『皇后陛下の御茶会』から1週間が過ぎた。
皇太子サイラスはいまだに、厳戒態勢のなかにいると、母ローラが教えてくれた。なぜなら、今回の急襲が自然発生したものか、人為的なものか。いまだに皇宮内では意見が割れていた。
「引き続き調査中なのよ。どうも決め手に欠ける報告ばかりで……上手く云えないのだけど、何か大きな掌の上で踊らせているような気がしないでも、ないのよね」
難しい表情をした母ローラは、今日もロイズを連れて皇宮へ向かっていった。
父ゼキウスはというと、エディウスの父であるトライデン宰相からの要請でしばらく邸には帰れそうにない。それについて、ゼキウスは不満タラタラだった。
「なぜ、俺が常駐しないといけないんだ。皇宮内の警備は近衛隊の管轄だろう。しかも、よりにもよってあの金髪バカの警護なんて、まったくやる気が起きない」
母ローラに愚痴っていた父の云い分はもっともだが、皇宮から要請されるのも致し方ないと、レティシアは思った。
なぜなら、冒険者時代は要人警護の依頼を多く受けていた実績があり、いざというときに直接攻撃にも魔法攻撃にも対応できるのは、『大地の聖印』持ちである父ゼキウスぐらいだろう。
とはいっても、すぐに命令に従うような父ではないので、要請を受けた直後は、
「はぁっ?? 金髪の警護? おまえが居ればいいだろ。何かあったら全部燃やせ。なんなら金髪バカごと燃やしてしまえ」
急襲事件の調査、指揮を任せられているトライデン公爵に喰ってかかったそうだ。
しかし、相手の方が数枚上手だった。
「ゼキウス、おまえなぁ……そうはっきり云うな。皇族に対する不敬罪で捕まるぞ。俺だって、内政に加えて、急襲事件の調査担当まで押し付けられて大変なんだからな。あっそうだ! いいことを思いついたぞ」
「なんだ? 云ってみろ」
「サイラス殿下の警護をそんなに嫌がるなら、お望みどおり俺が代わってやる。そのかわり、おまえが宰相代理になって、通常の内政業務の書類と調査報告書の山に囲まれてくれるならな」
提示された交換条件に、ゼキウスは一言も云い返せず退却した。
結局、事態が収束するまで、皇宮内での待機要請に従うしかなくなったわけだ。
そんなわけで、ひとりスペンサー邸に残されたレティシアは、のんびりと云えば聞こえはいいが、つまるところ非常に退屈な日々を過ごしていた。当然ながら皇宮には、あれから一度も足を運んでいない。
「まぁ、予想していたとはいえ、人の口に戸は立てられぬ──よね。これぞ、社交界って感じだけど」
『皇后陛下の御茶会』にて、皇太子サイラスが黒蛇の急襲にあった件は、参加者全員に皇家より厳しい緘口令が敷かれていたはずなのだが……
【サイラス殿下、絶叫! スペンサー侯爵令嬢はヘビ女!】
新聞の見出しになりそうなこの噂は、今現在、社交界で一番ホットな話題となっているようだ。
「トレンドって、ヤツね」
これに激怒する父や兄をよそに、レティシアとしてはそこまで気にしてない。
柊アンナだった現世でも、毒蛇を相手に嬉々として研究に没頭する姿を見られては、同年代の学生たちに「またやってるよ」と、遠巻きにされていたぐらいなのだから。
「柊アンナ、キミの研究分野は悪くない。なかなかどうして神秘的だ」
わざわざ肯定の言葉を告げにきたのは、
「僕はいつか、偉大な魔法使いになる!」
天才でありながら科学界きっての問題児だったあの男だけ。
そんなわけで、皇太子に【ヘビ女】と云われたところで傷つくこともなく、落ち込むこともなかった。それどころか、「これで皇太子妃候補云々の話も消えたわね」と喜んでいたぐらいなのだ。
ただ、惜しむべきは──
「皇室図書館には行ってみたかったなぁ」
それぐらいだ。
皇宮内にある皇室図書館は、魔法書から歴史書、古文書から禁書まで、いわゆる専門書といわれる蔵書が圧倒的に充実していた。皇国内の知識が、『すべてここに』といっても過言ではない。
入手難易度Aクラスの『古代☆魔法全集~魔毒篇~』を熟読していたレティシアは、ほかに【魔獣篇】【魔石篇】があることを知り、これらも読んでみたいと思っていたそんなとき。
「皇室図書館なら、全巻揃っていると思うけど」
母ローラの言葉に喜び、今回の首都滞在中にすべて読破するつもりでいたのだが──社交界シーズンがはじまって早々、例の事件が起きてしまい、皇室図書館へ足を運ぶ機会は失われてしまった。
前世とはちがい、転生先の図書館に貸出制度はない。つまり、現地に出向いて読むほかないのである。
「読みたかったなぁ」
そんなレティシアの願いを叶えるべく、妹を溺愛する兄ロイズは、母ローラに付いて連日皇宮を訪れ、午前中は母の仕事を手伝い、午後からは皇室図書館でせっせっと複写に励んでくれている。
そんな兄から、朗報がもたらされたのは昨日。
レティシアが読みたいと思っていた専門書の複製本が、「アシス中央図書館にも、何冊かあるらしい」という情報を、皇室図書館の司書から仕入れてきてくれたのだ。