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第7話



 磯の香りがする。



 オルガリア皇国には、遥か昔から語り継がれる物語があった。



 大陸の勢力図が変化する前。オルガリアが大国の属国でしかなかったころ。美しい人間の少女に恋した人魚マーマンがいた。



 魔力を持たない少女に自身の魔力を与え、愛を告げた人魚マーマンだったが、異形の人魚を恐れる少女に受け入れられることはなかった。



 月日が流れ、水の魔力を持つ少女は、オルガリア皇国の初代女王として君臨したが、徐々に魔力は衰えていき、或る日の夜、海に向かって人魚マーマンを呼んだ。



「やっぱり貴方を愛しているわ」



 魔力欲しさに嘘をつく女王に、人魚マーマンが愛したかつての少女の面影はなかった。



『さようなら』



 涙を流し、大海原に消えていった人魚マーマン。砂浜には、涙の結晶である『蒼海の守護石』が残されていたという。



 伝説の人魚マーマンの想いが宿る魔石は、オルガリア皇国の皇族たちに代々受け継がれ、女王の血族の血が流れたとき、精霊となって姿を現すという。



 サイラスの危機に姿を現した人魚マーマンのそばに膝をつき、レティシアがそっと手を取った。指先から手首、剥き出しになった肩にかけて、皮膚は青紫の斑状に変色していた。



 なんて無茶をするのかしら。



 この精霊が、サイラスが受けた猛毒の半分以上を吸収したうえで、水の魔力を行使していたのはあきらかだった。



 全身麻痺になりながらも、3時間以上もサイラスが持ちこたえているのは、この人魚マーマンの献身があればこそだ。



 たとえ愛されなくても、愛した人の子孫を護りつづける。なんて健気な人魚マーマンだろうか。



 人魚マーマンの頭を膝に乗せたレティシアは、青く美しい髪を優しく撫でた。



「それはちょっと、妬けるんだけどな」



 勢いをなくした背の低い水柱を椅子がわりに、片足を膝に乗せたふくれっ面のジオ・ゼアが、人魚マーマンを指差す。



 そんなことを云っている場合ではない。王城を護っていた水流が消えかけ、ふたたび魔獣が城壁に近づきつつあった。



「わたしが人魚マーマンを解毒する間、魔獣の群れから城を護って、ジオ・ゼア、お願い」



 水柱に座ったまま、視線を外に向けた闇の魔導士は、城壁を囲う魔獣の群れを見下ろすと両眼を細めた。



「それはまた、骨が折れるお願いだなぁ」



 そんなことを云いながら、ふたたびレティシアに向けられた金色の瞳は、なぜか逸らすように伏せられる。



「ねえ、お嬢さん」



「何?」



人魚マーマンは、皇族の血を引き換えに願いを叶えるよね。でも僕は……お嬢さんが傷つくのが一番嫌だから、血なんかいらないよ」



 ゆっくり話している暇はなかったが、妙な緊張感を漂わせはじめたジオ・ゼアを遮ってはいけないような気がした。



「そこの人魚マーマンは愛されなかったけど……僕がこの城を魔獣から護ったら──」



 伏せられていた顔があがる。



「アンナは、僕を愛してくれる?」



 金の瞳には、溢れるほどの願いが込められていた。




 ──アンナ




 前世と現世に通じる、その名で呼ばれるのは、久しぶりだ。



 義兄妹になったとはいえ、ジオ・ゼアが云う「愛してくれる?」が、家族的な意味合いでないことくらい理解できる。



 そして、レティシアの答えが「愛する」でも「愛さない」であっても、結局のところジオ・ゼアは、王城を護ってくれるだろう、ということもわかっていた。



 だからこそ──



「わたしは魔毒士よ。目の前には毒に侵された人魚マーマンがいて、これが終わったら全身麻痺のサイラス殿下を助けないといけない」



 残念ながら、言葉を選んでいる余裕はなかった。

 今は──しなければならいことがあまりに多すぎる。



「だから答えられない。こんな状況で云われても無理よ。だって、ジオ・ゼアのことだけを考えられるときにしか、その答えはだせないもの」



 想像以上に冷たい口調になってしまったが、ジオ・ゼアは気を悪くした様子もなく、「うーん、そっかぁ」と口元を片手で覆いながら、どうやら照れているらしく、チラチラと視線を彷徨わせた。



「それはさあ、つまりアンナが僕のことを、ことさら真剣に考えている──ってことだよね。だって、片手間には返事したくないってことでしょ。たしかに、今は少し慌ただしいからね。そうか、僕のことだけを考えて……そうか。そうか」



 なんだか、とても都合の良い解釈をしているような気がして釘をさす。



「あの、でもまだ、何も考えてないの。だから、これが終わったら少し時間をちょうだい」



「わかってる、わかってる」とジオ・ゼアは、空いている方の手を大きく振る。



「時間なんていくらでもあげる。ただ、ちょっと嬉しくて……その、告白まがいなことをしておいてアレなんだけど。正直、貴族の御令嬢に相手にしてもらえるなんて、さすがの僕も思っていなくて。あ、べつに貴族の令嬢が好きっていうワケじゃないよ。どっちかっていうと嫌いな部類なんだけど」



 こんなときに、ニヤけだした特級魔魔導士は饒舌だった。



「でも、好きになった人が、たまたま侯爵令嬢だったワケで。アンナになら、下僕として愛されてもいいかなぁ、なんて思っていたくらいだから、まさか対等に……真剣に考えてくれるなんて思っていなくて、ああ、どうしよう」



 レティシアが止める間もなく、ひとり勝手にまくしたてたジオ・ゼアは、



「くそっ、魔力が暴走しそう」



 けっこう危ういことまで云いだした。








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