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第6話



 トラキア国は、国境付近から広がる針葉樹の森と断崖絶壁の海に囲まれている。



 森を背にした王城には城壁が築かれ、外敵の侵入を阻む城砦構造となっているが、群れとなった魔獣の襲来は想定していなかった。



 驚くべき跳躍力を持つ四足型の魔獣や、壁を這う多足系の魔獣にとって、対人用に建築された高さ3メートルの城壁など、さほど障害にはならない。



 城砦を突破され、魔獣の群れが城下町を襲えば、甚大な被害が及ぶのは、誰の目にもあきらかだった。



 しかし今、大広間を襲った魔獣の群れは、人魚マーマンが起こした大波によって城外に押し流され、城壁よりさらに高い位置から滝のように流れ落ちる水流によって城内への侵入を阻まれている──が、その水流の勢いが、急激に弱まってきていた。



 王城の上空で水を操る人魚マーマンを目にしたレティシアは、精霊の異変に即座に気が付いた。



 これ以上は、絶対にダメ!



 後先考えている暇はなかった。



 次の瞬間、速度をあげる荷馬車から身を躍らせ「ジオ・ゼア! 前に乗せて!」併走する馬に飛び乗るべく、身を躍らせる。



「レ、レティシア嬢!」



「危ない!」



「おいっ! 嘘だろ!」



 あまりに危険な行為に、ルーファスをはじめ荷馬車に乗る面々が一斉に手を伸ばしたが、だれよりも肝を冷やしたのはジオ・ゼアだった。



 目の前に飛び込んできたレティシアを、無我夢中で掻き抱く。



「……お、お嬢さん、僕を殺す気? マジで心臓が止まりかけたんだけど」



 それは、申し訳ない──と思いつつ、謝っている暇はなかった。



「皆さんは、このままサイラス殿下の元に向かってください!」



 そうだ、忘れていた。



 レティシアは懐から、薄紫色の液体が入った小瓶を取り出し、「これを、殿下に!」とマルスへと投げ渡す。



「うわッ!」



 飛んできた小瓶を手の中で弾ませながら、なんとか受取ったマルス。



「これは?!」



「治験段階ですが、神経系の自然毒に効く解毒剤です。症状の緩和には役立つかと!」



「レティシア嬢! 貴女は来ないのか?!」



 魔毒士であり上級回復士ハイヒーラーでもあるレティシアを頼りにしていたルーファスが、非難がましい目を向けてきたが、一切の迷いなくレティシアは云い放つ。



「最優先するのは、あの精霊の解毒です!」



 馬に飛び乗ったレティシアは、上空にいる人魚マーマンから目を逸らさず云った。



「ジオ・ゼア、このまま飛んで!」



「えっ?! お嬢さんとふたりで?」



「ちがう、馬ごとよっ!」



「ええ~っ! それはちょっと骨が折れるなぁ」



 面倒そうな声に、顔を後ろに逸らしたレティシアは、逆さまになった黒衣の魔導士を見つめる。



「できないなら降りてもいいのよ、特級魔導士さん。軽くなったら、わたしでもヤレそうだから。とにかく1秒でも早く人魚マーマンの元にいきたいの」



 紫の瞳が挑戦的な光を帯びて、金の瞳を見上げたとき、闇の魔力が一気に膨れあがった。



「いいね、お嬢さんに睨まれるとゾクゾクする。じゃあ、そろそろ本気だしちゃおうかなぁ」



 急激に身体が傾くのを感じ、レティシアは視線を前を戻した。



「…………」



 何が起きているのかを理解したとき、後ろで手綱を引くジオ・ゼアの実力を改めて知ることになった。



 ちょっと挑発しただけなのに……



『闇の聖印』を持つ、特級魔導士の本気は想像以上だった。



 てっきり浮遊魔法で、王城のてっぺんにいる人魚マーマンのそばまで行くと思っていたレティシア。



 浮遊魔法は対象が大きく、重量があるほど、ゆっくり上昇する魔法なので、人を乗せた馬ごととなると、どうしたって時間はかかってしまう。



 しかし視線の先には、漆黒の階段が現れていた。そこをレティシアとジオ・ゼアを乗せた馬が、速度を落とすことなく一気に駆け上がっていく。



 この方法ならばたしかに、最短距離で最短時間だ。でも、こんなやり方は誰も思いつかないだろう。



 天にも届く勢いの階段を瞬時に形成、維持し、加えてこれだけの重量を支える並行魔法なんて規格外だ。



 凄い──



 しかし、人魚マーマンの周囲には弱くなったとはいえ、まだ大量の水流が取り囲み、さすがにそこを駆け上がるのは無理に思えたときだった。



「お嬢さん、行くよ。しっかり掴まって」



 またしてもジオ・ゼアが、規格外の魔法を使う。



漆黒ダーク・天馬ペガサス



 もう何度、考えを改めさせられたらいいのか。



 新たな魔法がジオ・ゼアから発動されたと思ったときには、軍馬に漆黒の翼が生えていた。



 両翼を与えられた黒毛の天馬ペガサスが階段を勢いよく蹴り、大空へと飛び立つ。



 すぐさま上昇気流を捉えると旋回しながら、水流の壁を駆け上がりはじめた。



「あっ、いたね」



 勢いをなくした水柱を飛び越えたとき、ジオ・ゼアとレティシアは、水面の上で横たわる人魚マーマンを見つけた。



「降りてもいい?」



 一刻も早くそばに行きたいレティシアに、



「ちょっと待ってよ。全部固めてしまうとあの精霊は死んでしまうから、あそこだけ凝固魔法をかけてと……はい、どうぞ」



 水面に闇の魔力を流し込んだジオ・ゼア。



 波打っていた水面が鏡のようになり、レティシアは足をつくことができた。






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