一定量の魔力を有する者は、他者の魔力をはじめ、目には視えない力を認知することができる。それは人に限らず、魔獣や魔石、聖樹などなど、有形、無形問わずだ。
今、レティシアの目の前にある老樹は、高さはないが、太い幹と横に広がる立派な枝を持っていた。幹の中央には、窪んだ節が並んでふたつあり、まるで年老いた動物の目にも見える。
盛りの過ぎた樹に葉は少なく、これでは日陰の役割も果たせないだろうが、目のような節のすぐ下、まるで口のように空いた樹洞からは、間違いなく神聖な魔力の波動を感じることができた。聖樹にまちがいない。
燃焼系の特化魔法を持つエディウスも、当然、気づいていた。
「……生命の魔力、いや聖力といった方がいいかもな」
「そうね。だいぶ力は衰えているけど、長い間、この地に宿る生命に力を与えてきたんだわ」
周辺国と比べ、オルガリア皇国が緑に溢れているのは、この聖樹『生命の樹』のおかげかもしれない。残念ながら、もうすぐ朽ちてしまいそうだけど。
レティシアとエディウス、そしてロイズが名残惜し気に老樹を見上げていたときだった。湖に架けられた桟橋から激しい水音が聞こえ、同時に悲鳴が上がった。
湖畔を眺めていた令嬢たちから一斉にあがった甲高い声に、老樹から振り返った三人は、目に飛び込んできた光景に驚きを隠せなかった。とくにレティシアとエディウスにとっては、あまりに見覚えがある光景で、6年前の記憶が一気に蘇った。
凪いでいた湖面に突然あがる水飛沫。桟橋にいた殿下や令嬢たちに飛びかかっていくのは──体長2メートル前後の黒蛇だ。ただ、あのときと違うのは、その数が……あまりに多いこと。
湖面に向かって伸びる桟橋の端を取り囲むように、ほぼ180度の角度から一斉に飛び出してきた黒蛇たちは、100匹をゆうに越えている。
いち早く反応したエディウスが、すぐさま魔力を練り上げ、強力な火炎弾を放った。逃げまどう令嬢たちの頭上をかすめるように放たれた無数の火炎弾が黒蛇たちに命中し、次々と炎に包まれていく──が、あまりに黒蛇の数が多かった。
半数は逃れ、先に令嬢たちを逃そうと桟橋に留まった皇太子に襲いかかる。側近であるルーファスが「殿下!!」と近づこうとするも、幅の狭い桟橋から逃げてくる令嬢たちに行く手を阻まれ、なかなか近づけない。
レティシアは、両手に魔力の光を集めながら兄に告げた。
「兄さま! 母さまたちに知らせて!」
「わかった! 気を付けて、レティ!」
背中を向けた兄が、全速力で駆けていく。その間にもレティシアは魔力を増幅させる。あと、もう少し。
レティシアは光の魔力で防護壁をつくり、サイラスを包み込もうとしていた。しかし、湖面がふたたび、激しく揺らぎはじめる。マズイ。次に何が起きるか……それは追撃だ。このままでは、光の防護壁は間に合わない!
咄嗟の判断だった。レティシアは右手の腕輪に、増幅させた魔力を流し込み、『ヒギエア!!』守護精霊を呼んだ。
あの日、シスの洗礼式で、「あれは、白龍の仔だ!」と神獣扱いされたが、どこからどうみても白蛇だったので、前世、薬学研究者であった身からすると神聖な白蛇といったら、やはり薬学のシンボル『ヒュギエイアの杯』なので、健康の女神にちなんで守護精霊を「ヒギエア」と名付けたレティシア。
「────シャァァァァッ!」
呼び声に応じて姿を現した白蛇ヒギエアは、レティシアの魔力の増幅により巨大化。まさしく龍のごとき大きさだった。
ほぼ同時にはじまった黒蛇の追撃に対して、白鱗に覆われた巨体を鞭のようにしならせたヒギエアは、サイラスに襲いかかる黒蛇たちを、次々と叩き落としながら、そのまま皇太子ごとグルグルとトグロ巻きにした。
「シャァァァッァ────!」
まさしく鉄壁——といっていいかもしれない。血のように赤い眼を光らせたヒギエアの威嚇に、圧倒的な力の差を本能的に感じ取った黒蛇たちは、あきらかに怯んだ。
そこにエディウスの火炎弾が飛んできて、ついには湖に逃げ込んで姿を消したのだった。