シモーネを怒らせ、予想通りの展開になったルーファスは、
「そうそう、そうこなければ、浅はかな貴女らしくない」
ニヤリと笑ったあと勢いよく振り向いて、背後にいたサイラスを強く突き飛ばした。
いつもは敬意の欠片もない側近が、こういうときだけ、
「殿下、申し訳ありません。わたしの失態です。どうか、できるだけ遠くに!」
自分の命を顧みることなく、身を挺して庇おうとしてくる。
こんなことだろうとは、思ったけど──
突き飛ばされるフリをしながら、サイラスは溜息を吐いた。
ルーファスとは長い付き合いだけど、まだまだ僕のことを理解しきれていない。
懐に忍ばせていた短剣を、サイラスは勢いよく抜く。歴代のオルガリア皇太子に受け継がれてきた『蒼海の守護石』が煌めいた。
柄に埋め込まれている紺碧色の魔石に、サイラスは持てる限りの水魔法を流し込んだ。
特化魔法の使い手たちと比べたら、ごくわずかな魔力量でしかない。しかし、オルガリアの主神アシドフィルスの『左目』ともいわれる聖なる守護石は、水流の渦をつくり、魔獣の牙からルーファスを護った。
渦の中心でルーファスが叫んでいた。
「馬鹿かっ! 王が臣下を護ってどうする!」
口の悪さが、すっかり戻ってきたようだ。
12歳のときに起きた皇太子襲撃事件以降。ルーファスはもちろんのこと、歴代の教育係からも、よくたしなめられていた。
「殿下、有事の際、上に立つ者は他者の犠牲を恐れてはいけません。その為に護衛がいて、側仕えがいるのです。臣下の替えは聞きますが、皇帝は唯一無二です。オルガリア皇家の血筋を絶やしてはなりません」
それはそうかもしれないが、目の前で傷ついていく者を尻目に、自分だけ逃げることはできないと反論すると、だれもが口を揃えて云った。
「そんな大層な綺麗事は、聖印持ちか、或いは特化魔法の使い手にでもなってから云ってください」
それを云われたら、口を閉じざるを得ない。
しかし、納得できないまま今日の日を迎えたことに、サイラスは内心ほくそ笑んでいた。
ほら見ろ、頭ごなしに「皇帝たる者~」と押しつけるから、こういうことになるんだ。
僕は1度だって、自分のため行使される他者の自己犠牲を「わかった」と、肯定した覚えはない。
渦となった水流が、ルーファスを護っていることにホッとしたとき、サイラスの脇腹と肩に、鋭い痛みが走る。
「殿下あああぁぁぁ!!」
ルーファスの悲痛な叫びが広間に響いた。
ああ、想像以上に痛いなコレは……
しかし2頭の魔獣に喰らいつかれたというのに、短剣を落とすことなく、サイラスはすぐに次の行動に移る。
狙いどおりだ。噛まれた肩から、ちょうど手首に向かって流れてきた鮮血。聖なる守護石に自分の血をしたたらせると短剣が発光し、姿を変えていく。
凪いだ浜辺に潮騒が聞こえたような気がした。
「青の……
サイラスは生まれてはじめて、守護精霊に願いを告げた。
「頼む、魔獣から……人々を護ってくれ」
残念ながら意識を保っていられたのは、そこまで。
目の前が一気に暗転し、サイラスは膝から崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇
王城へと急ぐ馬車で、ルーファスの話を聞いたマルスは訊ねた。
「それで、殿下の容態は?」
苦痛に顔を歪めるルーファス。
「噛まれた部位の皮膚が青紫に変色して……血が止まらない。少量だがずっと流れつづけているんだ。呼吸が弱くて意識もない」
「どれくらい時間が経っている」
「襲われてから、ここに至るまで……およそ2時間半は経過している。トラキア城に着く頃には、およそ3時間は経過するはずだ」
「何か処置はしているのか?」
首を横に振り、ルーファスは声を震わせる。
「トラキアに、魔獣に詳しい医術者はいない。まともな
状況は最悪だった。
サイラスの症状が、なんらかの神経系中毒症状であることは、レティシアもマルスも気がついていたが、時間の経過を考えるとすでに全身に毒が回っているだろう。
トラキア国に入り、王城が見えてきたところで、ジオ・ゼアが馬を寄せてきた。
「お嬢さん、どうやら魔獣の群れが近い」
「群れ?!」
「ああ、おそらくシモーネが操っているんだろうけど、さすがにあの精霊だけじゃ護りきれないね」
王城の真上を指差すジオ・ゼア。
そこには、今にも力尽きそうな人魚の精霊がいた。