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第7話



 美しい紫髪が、月夜に舞った。



 背にかばったはずのレティシアが横からすり抜けるように、黒衣の男に向かっていったとき。エディウスの心は、これまで感じたことのない嫉妬の炎が燃え上がった。



 突然現れた男の正体には、すぐに気付いた。その稀なる闇魔法の気配を持つ者は、そう多くはない。



 国家特務機関の元特級魔導士ジオ・ゼア。



 闇色の髪と金色の瞳を持つ男は、「お嬢さん」と親し気にレティシアを呼び、エディウスが想いを寄せる幼馴染もまた「ジオ・ゼア」と呼び返しながら、なんの躊躇ためらいもなくその胸に顔を埋めた。



 皇太子暗殺の容疑をかけられ逃亡したこの魔導士が、特命の任務を受けてジハーダ王国に潜伏していることは、先日、父から聞いていた。



 が、まさかスフォネ子爵家の城館で接触してくるとは……



 そして、レティシアとここまで親密な仲だったとは……



 目の前の光景に、嫉妬で焼き切れそうになる理性を必死につなぎとめるエディウスだったが、身体中から放たれる強い殺気は抑えようがなかった。



 それは、相手にも伝わっているはずなのに、悔しいことに皇国最強の魔導士からは、まったく相手されない。


 それどころか、



「それ、人遣いの荒いキミのお父さんに渡してよ」


 投げ渡されたのは、機密伝達用の魔道具だった。



 用は済んだとばかりに、エディウスに関心を失くした漆黒の魔導士は、すぐにレティシアへと目を向け、これでもかというほど優しい手つきで名残惜しそうに頬に触れた。



 別れ際——



「必ず」と帰還の約束をした男は、



「いつか、僕とも任務に行こうね。お嬢さんとなら楽しい旅になりそうだ」



 わざと、こちらに聞こえるように云った。



 強敵すぎる恋敵の出現に唇を噛み締めていると、闇に消えていった男の姿を寂しそう見つめていたレティシアが振り返る。



「エディ、証拠を探しに行きましょう」



「ああ、そうしよう。早く見つけて帰ろう」



 強くならなければ。 



 エディウスは、危機感を募らせた。



 あの男が戻ってくるまでに、可能な限り強くなる。そうしなければ、レティシアはあっという間に奪い去られてしまうだろう。




 ◇  ◇  ◇  ◇




 当主一家が不在のせいか、建設中の地下室以外は、ほとんど人気のない深夜の子爵邸。レティシアとエディウスは、3階にあるシモーネの私室になんなく忍び込めた。



 裕福なスフォネ家だけあって、調度品はどれも一級品ばかり。一見したところ令嬢の私室として違和感はない。ただ気になるところといえば、天蓋付きの寝台が異様に大きいこと。



「それじゃあ、調べてみましょうか」



 エディウスと手分けをして、床下や調度品の中をくまなく調べていく。とくに怪しいところを見つけられないまま、レティシアは書棚に並ぶ本をながめていた。



 よくある恋愛小説や淑女の教養本。皇室に関する歴史書などなど。極々普通のタイトルが並んでいる棚から、レティシアは無造作に一冊を取り出して開いてみた。



 その瞬間——これだ、と直感する。



 見開いたページから立ち昇ってきたのは、わずかな香料と薬品臭、それから……



「エディ、きて」



 レティシアの呼び声に、寝台の下を調べようとしていたエディウスが、すぐにやってくる。



「どうした。レティ、何か見つけ――」



 云っているそばから、エディウスの眉間にもシワが寄った。



「これは……」



 頁からは、薬草に近い薬品臭に混じって、獣の血臭がしている。



 書棚から無造作に何冊か取り出して、それぞれの頁をめくって鼻を近づけたレティシアは、



「同じよ。同じ匂いがするわ」



 そして、香料を嗅ぎ分けていく。



「獣血に加えて、いろいろな薬草を調合したニオイがするわ。でも、一番強いのは桃華蘭の蜜の香り。古来から強い媚薬効能のある華よ」



「トウカラン?」



「そう、身体中の神経を過敏にさせてしまう成分があって……ひと昔前は、捕虜や囚人から情報や自白を引き出すために使われていたの」



 わずか数滴の接種で、強い性衝動と幻覚症状を引き起こす恐ろしい媚薬だ。



 ただし原料である桃華蘭は、極めて限られた高地にしか自生しない蘭種で、平地ではすぐに枯れてしまう栽培の難しい植物だ。



 その桃華蘭から蜜を採取し、媚薬を精製するのはさらに難しい工程を経なければならない。



 それを、スフォネ子爵令嬢がこの部屋で作っていたというのだろうか。



 いや、ちがう。ここには精製に必要な器具がない。



 どこかにきっと——



「エディ、隠し部屋があるはずよ。例えば、温度や湿度を一定に保てるような安定した環境で、薬草園にあるわたしの研究室のような場所」



 壁に耳を当てたエディウスが、書棚の周辺を念入りに右拳で軽く叩く。



 コンコン、コンコン——トントン。



 あきらかに音が変化した場所があった。



 「ここだ」とわずかに盛り上がった壁をエディウスが押すと、数センチ四方の壁板が奥に入り込んだ。



 同時に、左右に振動しはじめた書棚。レティシアはすぐさましゃがみ込んで、書棚の手前に敷かれていた敷物をめくりあげた。



 敷物の下には、板張りの床にはくっきりと、何度も書棚を引きずった形跡が残っていた。布の摩擦が無くなり、書棚がスムーズに横回転をはじめる。



 回転扉のようにクルリと反転した書棚と壁の一部。



 その先についに——



 エディウスとレティシアは、いかにも怪しい小部屋を見つけた







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