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第7話



 皇太子である。このままいけば、たぶん次期皇帝である。



 この場に招待された貴族令嬢ならば、少しは好意的に……と思うのは、傲慢なんだろうか。



 その後、令嬢の兄がこれまた愛想の欠片もない顔で挨拶してきたが、動揺に気付かれまいと、サイラスは必死だった。それにしても、兄妹そろって非友好的なこの態度。反皇室派の貴族だって、ここまで酷くない。



「サイラス……サ~イ~ラ~スゥ~」



 恐母に呼ばれていることに気が付いたのは、うしろから口の悪い側近に「殿下」と、肘をツンツンと突かれたとき。



「……エッ、ああ、はいっ!」



 我に返って見上げると、鉄仮面の笑顔には亀裂が入りかけていた。非常にマズイ。青くなった息子に、母は命じる。



「御令嬢たちに聖樹の庭園を案内してはいかがかしら?」



「……はい、母上」



 サイラスには、こう聞こえた。



『おまえは、満足に返事もできないのか。よりにもよって、スペンサー侯爵の前で何度も呼ばせて……いいから、さっさとこの場から消えろ』



 これは説教3時間コースだと、サイラスは覚悟した。



 御茶会が開かれている庭園は、現皇帝ユリウス・オブ・オルガリアと皇后エリス、そして皇太子サイラスと今年5歳になる双子の皇子たちが暮らす白亜宮の前庭である。



 緑に囲まれた美しい宮。その裏にある後庭は『聖樹の庭園』とも呼ばれ、滅多なことでは立ち入ることができない皇族一家のもっともプライベートな空間だった。そこに案内されているレティシアは、至極つまらなそうに歩いていた。



 実際、本当につまらない。皇宮内の庭園は、どれも似たり寄ったりで、皇帝が住む白亜宮の庭ならば、稀少な樹木があるかと思って期待していたのだが……



 おかかえ庭師によって均一に刈り込まれた芝には、薬草などひとつも生えていないし、植樹されている庭木にしろ花にしろ、よくある観賞用のものばかり。いまのところ、目を引くようなものはひとつもなかった。



 そんなレティシアとは対照的に、数メートル先を歩く一団は、皇太子サイラスを先頭に、令嬢たちが団子状に固まって歩き、キャッキャッと笑い声が絶えない。スゴイな。レティシアは感心していた。



 皇太子の両サイドには、公爵家の令嬢ふたりがピタリと寄り添っている。その後ろからは侯爵家以下の令嬢たちが虎視眈々と隙を狙っている状況だ。まだ少女と呼べる年齢ながら、その目はもうしっかりと『女』と呼べるものだった。



 御令嬢たちから熱烈な視線を向けられる皇太子サイラス・レイズ・オブ・オルガリアは、夏空のようなブルーの瞳と光輝くブロンドの髪を持っていた。



 これまで皇宮内の行事には、ほとんど出席したことがないレティシアは、かなり美化されたと思われる肖像画でしか皇太子の姿を見ていなかった。



 しかし、なかなかどうして、宮廷画家は写実的な描写を心掛けていたようだ。レティシアが見たところ、実際のサイラスは肖像画とほとんど変わらなかった。



 加えて雰囲気も【ザ・王子様】といった感じで、次代の皇帝になるべく様々な教育を受けているせいか、立ち振る舞いすべてに気品と威厳があり、牽制し合う令嬢たちのことも上手くいなしてる。



 皇国内において、次期皇帝というオプションは最強で、容姿も良く、社交術もあるとなれば、それは魅力的だろう。未来の皇太子妃の座を狙う令嬢たちにとっては——



 しかし、前世28歳だった柊アンナの記憶を持つレティシアにとってみれば、12歳の皇太子はやはり、まだまだ子どもだった。自分はさらに幼い子どもの姿をしているのだが、それはさておき、とてもあの一団に加わる気にはなれない。



 せめて、もう少し大人になってからだったら、興味を持てたかもしれないけど……今の時点では、おとぎ話の王子様を遠巻きにしているのがちょうど良かった。



 かく云う、そんなレティシアのとなりにも、ピタリと寄り添うふたりがいるのだが。ひとりは兄ロイズで、もうひとりはトライデン公爵家のエディウスだ。ふたりは、レティシアの頭の上でさっきから、どっちもどっちな云い合いを繰り広げている。



「エディウス様も、姉君を見習ってサイラス殿下のおそばに行けばいいのではないですか?」



 エディウスの2歳上の姉ディアナは、皇太子妃候補の最有力といわれている。現在、皇太子を巡って宿敵シュバイン公爵家アイリス嬢との一進一退の攻防を、最前列で繰り広げている最中だ。



 姉の奮闘を遠巻きに見ているエディウスは、ロイズに含み笑いを返した。



「ロイズ様が行った方がいいのでは? 殿下に気に入られて側近にでもなれば、はやく出世できますよ。母上である侯爵はとても優秀な方だから、周囲の期待が大きくて大変でしょう。俺は自力で出世できそうなので譲ります」



 それに対してロイズは、「へぇ、奇遇ですね」と口角をあげる。



「わたしも実力で出世するタイプなので、どうぞご心配なく。すでに、薬草園の経営で忙しい身ですから。公爵家の庇護下にあるエディウス様がご自身で功績を残せるようになるまでには……早くて5年、いや8年。ああ、その間にどれほど稼げてしまうでしょうか。レティの研究を一番近くで支え、金銭的にも多いに貢献出来るでしょう」



 こちらも一進一退の攻防がつづくなか、殿下一行の後ろにつづくレティシアたちは、庭園の最奥にある湖に到着した。



 さほど大きくない湖には水鳥たちがいて、湖面は穏やかに凪いでいる。ここにきてようやくレティシアは、サイラス殿下に付いてきて良かったと目を輝かせた。



 なぜなら、湖のほとりで見つけた一本の老樹は、まごうことなく神聖な力を帯びていたからだ。







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