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第5話



 シモーネを怒らせ、予想通りの展開になったルーファスは、



「そうそう、そうこなければ、浅はかな貴女らしくない」



 ニヤリと笑ったあと勢いよく振り向いて、背後にいたサイラスを強く突き飛ばした。



 いつもは敬意の欠片もない側近が、こういうときだけ、



「殿下、申し訳ありません。わたしの失態です。どうか、できるだけ遠くに!」



 自分の命を顧みることなく、身を挺して庇おうとしてくる。



 こんなことだろうとは、思ったけど──



 突き飛ばされるフリをしながら、サイラスは溜息を吐いた。



 ルーファスとは長い付き合いだけど、まだまだ僕のことを理解しきれていない。



 懐に忍ばせていた短剣を、サイラスは勢いよく抜く。歴代のオルガリア皇太子に受け継がれてきた『蒼海の守護石』が煌めいた。



 柄に埋め込まれている紺碧色の魔石に、サイラスは持てる限りの水魔法を流し込んだ。



 特化魔法の使い手たちと比べたら、ごくわずかな魔力量でしかない。しかし、オルガリアの主神アシドフィルスの『左目』ともいわれる聖なる守護石は、水流の渦をつくり、魔獣の牙からルーファスを護った。



 渦の中心でルーファスが叫んでいた。



「馬鹿かっ! 王が臣下を護ってどうする!」



 口の悪さが、すっかり戻ってきたようだ。



 12歳のときに起きた皇太子襲撃事件以降。ルーファスはもちろんのこと、歴代の教育係からも、よくたしなめられていた。



「殿下、有事の際、上に立つ者は他者の犠牲を恐れてはいけません。その為に護衛がいて、側仕えがいるのです。臣下の替えは聞きますが、皇帝は唯一無二です。オルガリア皇家の血筋を絶やしてはなりません」



 それはそうかもしれないが、目の前で傷ついていく者を尻目に、自分だけ逃げることはできないと反論すると、だれもが口を揃えて云った。



「そんな大層な綺麗事は、聖印持ちか、或いは特化魔法の使い手にでもなってから云ってください」



 それを云われたら、口を閉じざるを得ない。



 しかし、納得できないまま今日の日を迎えたことに、サイラスは内心ほくそ笑んでいた。



 ほら見ろ、頭ごなしに「皇帝たる者~」と押しつけるから、こういうことになるんだ。



 僕は1度だって、自分のため行使される他者の自己犠牲を「わかった」と、肯定した覚えはない。




 渦となった水流が、ルーファスを護っていることにホッとしたとき、サイラスの脇腹と肩に、鋭い痛みが走る。



「殿下あああぁぁぁ!!」



 ルーファスの悲痛な叫びが広間に響いた。



 ああ、想像以上に痛いなコレは……



 しかし2頭の魔獣に喰らいつかれたというのに、短剣を落とすことなく、サイラスはすぐに次の行動に移る。



 狙いどおりだ。噛まれた肩から、ちょうど手首に向かって流れてきた鮮血。聖なる守護石に自分の血をしたたらせると短剣が発光し、姿を変えていく。



 凪いだ浜辺に潮騒が聞こえたような気がした。



「青の……人魚マーマン



 海色マリンブルーの長い髪と尾を持つ人魚マーマンは、魔力に乏しい自分には、不相応な高位精霊だ。



 サイラスは生まれてはじめて、守護精霊に願いを告げた。



「頼む、魔獣から……人々を護ってくれ」



 残念ながら意識を保っていられたのは、そこまで。



 目の前が一気に暗転し、サイラスは膝から崩れ落ちた。





  ◇  ◇  ◇  ◇





 王城へと急ぐ馬車で、ルーファスの話を聞いたマルスは訊ねた。



「それで、殿下の容態は?」



 苦痛に顔を歪めるルーファス。



「噛まれた部位の皮膚が青紫に変色して……血が止まらない。少量だがずっと流れつづけているんだ。呼吸が弱くて意識もない」



「どれくらい時間が経っている」



「襲われてから、ここに至るまで……およそ2時間半は経過している。トラキア城に着く頃には、およそ3時間は経過するはずだ」



「何か処置はしているのか?」



 首を横に振り、ルーファスは声を震わせる。



「トラキアに、魔獣に詳しい医術者はいない。まともな回復士ヒーラーすらいないんだ。そんなとき、キミたちが任務でノースフォークにいることを思い出して……」



 状況は最悪だった。



 サイラスの症状が、なんらかの神経系中毒症状であることは、レティシアもマルスも気がついていたが、時間の経過を考えるとすでに全身に毒が回っているだろう。



 トラキア国に入り、王城が見えてきたところで、ジオ・ゼアが馬を寄せてきた。



「お嬢さん、どうやら魔獣の群れが近い」



「群れ?!」



「ああ、おそらくシモーネが操っているんだろうけど、さすがにあの精霊だけじゃ護りきれないね」



 王城の真上を指差すジオ・ゼア。



 そこには、今にも力尽きそうな人魚の精霊がいた。








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