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第3話



 伝令役の兵士にジオ・ゼアは命じた。



「ごくろうさま。それじゃあ、緊急事態なんで、僕とお嬢さん。それと騎士のお目付け役君は子爵家に向かうから、キミ、悪いけど将軍閣下が戻ってきたら、そこらへん上手く伝えておいて。あと『来てもすることないから、こなくていい』とも云っておいてよ」



 絶対に云えない。



 そう思った伝令役だったが、馬から見下ろしてくる魔導士の視線が思いのほか怖くて、ひとまず頷いてしまった。



 背中からドス黒い闇が見える……



 ジオ・ゼアの様子に怯え切った伝令役だったが、ひとたびその視線が大事そうに前に抱えた魔毒士に向けられると、



「さあ、行こうか。お嬢さん」



 特級魔導士の金色の目は、これでもかと優しく細められた。






◇  ◇  ◇  ◇ 






 ジオ・ゼアにより重力の軽減魔法をかけられた軍馬は、疾風のごとく闇を駆けた。



 あっという間にスフォネ子爵家の城館を見下ろせる丘に到着。お目付け役の騎士をその場に待機させ、レティシアとジオ・ゼアは静まり返った城館の裏庭を通り、前回と同じ使用人用の裏口から侵入する。



 屋敷内は静かだった。今夜は地下室の採掘作業もしていないようで、3階にあるシモーネの部屋にたどり着くのも容易たやすい。



 シモーネの私室を前に、レティシアはゴクリと息を飲んだ。



 さあ、ここからは1人で行かなくては——ジオ・ゼアが、この部屋に入りたくない事情を抱えているのは知っている。



「ここにいて。すぐに戻るわ。何かあったら、わたしを置いて脱出してね」



「はぁ? 何それ?」



 信じられないといった表情のジオ・ゼアに覗き込まれる。



「僕も行くよ。そもそも僕が、こんなところに、お嬢さんを置いて行けるワケがないでしょ」



「でも……」



「この前、僕が云ったことなら心配しなくてもいい」



 レティシアの手がジオ・ゼアに持ち上げられた。繋がれた手から、互いの魔力を感じ合う。綺麗な満月が浮かぶ夜。闇の魔力は安定していた。



「こうしてくれたら、大丈夫なんだ。お嬢さんに触れていたら、僕はきっと耐えられる」



 いったい、何から——



 この魔導士に苦痛を与えているモノの正体を知りたかった。



 でも、今は——



「いいわ。手ぐらい、いくらでも」



 それで、ジオ・ゼアが楽になれるのなら。



 シモーネの私室に入ったとき、ジオ・ゼアの魔力はわずかに揺らいだが、繋いだ手にレティシアが力を込めると、すぐに落ち着きを取り戻した。



 迷うことなく書棚の前に立ったレティシアが、数日前と同じ手順で壁板を押せば、すぐさま壁が反転して小部屋が現れる。



 湿度と温度が一定に保たれた室内に入ったふたりは、目的の暗号が書き記された文書を急いでさがしはじめた。



「これもかな。あと——これも」



 数年にわたる密偵任務の賜物か。ジオ・ゼアは文書探しが得意なようで、「こういうところが怪しい」と思わぬところから、暗号文を見つけ出してくる。



 それをレティシアは次々と魔写機で撮影していき、『隠し部屋』での任務は30分もかからずに終えることができた。



 書棚のある壁をふたたび反転させ、すぐに部屋から出ようとしたレティシアだったが、



「お嬢さん、やっぱり、ここも撮影しておこう」



 まっすぐ、寝台へと向かっていくジオ・ゼア。



 はじめてシモーネの私室に侵入したとき、レティシアが異様に大きいと感じた天蓋付きの寝台の前で、ジオ・ゼアは寝台を覆っていた美しい刺繍が施された掛布を取り払った。



「——これは」



 掛布の下から現れたモノに、レティシアは絶句する。



 そこには、貴族令嬢の寝台には明らかに不釣り合いな拘束具が備え付けられていた。



 鉄製の首輪、足輪、手枷に、レティシアが目を背けたくなるような拷問器具が収められたケースがあった。



「僕がこの部屋に入りたくなかった理由は、これだよ。お嬢さん、少しだけ僕の昔話を聞いてくれる?」



 なぜ、今なのか——その理由はわからなかったが、レティシアは云われるがまま耳を傾ける。



「金色の瞳がめずらしいっていう理由で、僕は8歳のときにスフォネ家に引き取られたんだ」



 そこで、「つないでいい?」とレティシアの手を握ったあと、ジオ・ゼアはやけに淡々と自分の過去を話しはじめた。



 両親の顔を知らないジオ・ゼアの生い立ちは、決して幸せではなかったが、子爵家に引き取られたことで、さらなる悲劇が襲った。



「名目上は孤児の引き取りだったけど、ほとんど奴隷同然の生活だった」



 幼いジオ・ゼアは、朝から晩まで下男のように、屋敷でこき使われていた。



「それでも、あの女に目を付けられるまではマシだったんだ」



 13歳になり美しい少年に成長したジオ・ゼアは、3歳下のスフォネ家の令嬢シモーネのお気に入りとなる。



「毎夜、あの女と添寝をさせられた。あの女の母親がきたときは、それ以上のことも……拘束具を付けられて身動きの取れない僕の顔が、快楽と苦痛に歪んでいく様を、あの女たちはいつもとなりで寝そべりながら笑って見ていたよ。観察さ。ここは、僕の生き地獄。最悪の遊戯部屋だった」



 絶句するしかなかった。



 ジオ・ゼアの話しによると、早熟だったシモーネが媚薬に興味を持ちはじめたのはこの頃であり、その犠牲になったのがジオ・ゼアだということに、云いようのない憤りを覚える。



 ジオ・ゼアがスフォネ家を脱走したのは、14歳のとき。



「媚薬の中毒症状で路地に倒れていたとき、皇太子妃候補として視察に訪れていたローラ様に拾ってもらえなかったら、間違いなく野垂れ死んでいた」



「母さまが……」



「皇太子妃候補が、こんな得体の知れない子どもを拾って皇宮に戻るなんて、有り得ないことだった。媚薬で朦朧としていたけど、付添人たちにローラ様が激しく非難されていたのを僕は覚えている。それでもあの方は、僕を首都まで連れ帰ってくれた」



 母ローラが、皇太子妃候補を辞退したのは、そのすぐあとだったという。






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