その後──
ジオ・ゼアが、膨大な魔力を有しているだけではなく、極めて稀な闇属性の特化魔法の使い手であることが判明したのは、これまで受けていなかった洗礼式を首都アシスの神殿で受けたときだった。
さらには、最高位の守護精霊『黒天鷲 』が首都アシスに現れ、ジオ・ゼアの肩にとまったときは、立ち合いをつとめた神官たちが腰を抜かしたという逸話がある。
「当時の魔導士長の話では、抑圧された不健全な環境のせいで、身体の内側から魔力が開放されなかったんだろうって。それで、多少なりとも健全な環境になって、一気に魔力が放出されたらしい」
秘められた資質と素養から特務機関預かりとなったジオ・ゼアは、翌年には難関の特務試験に合格する。国家魔導士となって2年後の17歳ときに守護精霊が聖獣化。
黒鷲は『
「ローラ様と出会うまでは、貴族なんて大嫌いだった。正直、今でも虫唾が走るときがあるよ」
吐き捨てるように云ったジオ・ゼアの横顔を、月明かりが照らしていた。
「でもね、お嬢さんのことは、出会ったときから嫌いじゃないんだ。どうしてかな。たぶん、貴族の頂点にいる皇族をボロクソに云っていたからかもね。ほら、皇太子のこと『御しやすい馬鹿だったらいい』って云ってたでしょ」
「…………」
まさか、それを覚えているなんて──
燦燦と陽光が降りそそいでいたガラス張りのドーム天井。
図書館の貴族専用スペースにて、たしかに自分は皇太子サイラスを『ボロクソ』に云っていた。皇太子サイラスの人となりや、日々の努力を知った今となっては、口が裂けても云えない。
「それは忘れて欲しいんだけど」
レティシアの願いに、金色の目が意地悪く光った。
「イヤだよ。僕、あの金髪は好きじゃないからね。だってお嬢さんのことを『ヘビ女』って云ったんでしょ」
「そんなこともあったけど……」
できればそれも、忘れて欲しかった。
「忘れられないよ──」
ジオ・ゼアは、月の光に照らされたレティシアの髪を一房手に取る。
「だって、僕とお嬢さんの出会いだからね。僕にとっては、ローラ様に出会ったときと同じくらい特別なことなんだ」
『同じくらい特別』
そう云ったジオ・ゼアの目には、慈しみと優しさが溢れ、レティシアの勘違いでなければ、愛しさが垣間見えた。
でも──本当にそうだろうか。
想像を絶する痛々しい過去を背負う相手の言葉を、そのまま受け取っていいのだろうか。
転生前、前世ではいくつか苦い経験をしてきた。人間はけっこう平気で嘘がつける。感謝など欠片ほどもしていないくせに「ありがとう」と心を込めて云える人々がいる。謝罪もまたしかり。
それでもジオ・ゼアの境遇に比べたら、前世も今世も、自分の過去なんて大したことはない。
柊アンナだった頃は、
優しい家族に、頼りになる幼馴染がいて、念願だった魔毒士にもなれて、何不自由なく充実した毎日を過ごしている。
正反対の人生を歩んできたジオ・ゼアからすれば、たとえ恩人の娘とはいえ、自身の境遇との違いをまざまざと見せつけられているようなものだ。
愛情と憎しみは紙一重。
『特別』なら、なおのこと今は自覚がなくとも、わずかな愛情が憎しみ変わることもある。自分が、ジオ・ゼアにとって疎ましい存在になる。それが怖い。
そんなことなら『特別』になんてならないほうが……
「あれ、もしかして作戦失敗かな」
ジオ・ゼアの指先が、黙り込んだレティシアの顎を持ち上げる。
「ごめんね。お嬢さんにそんな顔をさせるために、僕の過去を話したわけじゃないんだ」
魔法で寝台の掛布を元に戻したジオ・ゼアが、窓辺に立って外の様子を覗う。
「僕の話しが長引いたせいで、あのクソ子爵が戻ってきたね」
本当だった。開けられた門扉から、勢いよく数台の馬車が入ってくる。
「すぐに退避しましょう」
レティシアの言葉に頷いたジオ・ゼアだったが、
「まぁ。それもいいけど。ちょっと寄り道しようか。僕、復讐はきっちりするタイプなんだ」
月に照らされたその顔は、何かを企んでいる、とても悪い笑顔だった。
「ふ、復讐って?!」
「説明はあとでするけど、ひとまず、お嬢さん。眉間にシワを寄せながら、あまり難しいことは考えないように。老けるよ」
「余計なお世話よっ!」
アハハと笑ったジオ・ゼアは、レティシアの手を強く握ったまま、3階から1階へと階段を駆け下りた。
そして、地下室へとつづく『隠し扉』の前に立つと、
「さあ、行こう」
笑顔のまま、レティシアごと扉の奥へと躰を滑り込ませる。