磯の香りがする。
オルガリア皇国には、遥か昔から語り継がれる物語があった。
大陸の勢力図が変化する前。オルガリアが大国の属国でしかなかったころ。美しい人間の少女に恋した
魔力を持たない少女に自身の魔力を与え、愛を告げた
月日が流れ、水の魔力を持つ少女は、オルガリア皇国の初代女王として君臨したが、徐々に魔力は衰えていき、或る日の夜、海に向かって
「やっぱり貴方を愛しているわ」
魔力欲しさに嘘をつく女王に、
『さようなら』
涙を流し、大海原に消えていった
伝説の
サイラスの危機に姿を現した
なんて無茶をするのかしら。
この精霊が、サイラスが受けた猛毒の半分以上を吸収したうえで、水の魔力を行使していたのはあきらかだった。
全身麻痺になりながらも、3時間以上もサイラスが持ちこたえているのは、この
たとえ愛されなくても、愛した人の子孫を護りつづける。なんて健気な
「それはちょっと、妬けるんだけどな」
勢いをなくした背の低い水柱を椅子がわりに、片足を膝に乗せたふくれっ面のジオ・ゼアが、
そんなことを云っている場合ではない。王城を護っていた水流が消えかけ、ふたたび魔獣が城壁に近づきつつあった。
「わたしが
水柱に座ったまま、視線を外に向けた闇の魔導士は、城壁を囲う魔獣の群れを見下ろすと両眼を細めた。
「それはまた、骨が折れるお願いだなぁ」
そんなことを云いながら、ふたたびレティシアに向けられた金色の瞳は、なぜか逸らすように伏せられる。
「ねえ、お嬢さん」
「何?」
「
ゆっくり話している暇はなかったが、妙な緊張感を漂わせはじめたジオ・ゼアを遮ってはいけないような気がした。
「そこの
伏せられていた顔があがる。
「アンナは、僕を愛してくれる?」
金の瞳には、溢れるほどの願いが込められていた。
──アンナ
前世と現世に通じる、その名で呼ばれるのは、久しぶりだ。
義兄妹になったとはいえ、ジオ・ゼアが云う「愛してくれる?」が、家族的な意味合いでないことくらい理解できる。
そして、レティシアの答えが「愛する」でも「愛さない」であっても、結局のところジオ・ゼアは、王城を護ってくれるだろう、ということもわかっていた。
だからこそ──
「わたしは魔毒士よ。目の前には毒に侵された
残念ながら、言葉を選んでいる余裕はなかった。
今は──しなければならいことがあまりに多すぎる。
「だから答えられない。こんな状況で云われても無理よ。だって、ジオ・ゼアのことだけを考えられるときにしか、その答えはだせないもの」
想像以上に冷たい口調になってしまったが、ジオ・ゼアは気を悪くした様子もなく、「うーん、そっかぁ」と口元を片手で覆いながら、どうやら照れているらしく、チラチラと視線を彷徨わせた。
「それはさあ、つまりアンナが僕のことを、ことさら真剣に考えている──ってことだよね。だって、片手間には返事したくないってことでしょ。たしかに、今は少し慌ただしいからね。そうか、僕のことだけを考えて……そうか。そうか」
なんだか、とても都合の良い解釈をしているような気がして釘をさす。
「あの、でもまだ、何も考えてないの。だから、これが終わったら少し時間をちょうだい」
「わかってる、わかってる」とジオ・ゼアは、空いている方の手を大きく振る。
「時間なんていくらでもあげる。ただ、ちょっと嬉しくて……その、告白まがいなことをしておいてアレなんだけど。正直、貴族の御令嬢に相手にしてもらえるなんて、さすがの僕も思っていなくて。あ、べつに貴族の令嬢が好きっていうワケじゃないよ。どっちかっていうと嫌いな部類なんだけど」
こんなときに、ニヤけだした特級魔魔導士は饒舌だった。
「でも、好きになった人が、たまたま侯爵令嬢だったワケで。アンナになら、下僕として愛されてもいいかなぁ、なんて思っていたくらいだから、まさか対等に……真剣に考えてくれるなんて思っていなくて、ああ、どうしよう」
レティシアが止める間もなく、ひとり勝手にまくしたてたジオ・ゼアは、
「くそっ、魔力が暴走しそう」
けっこう危ういことまで云いだした。