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第10話




「……まぁ、それしかないな」



 サイラスが首を縦に振ったのは、すでに半日が経過した夕暮れ前。



 皇帝の元に向かったサイラスを見送り、ルーファスは机に突っ伏した。



 疲れた……



 飲まず食わずで考えすぎて眩暈がする。脳内は完全に糖分不足になっている。



 変更された筋書きは、ゼキウス将軍に甘いところがある皇帝に付け込んだだけのような気もするが、あれが限界だった。



 その夜──



 鎮痛な面持ちでサイラスが執務室に戻ってきた。こちらもゲッソリと疲れ切った顔をしている。



「どうでしたか。上手くいきましたか?」



 どうみても上手くいってなさそうな雰囲気ではあるが、ひとまずルーファスは訊ねた。



 あれだけ頭をひねって考えたのだ、ひとつくらいは上手くいったこともあるだろう。



 すると、思いがけずサイラスから返ってきた答えは「すべて上手くいった」というものだった。



「すべて? まさか、怪我の功名になったということですか?」



「ああ、そのまさかだ」



「それにしては、かなり不服そうですが」



「今回の父上の決定は……国としては最善だと思う。しかし……」



 国同士の政治的な取引があったなと、ルーファスは察した。



 証拠の損失によって変更せざるを得なかった筋書き。



 それは、長年の潜入調査により発見できたスフォネ子爵家から国境を越える地下通路を発見したのも、媚薬の取引を未然に阻止できたのも、数年かけて収集した情報からではなく、すべて偶然の産物だったという点。



 なぜなら、ゼキウス将軍の一連の行動により、地下通路の入口も、ジハーダ王国とのやりとりが綴られた暗号文も、すべて灰になってしまったからだ。



「魔写機で撮影した画像は残っているものの、それだけでは証拠として弱いからな」



「なるほど。しかし、それが怪我の功名になったというのは、どういうことですか?」



「ジハーダ王国に対して、切り札になる新たな取引材料ができたからだ。レティシア嬢とジオ・ゼア特級魔導士が持ち帰った『手帖』があっただろう」



「はい。ジハーダ国王の生殖機能の問題についてですね」



「それについてなんだが、その……レティシア嬢がだな」



 急に活舌の悪くなったサイラスが、溜息を吐く。



「特効薬を持っているそうだ」



「特効薬?」



「ああ、じつはその試薬を『手帖』を発見した遊戯部屋に置いてきたそうで、それを内密に知らされたジハーダ国王が試したところ……凄かったそうだ」



「凄かった?」



「これまで媚薬を使ったシモーネの手技でしか反応しなかったイチモツが、即効で天をあおぎ、1時間以上持続したらしい」



「はぁ……それは、それは」



 夜の執務室には、なんともいえない空気が漂った。



 結果として──



 ジハーダ国王を長年にわたり悩ませてきた問題は、試薬によって劇的な改善をみせ、これによって中毒性の高い桃華蘭の媚薬を使う必要も、シモーネの手技に頼る必要もなくなったわけだ。



 スフォネ子爵家とのつながりを示す、隠し部屋にあった暗号文も地下通路の入口も焼失した今。



 皇太子サイラスの襲撃、暗殺計画のすべてをスフォネ子爵家になすり付け、国同士の新たな関係性を築くには、うってつけの状況となった。



 これにより水面下では、新たな取引がなされた。



 領土争いが絶えなかったオルガリア皇国とジハーダ王国は、不可侵条約を締結する運びとなった。



 ジハーダ王国は、魔鉱石の鉱山の採掘権をすべてオルガリア皇国に譲渡。



 オルガリア皇国は、ジハーダ王国に対して魔石の安定供給を約束する。



 表向きの取引は以上だ。



 裏取引は以下のとおり。



 オルガリア皇国側が押収した『手帖』は、ジハーダ王国に引き渡すこと。



 オルガリア皇国は、ジハーダ国王専用の特効薬を定期的に納めること。



「よく魔鉱石の鉱山を手放しましたね」



 ルーファスは驚きを隠せない。



「それについては、4年前に僕を暗殺しようとした襲撃事件に対する賠償ということだ」



「認めたということですね」



「ああ、しかし非公式だから謝罪はない──というわけで、今のところ、両国の高官同士のやり取りだが、数日中に国境で君主同士の調印式が行われることが決まった。もう、僕たちが口を挟める状況ではない」



「根回しが良すぎるような気がするのですが」



 ルーファスの言葉に、サイラスの顔は苦虫を噛み潰したようになる。



「陛下の頭の中では、いくつかのシナリオがすでにあったらしい。なかでも重要視していたのが、国境での争いを終結させることと魔鉱石の採掘権だった。この2つが同時に成し遂げられるなら、これまでの両国の問題は追及しない方針を選ばれたのだ。文句があるなら、オマエが皇帝になってからルーファスと考えろ──だそうだ」



「それを云われちゃったら……ってやつですね」



 さすがのルーファスも反論できない。



 そして、数時間後の深夜──



 後処理に追われるサイラスとルーファスの顔が、ますます渋くなる報告を持って、近衛騎士が執務室へと駆け込んできた。



「申し上げます。スフォネ子爵令嬢シモーネが、別邸タウンハウスから姿を消しました」







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