう大丈夫だ、何があっても父さまが護ってやるからな……アンナマ……リ、目覚めたのか……」
レティシアの目が追いつかない速さで寝台に走り寄ると、闇の魔導士をポイッとうしろに捨てる。
「ああ、アンナマリー、目を醒まして……良かった。本当に良かった」
「父さま、心配かけてゴメンなさい」
「いいんだ。いいんだ。元気になってくれたら、それでいいんだ」
感極まった父ゼキウスが、愛娘を抱きしめようと丸太のような両腕を広げたときだった。ゼエゼエしながら駆け込んできた母ローラによって、襟首を掴まえられた。
「大きい声を出すなと、あれほど云ったのに! いったい何枚、レティの部屋の扉を壊す気なのっ!」
輝く剛腕の腕輪。
「レティは絶対安静よ! しばらく近づくんじゃないわよ。これは領主命令よ!」
無敵の将軍は小石のように、バルコニーから外に放り投げられた。
ローラから遅れることさらに数分後。兄ロイズも屋敷に戻り、目覚めたレティシアの手を握り泣き崩れる。
「レティ、いいかい。金輪際、金髪ヘタレ野郎のために、命をかけるようなマネなんて、何があってもしてはいけないよ。皇太子の代わりなんていくらでもいるけど、僕の可愛い妹は、たったひとり。レティだけなんだから、いいね、絶対だよ」
敬意の欠片もない切々とした訴えは、レティシアが頷くまでつづいた。
その日、2カ月ぶりに笑い声が響いたスペンサー家。
レティシアの部屋にあるバルコニーには、初夏の爽やかな風にのって、魔力を帯びた銀色の葉が運ばれてきた。