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第11話



 その日、レティシアが首都にあるスペンサー家の屋敷に戻ってきたのは夕刻を過ぎたころ。



 母ローラに「疲れたでしょう。また明日話しましょう」と気遣われ、ありがたく自室に下がらせてもらう。



「さすがに疲れたなぁー」



 寝台のうえで大の字になっていると、ドドドドドドドドドッ──と、久々に地鳴りのような足音が廊下から響いてきた。ついで、屋敷が震えるような大声が轟く。



「今、帰ったァァ!! 聞いたぞ、ローラ!! あのッ、金髪バカが、俺の愛娘に吐いた暴言の数々! あれは本当なのかっ! だったらコロス!」



「本当です、父さま! レティに助けてもらいながら多大なる誤解を招く言動を吐き、恩を仇で返すという愚行をはたらいた建国史上最大の浅慮で短慮なバカ皇太子に極刑をっ!」



 火に油を注ぐ、兄の声もする。



 やれやれ──いまごろ、母さまが必死に宥めているだろう。



 湖での一件は、皇后エリスやローラ、駆けつけた近衛騎士団長が揃った居室で、冷静さを取り戻したエディウスにより、理路整然と説明がなされた。



「わかりました」



 皇后エリスは、厳しい表情で告げた。



「今回の件は、黒蛇が自然発生したとは考えにくいという、エディウス卿の考えに、わたしも同意するものがあります。しかしこれ以上は、憶測での発言はできません。エディウス卿とレティシア嬢の働きは見事でした。これらを踏まえて、わたしくしと近衛騎士団長から陛下に報告させてもらいます」



 そう云って、すぐに退席した皇后エリスだったが、レティシアの前を通り過ぎるとき、



「レティシア嬢、怪我がなかったようで安心しました」



 そう声をかけつつ、わずかながら目を伏せてくれた。これは、公の立場である皇后エリスにとって最大限の謝罪である。



 これにより、『皇后陛下の御茶会』の最中さなかに起きた【黒蛇の襲撃】において、茶会の参加者であり、なおかつ大蛇を守護精霊に持つレティシアへの嫌疑は、ほとんど晴れた──のだが、貴族令嬢たちから広がる噂の歯止めにはならないだろう。



「皇宮にはしばらく行けそうにないわね。皇室図書館で色々調べたかったんだけどなぁ」



 レティシアは残念そうに、寝台で寝返りをうった。






 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 






 そのころ──



 皇宮内にある皇太子の居室前では、等間隔に配置された騎士が警護にあたっていた。皇太子が何者かの手引きによる黒蛇の急襲受けたことで、まさしく厳戒態勢である。



 そんな鳥籠のような居室にいる皇太子サイラスであったが、そんなことはどうでもよかった。それよりも何よりも、自身の痛恨の失態に頭を抱えていた。



 やってしまった。最悪だ。



 自責の念やら、罪悪感やら。あらゆる後悔が押し寄せてきて、胸に押し留めきれない悔恨が、口から漏れ出る。



「よりにもよって……あんな大勢の前で……なんてことを云ってしまったんだ。彼女の手をあんなにも強く払ってしまった……ああ、もう、どうしたらいい」



「もう、どうにもなりませんね」



「…………」



 側近は相変わらずの冷たさだった。



 皇太子サイラスの大後悔は、レティシアに暴言を吐いた直後からはじまっていた。あのとき、なぜ感情を抑え込めなかったのか──と悔やむ。



 おびただしい数の黒蛇の急襲に、動揺したのはたしかだ。しかし、まだ周囲の状況を確認し、令嬢たちを誘導することはできていたのに……



 突如として正面から鋭い牙を剥き出しにして迫りくる白大蛇を見た瞬間、全身が凍りついてしまった。正直、非常に怖かった。想像を絶する恐怖だったといえる。



 しかし、あれはない──大蛇のトグロから解放され、レティシアの顔を見た瞬間、それまで冷え切っていた身体に生温かさを感じ、自分が股間を濡らしていることに気が付いてしまった。



 しかも生まれてはじめて、自分から好意を自覚したばかりの令嬢の前で。



 黒蛇の襲撃前。



 茶会に招待された令嬢たちをともない、白亜宮の裏庭にある湖に向かっているときから、サイラスは気になって仕方がなかった。



 自分を取り囲む令嬢たちから遠ざかること十数歩。退屈です──と云わんばかりの顔でついてくるスペンサー侯爵令嬢のことが。



 膨大な魔力を有し、高位精霊の加護を受けているにもかかわらず、これまで公の場に姿を現すことはほとんどなく、首都アシスに届くような目立った噂も聞いたことがなかった。



 しいていえば、領地であるデヴォンシャー領内で毎月行われるという『治癒サロン』が領民や冒険者たちに絶大な人気があるということぐらい。



 未来の皇太子妃候補の選定を兼ねた茶会に参加するにあたり、サイラスは事前に出席者の一覧に目を通していた。



 そこに、スペンサー侯爵家のレティシア嬢の名を見つけたとき、



「高位精霊の加護を受けた再生回復士ハイヒーラーか……」



 わずかながら興味が沸き、ほかの令嬢とは何かちがうのだろうか。どんな話に興味を持つのだろう。多少の期待もしていたのだが、実際に会った令嬢は──



「レティシア・アンナマリー・スペンサーです」



 招待客なかで、だれよりも短い挨拶をして口を閉じてしまった。



 それ以上、語ることなし。振りまく愛想は微塵もなし。






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