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第5話



 大勢の足音が、床から響いたのはその直後だった。



 扉を1枚隔てた場所から耳をそばだて、様子を覗う。



「すぐに屋敷内を調べろ! 異常があれば、知らせるんだ。 さっさと行け!」



 やたらと命令口調な男の大声が聞こえてくる。



「この声はスフォネ子爵本人だね。相変わらず頭が悪そうな話し方をしている。どんな顔してるか見てみる?」



 指先に闇の魔力を集めたジオ・ゼアは、針状ニードルにした尖端で、扉に覗き穴を2つ開けた。



 ひとつは自分の目線の高さに、もうひとつはレティシア用に少し低い位置に作る。



『隠し扉』に穴を開けるなんて……



 痕跡を残すような大胆なことをするジオ・ゼアに驚いたレティシアだったが、穴から漏れてくる明かりに引き寄せられ、とりあえず外の様子を確認した。



 あかり用の魔石に、魔力が十分補給されていないせいか、室内は薄暗く、子爵や使用人たちは、それぞれの手に油燈會ランタンを提げている。



別宅タウンハウスに火を放つなんて、あの生意気な公爵家の息子めっ! おかげで大騒ぎだ。城館を心配するシモーネの気持ちも分からなくもないが……ああ、疲れた!」



 興奮気味のスフォネ子爵が、怒鳴りながら大声で話してくれるので、たしかに状況を知るのは容易かった。



「そういえば、今夜は取引があったな。誰でもいい、念のため様子を見てこい! 場所は——地下室からつづく坑道の出口付近だ」



 ジオ・ゼアが鼻でせせら笑う。



「ね、なんでも口にしてしまう。想像以上のバカでしょ」



 平気で取引場所を口にするなんて……たしかに、バカはバカだが。そのバカ子爵は今、「こっちだ」と隠し扉に向かってやってくるではないか。



 このままでは見つかってしまう。



「ジオ・ゼア……」



 焦るレティシアに、闇の魔導士は小声でささやいた。



「大丈夫。いいから見てて、面白いものが見られるからね」



 いったい何をするつもりなのか。子爵がどんどん近づいてくるというのに、まったく焦りを見せないジオ・ゼアは、覗き穴から魔力を流しはじめた。



 スルスル——と、闇の魔力が音もなく細い影となって伸びていく。途中、二股に分かれた影は床を這い、そのまま子爵の足元へとスッ―と近づいていった、と思った次の瞬間。



 子爵から伸びる本来の影に、魔力の影が刺さる。



「ウアァッ!」



 前のめりになって激しく転倒した子爵の脚が、床で不自然に絡み合い、影によってギリギリと締めつけられているのをレティシアは見た。



 転んだ拍子に油燈會ランタンは子爵の手から離れ、横倒しになって床を転がっていく。それを拾ったのは——またしても細い影。



 油燈會ランタンの持ち手にクルクルと巻き付いた影は、魚でも釣り上げるように引っ張りあげていく。釣人は、もちろん扉の奥にいる魔導士だ。



 魔力で釣り上げられた油燈會ランタンがユラユラと空中で揺れ、あきらかに異常な動きをしているというのに、周囲にいる者たちは、ジタバタと起き上がれないでいる子爵の元に集まり、だれひとり気が付いていなかった。



「そぉ~れっ」



 その隙に、誰にも見咎められることなく宙を舞った油燈會ランタンは、振り子の反動を得て勢いよく『隠し扉』にぶつかり、ガラスの破片が周囲に飛び散った。



 油が漏れて、火がつく。



「お嬢さん、少し後ろに下がっていてね」



 レティシアの腰をさらうように、自分へと引きよせたジオ・ゼアは、いつの間にか手にしていた小瓶の蓋を口であけると、中の液体を覗き穴から流しはじめた。



 扉を這うようにしていた火の手が液体に触れたとたん、炎は猛烈な勢いになる。



「火には、油を注がないとね」



 扉の外で悲鳴があがるなか、魔導士はニヤリと笑った。



「大変だ! 早く火を消せ! 消せ!」



 扉の外は、大騒ぎになっている。 ジオ・ゼアが平気で『隠し扉』に穴をあけた理由が、ようやくわかった。



 燃やしてしまえば痕跡は残らないし、ボヤ騒動で足止めもできる。なかなかいい作戦だ。



「さあ、行こう」



 ご機嫌なジオ・ゼアに手を引かれるまま、レティシアは地下室へとつづく階段を降りた。



 ゆとりのある地下空間は、穀物の袋が積み重なり、棚には香辛料や缶詰類がズラリと並んでいるが、まだ土壁がむき出しになっていて、搬出されていない土嚢も隅に積まれていた。



 一見すれば疑わしい所のない、まだ採掘作業中の貯蔵庫のように見えるのだが、棚と棚との間に不自然に垂れ下がった布切れをジオ・ゼアが持ち上げると、



「ああ、これだね」



 木枠に囲まれた地下通路の入口は、いとも簡単に見つかった。





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