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第5話



 大きな手、広くなった肩幅。



 レティシアの記憶にあるサイラスは、4年前に御茶会で顔を合わせた12歳の少年だった。



 しかし今、目の前にいるのは、すっかり大人の顔をした青年で、キラキラと輝く金髪と吸い込まれそうな澄んだブルーの瞳から、レティシアは目が離せなかった。



「……レティシア嬢、あの、どこか痛めてない?」



 名前を呼ばれていることに気付いたのは、少し困ったようにこちらを見つめるサイラスの手が、レティシアの肩に触れたときだった。



「も、申し訳、ありま……せん!」



 皇太子サイラスを、芝に押し倒したままだったことに顔を青くしたレティシアが飛び退く。



「殿下こそ、お怪我はありませんか?」



「ああ、大丈夫。痛……イテッ」



 大丈夫と云いながら、後頭部を押さえたサイラスを見て、レティシアはすぐにうしろにまわった。



「失礼します。あ、コブになっていますね。癒してもいいですか?」



「え、ああ」



 柔らかな光がレティシアの手に集まり、患部を癒していく。



「終わりました。まだ痛みますか?」



「いや、スゴイな。これが、キミの回復魔法か。なんか、頭まで軽くなった気がする。ありがとう」



「それでは、わたしはこれで!」



「え、あ、ちょっと待って」



 立ち上がりかけたレティシアの手を、ふたたびサイラスが掴んだ。



「殿下?」



「わ、悪い。でも、その、また僕は、何か失礼なことを云ったのかと……」



「いえ、そんなことはありません。ただ……」



「ただ?」



「その、サイラス殿下は、わたしのことを快く思っていないでしょうから……」



「そんなことないっ! 絶対にないっ!」



 逃がさないとばかりにサイラスは、もう片方のレティシアの手も取った。



「もし、あのときのことを!」



 そこで、ゴクリとサイラスの喉が鳴った。



「4年前、僕を助けてくれたキミに酷いことを云ってしまって、ずっと後悔していた。この手を強く払ってしまって……ずっと、ずっと謝りたかった」



 緊張感がレティシアにも伝わってくる。



「それから、御礼を云いたかったんだ。あのとき、あらゆることから僕の立場を守ってくれて、ありがとう。心からキミに感謝している」



 心地良い夜風が、2人の間を流れていく。天頂に輝く星々が、庭園をやさしく照らしていた。



 星空の下。



「誤解が解けて、本当に良かった」



 胸をなで下ろすサイラスのとなりには、レティシアが座っている。



 あれからしばし、



「申し訳なかった」



「いいえ、殿下! どうぞ、御顔を上げください」



「いや、もっと早く謝るべきだった」



「お気持ちは、もう十分伝わりましたから!」



 そんなやり取りがつづき、ようやくふたりは並んで長椅子に落ち着いた。



「レティシア嬢、改めて『魔毒士』の特務試験合格おめでとう」



「ありがとうございます、殿下」



「本当にすごいな。もちろん才能も素晴らしいけど、日々の努力があってこそだと思う。そうでなければ、あれほど難しい特務試験は受からないから」



「いえ、わたしの努力なんて……実務をこなしながらあらゆる勉学に励まなければならない殿下に比べたら、本当に微々たるものです」



「そんなに謙遜しないで。でも、僕の努力を評価してくれて、ありがとう。嬉しいよ。僕のそばには、けなすか、毒づくか、揚げ足を取るかしかしない、尋常じゃないほど性格の悪い側近しかいないから」



 歯に衣着せないサイラスの言葉に、レティシアの目が丸くなる。



「けっこう、厳しい環境なんですね」



「日々、逃げだしたいよ。でも、これでも皇太子だからね。役目は果たさないと」



「頭が下がります」



「いやいや、本当に大したことはないんだ。げんにこうして式典から抜け出してサボっているワケだしね」



「それを云うなら、わたしもです。華やかな場所には慣れなくて」



「ここ、ちょうどいいと思わないか? 隠れてサボるにはうってつけなんだ」



「ふふ、たしかにそうですね」



「ああ、ずっとこうしていたいな」



 そんなワケにはいかないことを、だれよりも分かっていながら、この束の間の夢のような時間をあともう少しだけ——と、見上げた夜空。サイラスは星に願った。



 あと少し、もう少しを繰り返し、サイラスとレティシアの話は尽きなかった。



「薬草園のことは、母からも聞いているよ。効能は首都でも評判だし、地方のヒーラー不足を補う役割として、とても大きいと僕も思う」



「はい。わたしもそう思うのですが、まだまだ需要に生産が追いつかなくて。流通に関しても兄が力を注いでくれているのですが」



「流通か……どうだろう、レティシア嬢。もしかしたら、そこは僕や幼馴染みの側近が協力できるかもしれないよ。1度話をきかせてもらえたら嬉しい」



「本当ですか? 是非!」



「それじゃあ、近いうちに僕の執務室に顔を出してくれたらいい。都合が良いときでいいからね」



「はい、わかりました」



 ゆっくりとサイラスは、長椅子から腰を上げた。



「まだまだ話していたいけど……もう、そろそろ行かないとね」



 名残惜しげに、レティシアへと手を差しだす。



「はい、殿下」



 その手を取り、立ち上がったレティシアが笑顔をむけた。



「今さらなのですが、サイラス殿下、お誕生日おめでとうございます」



 花がほころぶとは、こういうことか。



 自分にむけられた純粋な笑顔に、サイラスの胸が高鳴る。大広間から漏れ聞こえてくる宮廷音楽は、軽やかな3拍子を奏でていた。



「レティシア嬢、良かったら最後に1曲、僕と踊ってくれないかな」



「喜んで」



 星空の下で踊った円舞曲ワルツを、サイラスは一生忘れられそうになかった。






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