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第4話



 黒衣の魔導士ジオ・ゼアと母ローラの関係は、ひとまず置いておいて。



 レティシアは魔獣の毒についてたずねる。国家特務機関に所属する魔導士であれば、多少なりとも情報はもっているだろう。



「魔獣の解毒剤は、本当に作られていないの?」



「作られてない」



「どうしてなの? だれも必要性を訴えないの?」



 椅子を引いたジオ・ゼアは、レティシアの前に腰をおろした。



「いいかい、お嬢さん。魔獣に襲われるのは、ほぼ9割が山間の土地に住む人間だ。残りの1割は、運悪く遭遇してしまった冒険者か、辺境地帯の部隊くらい。つまり……」



 ジオ・ゼアの顔が険しくなる。



「伯爵位以上の貴族が魔獣に襲われて、魔毒士が近くにいなかったせいで、死んでしまった——なんて報告が複数あがらない限り、だれも解毒剤の必要性なんて考えないさ」



 そういうことか。



 前世だろうと、異世界だろうと。魔法があろうと、なかろうと。



 君主を頂点とした貴族社会の歴史は、それほど変わらないということだ。もっと云えば、「採算と研究は別物です」と主張したアンナを鼻で笑った教授連中と同じだともいえる。



 強力な権力の統制を打ち崩し、新しい風を吹かせるには、忍耐に忍耐を強いられた民衆の反乱か、良くも悪くも異端者か破壊者の登場が必要になってくる。



 しかし——どちらにせよ、この世界では多大な犠牲が伴うだろう。



 レティシアは溜息を吐いた。反乱よりも平和的に、異端者と破壊者が現れるのを待つよりも早急な解決策は、これしかないような気がする。



「少々賢い皇子が王座につくよりも、ぎょしやすい馬鹿が王になるべきね。その方が話しは早そう。でも、わたしの云うことなんて、訊いてくれるかしら。こういうことは、お兄様の方が上手そうね」



 その言葉に、ジオ・ゼアは腹を抱えて笑い、ついには椅子から転げ落ちた。



「ねえ、お嬢さんが云う、御しやすい馬鹿って、皇太子のことだろう。きっと、そうだ。たしか、お嬢さんのことを御茶会で『ヘビ女』って云ったんだろ」



 ヒィーッ、ヒィーッと、床を叩きながら笑うジオ・ゼアを見て、レティシアは深い溜息を吐いた。



 皇宮の敷地内とはいえ、離れた場所にある特務機関の魔導士までが『御茶会』での一件を知っているということは、社交界どころか、首都全体に噂が広がる日も近い。こうなってくると、おいそれと外を歩く気にもなれない。



「この図書館にも、足を運べなくなるわね」



「その方がいいかもね。どちらにせよ、お嬢さんは目立ちすぎる。貴族が毎日通っていたら、すぐに噂になって人が集まってくる」



「残念だわ。皇室図書館につづいて、ここもダメだなんて……読みたい本がたくさんあったのに」



 レティシアの言葉に、ジオ・ゼアの金色の瞳が輝いた。



「いいよ、お嬢さん。笑わせてくれた御礼に、皇室図書館で読みたかった本の一覧を書いてくれたら、僕がスペンサー家の別邸タウンハウスまで本を届けてあげる」



「貴方が? でも、皇室図書館の本は持ち出し禁止のはずよ」



「へえ、あんなに面白いことを云うわりに、案外ルールは守るタイプなんだ。でも、読みたいんでしょ。魔獣の毒に関する本なら、ここより、もっとたくさんあると思うけどな。知りたくないの? 例えば、魔毒を持つ毒蛇種のこととか」



 上手に挑発してくるジオ・ゼアを前に、レティシアの倫理観はもろかった。近くにあった帳面に、サラサラとペンを走らせる。



「はい、これ。できれば早いうちにね」



「了解しました。お嬢さん。今夜にでも何冊か届けるよ。窓の鍵は開けておいて」



 こうして、魔導士ジオ・ゼアとスペンサー侯爵令嬢の密会がはじまったのだ。








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