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花と緑に溢れたスペンサー家の
屋敷の主は『オルガリアの華』と名高い女侯爵で、その夫は元S級冒険者にして『大地の聖印』を持つ、英雄将軍。
次期侯爵である息子も将来有望で、近頃、養子縁組したのは『闇の聖印』を持つオルガリア最強の特級魔導士である。
まさに、飛ぶ鳥落とす勢いのスペンサー家が、光を失ったかのように静まり返って早2カ月が過ぎようとしていた。
広い屋敷の南側、陽当たりのいいバルコニーの窓が開けられた。
ジオ・ゼアの黒髪が風になびく。
「今日も天気がいいよ。風向きが変わったのがわかる? アンナ、もう初夏だよ。最高に気持ちがいい季節だ」
寝台のそばにある椅子に腰かけた魔導士は、ピクリとも動かないレティシアの白い手を持ち上げ、自分の額に運んだ。
「アンナはまだ夢の中だっていうのに、あの金髪はすぐに目を醒まして……」
闇の魔力をそそぎながら、眉を寄せて愚痴る。
「おとなしく皇宮に入ればいいのに、3日に1度は大量の花を抱えてやってくるんだ。本当に、ウザイよ」
レティシアの部屋は、濃淡のある紫の花で溢れていた。
「でも、この花はキレイだね。アンナの髪と瞳と同じ色だ」
「ジオ・ゼア、もうそのくらいで十分よ」
背後から声をかけられ、振り向いたジオ・ゼアは首を振る。
「まだ足りませんよ、ローラ様。アンナが目を醒ましたとき、肌が荒れていたら可哀相だ」
「そんなわけないでしょう。聖印持ちふたりが、日に何度も魔力を流しつづけるせいで、レティの髪も肌もピカピカよ」
ジオ・ゼアの肩に手を添えたローラは、愛娘の顔を覗き込む。
「ありがとう。レティが今も息をしているのは、ふたりのおかげよ」
皇太子サイラスの命を救うため、トラキア国で魔力の枯渇に陥ったレティシアは、あれからずっと眠りつづけていた。
特化魔法の使い手にとって、魔力の枯渇は体内の血をすべて失うことに等しい。すなわち死に直結していた。
レティシアの魔力が底をついたあの日。
胸騒ぎを覚えたジオ・ゼアが、客室に駆け込んだときには、エディウス、アイリス、マルスの3人が、必死に自分たちの魔力をレティシアに与えている状態だった。
最悪の状況に、
「嘘だろ……」
ジオ・ゼアは血の気が引いた。
仄暗い闇のなかを彷徨いつづけ、やっと出会えた光なのに──
「イヤだ。そんな運命……僕は耐えられない」
オルガリアへ戻るまでの3日間。
ジオ・ゼアは自身が持つ最高濃度の魔力を注ぎつづけ、レティシアの命をつなぎ止めていた。
「アンナ、死なないで……僕の魔力を全部あげる。僕が死んでキミが助かるならそれでいい。もしダメでも、キミといっしょに死ねるなら、それも悪くないかな」
首都アシスに戻っても、意識のないレティシアを絶対に離そうとしないジオ・ゼアを気絶させたのは、ゼキウスだった。
「認めてやる。アンナマリーの命をつないだのは、たしかにオマエだ。光と相性の悪い闇使いのくせに、よくここまで保ったな。あとはまかせろ」
大地の聖印が輝き、生命力に溢れた魔力が全身全霊で愛娘にそそがれはじめた。
レティシアの魔力が安定したのは、それから1週間後。
頬に赤みがもどり、息づかいもおだやかになった。
あとは目覚めるだけだと、だれもが安堵していたのだが……
2週間がすぎ、1か月が経っても、レティシアは目覚めなかった。
人形のように眠りつづけるレティシアに、日々、食事代わりとなる魔力を注いでいるのは、オルガリアが誇るふたりの聖印持ち。
「アンナ、僕の魔力をたくさん食べて。できれば、僕だけの魔力でキミを満たしたい」
「そんなマズイ闇の魔力よりも、父さんの大地の魔力の方が断然美味しいぞ。栄養満点だ!」
「あのさぁ、どんだけ無駄に魔力が余ってるか知らないけど、少しは加減して注いでよ。アンナの綺麗な髪が緑色になったらイヤなんだけど」
「なんだとっ! それをいうなら、オマエみたいな闇色の髪になったらどうするんだ!」
「ああ、それはいいね。アンナとおそろい……」
「ふざけるなあっ!」
別邸に響くのは、ゼキウスとジオ・ゼアの云い争う声ばかりで、或る日、聞くに堪えかねたローラによって、ふたりとも庭に放り出された。
「うるさいっ! ふたりとも同時に魔力を与え過ぎよ! 食べ合わせが悪くて、レティによくないわ!」
それ以来、ゼキウスとジオ・ゼアは交互に魔力を注ぐようになったのである。
供給過多になりがちな『聖印持ち』ふたりに目を光らせるのは、ローラとロイズの役目となっている。
そうしてレティシアが眠りつづけて2ヶ月あまり。
初夏の風が吹き込むその日も、いつものように必要以上に魔力を供給しようとするジオ・ゼアにローラが小言を云いかけたときだった。
「レティが息をしているのは、ふたりのおかげよ。でも、今日はそれくらいにして──」
強い風が、窓から吹き込んだ。
レースのカーテンが大きく揺れ動き、部屋に飾られた100本以上の紫の花が左右に揺れると、花びらが風に乗って、まるでレティシアを取り囲むように一斉に舞い広がった。
不自然な動きをする花びらにジオ・ゼアとローラが気を取られた瞬間──
寝台は紫の閃光に包まれた。