「そうですね。では、レティシア嬢と呼ばせていただきます。トライデン公爵子息のこともエディウス卿と呼んでおりますので」
「わかりました。では、そのようにお呼びください」
無難に切り抜けたルーファスは、本題に入る。
「それで、隠し部屋ですが、殿下を襲ったのと同種の毒蛇がいたのですね。それに桃華蘭の媚薬を抽出していた痕跡まであったと」
「はい、でも見つかったのは大量の毒蛇の液浸標本ばかりで、研究
結局、地下室も調べられなかったし……
満足のいく成果が出ていないことに、うな垂れるレティシアだったが、
「いえいえ、レティシア嬢、素晴らしい成果ですよ。我々が潜入させた密偵もシモーネの部屋が怪しいと探ってはいたのですが、これまでどうやっても『隠し部屋』にはたどり着けませんでした」
ルーファスの顔は喜びに満ちていた。
「エディが……いえ、エディウス卿が室内を
「それは、それは!」
素晴らしい──
ルーファスの喉が鳴る。
サイラスが云うところの、この死んだ魚のような目で『隠し部屋』を見ることができれば、レティシアたちが発見できなかった『新たな証拠』をいくつも見つけられそうな予感を、ルーファスはひしひしと感じていた。
両手の指をポキポキ鳴らしながら、
相変わらずの薄気味悪さだ──と、となりにいる禍々しいモノから目を逸らしたサイラスは、レティシアを労う。
「僕も素晴らしい成果だと思うよ。正直に云うとね、すでに話したとおり、これまにいくつか手は打っていたんだ。密偵を潜入させたり、街道の建設計画で相手を泳がせてみたりね。でも、なかなか進展せずに行き詰まり状態だった」
「密偵の潜入……それはジオ・ゼア様のことですか」
「彼もそのひとり。敵国に潜入して単独で任務を遂行できるのは彼しかいない、ってトライデン公爵の抜擢でね。しばらく音信不通になっていて、万が一の可能性を考慮していたんだけど、まさか、キミたちに接触してくるとは思わなかった」
話しているうちに、サイラスの顔が曇りだす。
「キミのお兄さんの云うとおりだったね。彼は任務に忠実にあたってくれていた。国のために命を懸けて潜入している彼を、本来であれば、僕が一番信じてあげなければならなかったのに……情けないね」
堪らずレティシアは声をあげた。
「いいえ、殿下が情けないなんて、そんなことは絶対にありません。わたしの母は常々云っています。国を背負う者が、日々どれほどの重圧に耐えているか。真偽が混同する情報を取捨選択し、日に何度も身を削るような判断を迫られると……ですから、サイラス殿下が、あらゆる想定をされるのは当然です」
「レティシア嬢……」
「特務機関の魔毒士となり、国政の末端に身を置くようになって、わたしも改めて感じています。サイラス殿下が、日々どれだけ国のために尽くしているか。心から殿下を尊敬し、敬愛しています」
正面に座るサイラスの手を、レティシアは優しく取った。
「お疲れですね。少しだけ、このままで」
白い光が、惚けたサイラスを包んでいく。
レティシアの癒しの力が、疲弊した心と身体を
ポキポキ、ポキポキ、ポキ──
10本の指を鳴らしながらルーファスは、恍惚となっている男を眺めていた。
サイラスの頭上では今、目に見えない祝福の鐘を、天使がこれでもかと打ち鳴らしていることだろう。
リンゴーォォォン! リンゴーォォォン!
ピンクの花吹雪が、猛烈な勢いで舞い踊っているかもしれない。
『心から殿下を尊敬し、敬愛しています』
これは、最高のご褒美だな。
幼い頃から皇帝になるべく育てられた皇太子は、母である皇后エリスからも、側近である自分からも、ほとんど褒められたことがない。
レティシア嬢よ、最高のタイミングでした。
ルーファスの頭の中で、算盤がはじかれる。
これは2日……いや、3日は馬車馬のように働かせても文句は云いそうにないな。
しめしめ、とほくそ笑みながら、改めて思うのは——ああ、なぜレティシア嬢を皇太子妃候補から外してしまったのかっ!
上級回復士である彼女さえいれば、365日24時間体制で、サイラスをフル稼働させられたというのに!
恐ろしいことを考えながら、スフォネ子爵家の『隠し部屋』をはやく見たいルーファスは、特務機関の魔具士が「現像できましたぁ!」と扉から入ってくるのを、ふたたび、今か今かと待っていた。
心待ちにしていた扉が開いたのは、それから数分後。
はじめて目にする『隠し部屋』を投影機で拡大させ、隅々まで舐めるように見ていくルーファスは、頬が弛緩していくのを止められなかった。
ある、ある──思ったとおりだ。
皇国の頭脳と誉れ高い側近が、画像に張り付きながら「イヒヒ……」と、世にも恐ろし気な声で笑う姿に、投影機を操作する若い魔具士は震え上がった。