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第8話



 守護精霊ヒギエアを呼び出すことはできるが、それは最終手段だ。



 ここ数年、レティシアの魔力が上がるにつれ、どんどん巨大化している白大蛇を呼び出せば、この狭い空間で身動きがとれなくなってしまう可能性の方が高い。



 ひとまず、この空間から退避したいところだけど……



 狭い横穴を後退しながら、大サソリの攻撃をかわしきれるだろうか。



 当たり前だが、こんなナイフ1本では、青い筋が走る装甲殻に傷ひとつ付けられない。



 エディの火焔魔法のように、あの装甲を溶かせたら……そうすれば、このナイフでも多少のダメージは与えられるはず——と思ったところで、レティシアはひらめいた。



 そうだわ。溶かせばいい!



 何も高温だけが、物質を溶かす方法ではない。両手に魔力を集めたレティシアは、急いで魔法を構成しはじめる。



 異世界に転生し、魔力を得てわかったことがある。



 天才型のジオ・ゼアやエディウス、直感型の父ゼキウスは別物だが、基本的に魔法は、より具体的なイメージが必要不可欠だ。



 例えば、紫色を作るとき。赤、青、緑の三原色のうち、赤と青を混ぜると紫が出来ることを知っていれば、魔法で色を作るのは簡単だ。あとは、色の配合比率で濃淡ができる。



 それと同じく、堅い装甲を溶かすには——



 水素と窒素と酸素! 



 構成比率は1:1:3で!



 完成したのは『硝酸もどき』の魔弾薬。



 目分量とはいえ、元薬学研究員としてかなり具的なイメージで構成した『硝酸弾』は全部で5発。



 狙いは、大サソリの頭部にある目と背中にかけての装甲部分だ。鉄を溶かすほどの強酸であれば、あの堅い装甲に穴があくはず。



「でも、当たらなければ意味ナシよね」



 せめて半分は当てたい。



 出来立てホヤホヤの硝酸弾を、避けられないように全弾を浮遊させたレティシアは、大サソリの背中に向かって一気に放った。



 直線的な軌道で標的に向かっていった5発の硝酸弾は、激しい炸裂音と独特の刺激臭を発生させ、みごとに着弾——しなかった。



「ウソでしょ……」



 避けられるどころか。大サソリは、鋏のある触肢と尾を使って、すべて弾いたのだ。



 洞窟の壁に衝突した硝酸弾は、鼻をツンとつく刺激臭を発生させただけで終わってしまった。そして、いよいよ窮地に陥る。



 攻撃を受けた大サソリは興奮状態になり、左右の鋏を振り上げて一気に突進してきた。躊躇っている余裕はすでになく、レティシアは守護精霊ヒギエアが宿る腕輪に手をかけた、そのとき。



「レティッ!!」



 力強い腕が腰に回され、後方に強く引き寄せられる。視界に入ったのは、燃えるような赤髪。



「……エディ」



 いまほど、安堵したことはなかった。



「怪我はしていないか? 無事か?」



 冷静な声とは裏腹に、レティシアの腰に回されたエディウスの手は震えていた。



 エディウスの出現に、突進してきた大サソリは、その動きをピタリと止めた。迫りくる燃焼烈火ブレイズ・バーストを察知して地中に潜り込んだように、またしても本能的に強者の存在を感じとったのかもしれない。



 毒素のサンプル欲しさに死骸に走り寄り、硝酸弾をすべて弾き返された、危機管理ゼロ、攻撃センスゼロの魔毒士と対峙していたときとは打って変わり、前端の鋏で頭部を防御するように構えている。



「すぐに終わらせる」



 レティシアの腰に回していた腕をほどき、背中に庇ったエディウスが、スッと剣を抜いた。



 トライデン公爵家に代々受け継がれる魔剣クリムゾン。美しくも凄惨な血色を連想させる剣身を、レティシアは間近ではじめて目にした。



 エディウスから流れ込むの火焔の魔力に共鳴した魔剣は、柄に近いブレイドから鮮血を吸い込んだような深紅へと変化していく。



「オマエ……レティを傷つけようとしたな」



 沸々とした怒りが、エディウスの紅髪を逆立たせた。赤い眼光に射抜かれた大サソリは、すでにジリジリと後退をしていたが、逃がすエディウスではなかった。



「知らないのか。俺の大切な人を襲うということが、どういうことか」



 怒気だけで魔獣を戦意喪失させた魔剣士が、魔剣クリムゾンに紅炎を纏わせた。



「万死に値する行為だ。灰すら残してやらない」



 紅炎に包まれた魔剣クリムゾンに見惚れていたレティシアだったが、剣先が大サソリに向けられたとき、ハッとした。



「エディ! 待って!」



 後ろからエディウスの利き腕を掴む。



「危ない、レティ! 火傷するから離れ——」



 魔力を練り上げていたエディウスが慌てて引き離そうとするが、絶対に離れまいとすがりつくレティシアの顔が極限まで近づくと、純情剣士の顔が即座に紅く染まった。



「あの、レティ、近すぎて……」



 まったく集中できなくなったエディウスの怒気と魔力は、あっという間に霧散していく。



「嬉しいけど……ちょっと、待ってくれ。まずは、アレを……」



「待てない!」



「いや、俺だって任務じゃなかったら、もっと近……」



 赤面しながら本音を漏らす魔剣士の心中を察することなく、元薬学研究員は叫んだ。



「ダメよ! 火気厳禁!」



「えっ?」



 困惑顔の魔剣士に、レティシアは「詳しい話はあとで」と大サソリを指差した。



「エディ、30秒だけ時間を稼いで。そのあいだに中和するから。わたしが『いい』って云うまで、燃焼魔法だけは絶対に使わないでよ」



 燃焼系特化魔法の使い手にとっては、『魔法無しでなんとかしろ』という、かなり酷な要求なのだが、



「わかった」



 レティシアが望めば、基本、断らないエディウスである。



 魔剣クリムゾンから紅炎が消滅したことで、はやくも形勢の変化を察知した大サソリは、様子を覗いつつも距離を詰めはじめた。



 酷な要求をした張本人は今ごろ心配になり、新たな魔法を構成しながら、幼馴染の背中に声をかける。



「エディ、大丈夫?」



 わずかに顔を向けたエディウスの口角があがり、



「問題ない」



 余裕たっぷりの笑みが返された。







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