「悪かった。謝るから! サイラス殿下、ルーファス卿、大変失礼いたしました。この通り、不躾な発言をどうかお許しください!」
この一連の流れで、ルーファスは改めて悟った。皇室が真に手を組むべき相手は、レティシア・アンナマリー・スペンサー侯爵令嬢だ。
彼女の信頼を勝ち取れば、おのずとこの兄も、聖印持ちの父も、もしかしたら社交界で絶大な人気を誇る『オルガリアの華』も味方に付けることができるかもしれない。
そう考えを転換させたルーファスは、同時に自身最大の失策に気が付いた。
しまったぁ! 皇太子妃にすべきは、このレティシア嬢だった!
ああ、あのときもっと推していれば、皇太子妃候補から外れることはなかったのにぃぃ! くそうっ!
逃した魚の大きさに、髪を掻きむしって悔しがるルーファスだった。
しかし、嘆いていても仕方がないと、腹を括ったルーファスは、
「殿下、ここはすべてを話すべきでしょう。わたしたちもまた、彼らの助言が必要なのかもしれません」
なりふり構わず、レティシアの信頼を勝ち取りにいく作戦に方向転換した。その後、サイラスとルーファスの計画を知ったレティシアは驚きを隠せなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
スペンサー家の屋敷に帰る馬車の中、無言だった兄ロイズは、あと少しで到着するという時、レティシアに伝える。
「レティ、僕は殿下とルーファス卿の計画に協力しようと思う」
「でも、兄さま、とても危険だわ」
「たしかにね。僕は魔法もそこまで使えないし、物理的な戦力にはならない。でも、僕は知っている。ときに智謀は、いかなる物理的な攻撃よりもずっと効果を発することを。そして、多少の己惚れはあるけれど、僕にはそれを実行できるだけの狡猾さが備わっていると思うんだ」
人好きのする柔らかな笑みを浮かべて、
「大丈夫、上手くやるよ」
ふたたびロイズは、口を閉じた。
翌日から皇宮は、とある噂で持ち切りになる。
「スペンサー家のロイズ卿が昨日、スフォネ子爵令嬢と観劇に出かけたそうよ。そして今日は、伯爵家の御茶会にもエスコートしたらしいの」
「嘘でしょ! いったい何があったの?!」
「特定の方はつくらない主義の御方だったのにぃぃ!」
令嬢たちの嘆きは、オルガリア皇国中に響き渡ったという。
スペンサー侯爵家子息のロイズとスフォネ子爵家のシモーネ嬢の恋の噂は、皇太子サイラスとルーファスの耳にも届いていた。
「ロイズ卿は、ずいぶんと上手くやっているようだな」
「そうですね。さすがというか……いや、彼ならできて当たり前といったところでしょうか」
「ところで、ロイズ卿が云っていたことは本当だろうか」
執務室の窓辺に立ち、隣国の方向に視線を向けたサイラスは、疑問を口にした。
「潜伏させた諜報員が寝返ることはたしかにあります。黒衣の魔導士の生い立ちを考えると、その可能性がまったく無いとは云い切れませんが、彼はトライデン公爵が指名した者です。信じてみてもいいのではないでしょうか。黒衣の魔導士のこともロイズ卿の情報のことも」
「めずらしいな。猜疑心の塊みたいなルーファスが信じるなんて」
「信じるに値するだけの情報提供がありまして」
ルーファスが差し出してきた文書に目を通したサイラスは、片側の口角をあげてニヤリとした。
「ようやく尻尾をだしたか」
「ええ、これもロイズ卿のおかげですね。わずか数日でこの成果とは……」
「彼らに話して正解だったな。しかし、これでスペンサー家を巻き込んでしまった。ロイズ卿とレティシア嬢には、目立たないように警護をつけておけよ」
「はい。ロイズ卿にはトライデン家の緋騎士団が交代で警護にあたっています。それから、スペンサー侯爵令嬢にはエディウス卿が張り付いているそうですよ」
「はぁ!? ナゼだっ! どうしてエディウス卿が付くんだ!?」
「いいじゃないですか。彼、すごく強いですから。もうすぐ上級魔剣士になるかもしれない逸材らしいですよ」
「だからって、アイツじゃなくてもいいだろっ! 特務機関の任務だってあるだろうし、近衛騎士団にも属しているじゃないか。そんな暇はないはずだ」
「トライデン公爵の意向で、一時的に任務が軽減されているそうですよ。警護に関しては彼らに任せましょう。ほら、殿下はそろそろ仕事をしてください」
「イヤだ! まずは、レティシア嬢の護衛を再考しよう」
なおも抗議の声をあげるサイラスを無視して、ルーファスは大量の書類を執務机に置いた。
「わかりました。では、こちらの書類をすべて処理してくださいね。再考の話は、それからです」
山積みの書類から、ルーファスはぺラリと一枚とった。
「ちなみに、こちらは皇后陛下からの案件でして~」
「さっさと、よこせっ!」