「アンナ!」
咄嗟に伸ばしたジオ・ゼアの手が、光に跳ね返される。
わずかに触れた光から、とてつもない魔力の波動を感じとったジオ・ゼアは、ローラの腕を引き寝台から後退した。
「危険です。僕の背中より前には、絶対に出ないでください」
いつになく真剣な表情の魔導士に、ローラの不安は高まっていく。
「いったい何が起きているの? レティは?」
「アンナの体内から尋常ではない魔力が放出されています。聖印が現れる予兆かもしれない」
「聖印ですって? レティはまだ17歳なのよ?!」
「年齢は関係ありません。ただ……」
「なんなの? 答えて!」
「アンナは意識がありません。このままだと魔力が制御できず、暴走します」
「止められないの?」
「無理です。僕の時と同じなら、身体に聖印が刻まれるまで、魔力の放出はつづきます」
その言葉どおり、制御不能となった魔力がレティシアから溢れ出していた。闇の魔力が、暴走する光の魔力を包む。
「ローラ様は使用人たちを一時退避させてください。それから、ゼキウス将軍に報せを。アンナに何かあったとき、大地の聖印を持つ将軍がいれば安心です。僕はここで、魔力の暴走を食い止めます。
「わかったわ。レティを頼んだわよ」
「命にかえても」
ローラが部屋を飛び出していくと同時に、ジオ・ゼアは聖獣を呼び出した。
右耳にしている黒曜石の耳飾りが姿を変え、
「アルタイラス、僕の防御はいい。暴走する光の魔力から、この屋敷を護ってくれ」
防御魔法を構成できないジオ・ゼアにとって、守護聖獣アルタイラスの加護は不可欠だ。
しかし、何もしなければ、圧縮された光の魔力に耐えかね、屋敷はいずれ崩壊するだろう。
「アンナが目覚めたとき、悲しむ姿は見たくないからね」
ローラの指示により、使用人たちが屋敷から退避していく。
「さてと、親バカ将軍がくるまで、あと30分ってところかな。それにしても──」
高位精霊の加護を受け、類まれな才能を持つレティシアなら、いずれ聖印を得るだろうとは思っていたが、まさかこのタイミングで覚醒がはじまるとは……
「アンナは本当に、僕の寿命を縮める天才だね」
暴走する光の魔力を外側から制御し、かつレティシアを絶対に傷つけることがないように、
「
ジオ・ゼアは極限まで精度を高めた闇魔法で、光の魔力を吸収、分散、相殺していく。
闇と光が拮抗するなか、わずかに相殺できなかった光は闇を突き抜け、光刃となってジオ・ゼアの身体を傷つけていくが、まったく気にならなかった。
それよりも、あまりに眩い光の彼方に、レティシアが消えていってしまいそうで、それがジオ・ゼアの不安と焦燥を駆り立てる。
目の前にいるはずなのに、彼女が見えなくなっていく。
それが、これほどまでに恐怖を覚えるものだとは……
「特級魔導士になったとき、もう怖いものなんて何もないと思ったのにな」
まったく違った。何も知らないだけだった。
自分の中に生まれたはじめての感情に気づいたときから、ジオ・ゼアは翻弄されつづけていた。
「僕は、けっこう寂しがり屋なんだ。キミの姿が見えないだけで泣きそうになる」
九つも年下の少女に抱く気持ちは興味からすぐに好意にかわり、深い愛情を自覚したときには、庇護欲は執着になり、隠し切れない独占欲にまみれていた。
絶対に手放せない。僕以外の誰にも渡さない。触れさせない。
美しい紫瞳に見つめられながら、あの心地良い声で、
『ジオ・ゼア』
また名前を呼んでもらえるなら、自分が傷つくことなど造作もない。
ひときわ眩い閃光がジオ・ゼアに迫ってきた。
「いまさらだけど、気づいたよ。僕という存在は、アンナのために生まれてきた──うん。これが、いちばんしっくりくるな」
夜の静けさのようなジオ・ゼアの闇の魔力が、無数の光刃を優しく抱きしめた。
◇ ◇ ◇ ◇
左胸を突き上げられる衝撃を受け、意識が遠のくのを感じたレティシアは、いよいよもって2度目の死を覚悟した──が、終焉のときをむかえることはなかった。
すべての痛みから解放されとき、夜の帷の静けさに全身を包まれていた。
深い闇のなかにあっても、少しの恐怖も感じない。それどころか、この世のすべてから護られているような感覚。
この魔力には、覚えがあった。
ユラユラと浮遊しながら、気に入った菓子を頬張る姿を思い出す。
やわらかな毛布にくるまり、こちらがドキリとする気だるげな表情で「お嬢さん」と呼んでくる闇の魔導士。
聖印を刻むため、2度目の死を覚悟したせいなのか。それとも、深い闇の魔力に包まれているからなのか。
逢いたい──いま、無性に逢いたくなった。
死を覚悟したとき、何よりも後悔したのは、彼に気持ちを伝えなかったことだから。もう一度、巡り逢えたなら、今度こそ伝えたい。
金色の瞳を持つ彼に──
「ジオ・ゼア」
「アンナ」
聞き覚えのある声に反応したレティシアの瞼が上がっていく。
眩しい、と細めた目には、金色の瞳と漆黒の髪がみえた。
「アンナの瞳に、僕が映っている。ああ、良かった」
記憶よりも少し痩せた魔導士は、頬と額から血を流していた。
「血が……どうして」
「ああ、気にしないで」
泣き笑いのような顔をしたジオ・ゼアが、優しくレティシアの頬を包んだ。
「名前を呼んでくれて、ありがとう。目を醒ましてくれて、ありがとう」
金色の瞳から、一筋の涙が流れたとき。
「ただ、ひたすらにキミを──愛している」
やさしく唇が重ねられた。