大勢の足音が、床から響いたのはその直後だった。
扉を1枚隔てた場所から耳をそばだて、様子を覗う。
「すぐに屋敷内を調べろ! 異常があれば、知らせるんだ。 さっさと行け!」
やたらと命令口調な男の大声が聞こえてくる。
「この声はスフォネ子爵本人だね。相変わらず頭が悪そうな話し方をしている。どんな顔してるか見てみる?」
指先に闇の魔力を集めたジオ・ゼアは、
ひとつは自分の目線の高さに、もうひとつはレティシア用に少し低い位置に作る。
『隠し扉』に穴を開けるなんて……
痕跡を残すような大胆なことをするジオ・ゼアに驚いたレティシアだったが、穴から漏れてくる明かりに引き寄せられ、とりあえず外の様子を確認した。
「
興奮気味のスフォネ子爵が、怒鳴りながら大声で話してくれるので、たしかに状況を知るのは容易かった。
「そういえば、今夜は取引があったな。誰でもいい、念のため様子を見てこい! 場所は──地下室からつづく坑道の出口付近だ」
ジオ・ゼアが鼻でせせら笑う。
「ね、なんでも口にしてしまう。想像以上のバカでしょ」
平気で取引場所を口にするなんて……たしかに、バカはバカだが。そのバカ子爵は今、「こっちだ」と隠し扉に向かってやってくるではないか。
このままでは見つかってしまう。
「ジオ・ゼア……」
焦るレティシアに、闇の魔導士は小声でささやいた。
「大丈夫。いいから見てて、面白いものが見られるからね」
いったい何をするつもりなのか。子爵がどんどん近づいてくるというのに、まったく焦りを見せないジオ・ゼアは、覗き穴から魔力を流しはじめた。
スルスル──と、闇の魔力が音もなく細い影となって伸びていく。途中、二股に分かれた影は床を這い、そのまま子爵の足元へとスッ―と近づいていった、と思った次の瞬間。
子爵から伸びる本来の影に、魔力の影が刺さる。
「ウアァッ!」
前のめりになって激しく転倒した子爵の脚が、床で不自然に絡み合い、影によってギリギリと締めつけられているのをレティシアは見た。
転んだ拍子に
魔力で釣り上げられた
「そぉ~れっ」
その隙に、誰にも見咎められることなく宙を舞った
油が漏れて、火がつく。
「お嬢さん、少し後ろに下がっていてね」
レティシアの腰をさらうように、自分へと引きよせたジオ・ゼアは、いつの間にか手にしていた小瓶の蓋を口であけると、中の液体を覗き穴から流しはじめた。
扉を這うようにしていた火の手が液体に触れたとたん、炎は猛烈な勢いになる。
「火には、油を注がないとね」
扉の外で悲鳴があがるなか、魔導士はニヤリと笑った。
「大変だ! 早く火を消せ! 消せ!」
扉の外は、大騒ぎになっている。 ジオ・ゼアが平気で『隠し扉』に穴をあけた理由が、ようやくわかった。
燃やしてしまえば痕跡は残らないし、ボヤ騒動で足止めもできる。なかなかいい作戦だ。
「さあ、行こう」
ご機嫌なジオ・ゼアに手を引かれるまま、レティシアは地下室へとつづく階段を降りた。
ゆとりのある地下空間は、穀物の袋が積み重なり、棚には香辛料や缶詰類がズラリと並んでいるが、まだ土壁がむき出しになっていて、搬出されていない土嚢も隅に積まれていた。
一見すれば疑わしい所のない、まだ採掘作業中の貯蔵庫のように見えるのだが、棚と棚との間に不自然に垂れ下がった布切れをジオ・ゼアが持ち上げると、
「ああ、これだね」
木枠に囲まれた地下通路の入口は、いとも簡単に見つかった。