オルガリア皇国には、皇帝を頂点とした皇族の下に、厳格な貴族階級がある。現在、皇国内には公爵位が三家あり、以下、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家とつづく。
次期皇帝である皇太子の妃候補の選出は、おおむね皇太子が成人を迎える2、3年前からはじまるのが慣例であり、正式に皇太子妃候補として名前があがる前の通過儀礼にあたるのが『皇后陛下の御茶会』である。
この茶会に招待されない家門は、いかに公爵家であっても皇太子妃候補にはなりえない。つまり、茶会に招待されさえすれば、子爵家、男爵家であっても皇太子妃候補となる可能性はあるというわけだ。
皇国内の貴族階級はおよそ100家。例年どおりであれば、招待されるのは10家ほどであるから、ローラの手にあるこの招待状は、他の貴族からすれば喉から手がでるほど欲しいものである。
しかし──同じく皇太子妃候補だった母ローラは、妃候補たちが受けねばならない数々の教育と、候補である限り滞在しなければならない窮屈な皇宮暮らしを思い出すと溜息しかでない。
庭園で、嬉々として領民たちに薬草を渡しているレティシアが、それらを好むとは到底思えなかったし、何よりも、稀に見る高位精霊の加護を受け、溢れる魔力を持つ
そのとき、人がまばらになってきた庭園の入口付近に、緋色の騎士服に身を包んだ一団が現れる。団を率いているのは、トライデン公爵家の子息エディウス・フレイ・トライデンだ。9歳とは思えない身のこなしで馬からおりたエディウスは、まっすぐにレティシアの方へと歩いていく。
執務室の窓からそれを見たローラの溜息は、さらに深くなった。ああ、今日もまた、もうひとつの頭痛の種がやってきた。
秋が深まってきた庭園では、幾何学模様の迷路のように整えられた生垣もすっかり紅く色づいている。その中を迷うことなく歩いてくるのは、夕空のような騎士服に、さらに鮮やかな夕陽のような輝きを放つ髪をなびかせたエディウスだ。
秋生まれのエディウスと、冬生まれのレティシアは同い年で、誕生日も3か月しか離れていないというのに、エディウスはすでに頭ひとつ分背が高く、身体付きも同年代の子息とくらべて一回りは大きく成長していた。
レティシア同様、膨大な魔力の持ち主で、燃焼系特化魔法に秀でている。攻撃型である燃焼系魔法は、領地にもその名を持つトライデン領トライデン公爵家に脈々と受け継がれる能力で、当代の当主である公爵もかなりの実力者である。
現在はオルガリア皇国の宰相を務めているが、若かりし頃の彼が国境付近の部隊を率いて大活躍していたのは有名な話だ。もし『大地の聖印』持ちであるゼキウスがいなければ、おそらく軍を統括していたのはトライデン公爵であっただろうと、誰もが口を揃えて云う。
その息子であるエディウスは、当然ながら幼いころから燃焼魔法の師について学ぶ傍ら、剣や弓、槍といった武器の基礎訓練を受けている間に、元々恵まれた骨格がさらに大きく成長していた。
「いらっしゃい、エディ。今日はどこをケガしているのかしら」
「レティ、久しぶり。そんなに酷くはないよ」
「そうかしら、顔に手、見えている部分だけでも傷だらけなんだけど」
「今日はレティに会える日だから、ちょっと張り切って鍛錬しすぎたかな」
両手を見ながら、少し恥ずかしそうに笑ったエディウス。仕える主の滅多にない笑い声を聞いたトライデン家の者たちは、一様に疲れ切っていた。はっきり云って──ちょっと、どころではなかった。
レティシアの手の中で、やわらかな光の粒が生まれていく。
風に乗った光の粒が緋色の一団に降り注ぐと、新しい生傷も、渇いた治りかけの裂傷も、皮膚の表面からすべて消え失せた。
「体力を消耗しているし、筋力の疲労もあるようだから……」
騎士たちを取り巻く光の粒から伝わってくる症状に、レティシアが手にしたのは研究中の黒い
これは回復に特化した薬草をすり潰しながらレティシアが魔力を練り込んだもので、豆粒ほどの大きさに凝縮されているのは、肉体疲労時に不足しやすい成分の補給魔法と筋肉の炎症を抑える消炎効果魔法だ。
「はい、どうぞ。試してみて」
魔薬は浮遊して、それぞれの手の中へ。つぎに、騎士たちが最も楽しみにしているレティシア特製の薬草茶が、スペンサー家の侍女たちによって配られていく。
武闘派揃いのトライデン家にはいない清楚系で可愛らしい雰囲気の侍女たち。少々苦みのある薬草茶も、どこか甘さを感じるのである。
「はい、エディ」
レティシアから渡された茶で、魔薬を流し込んだエディウスは、いつもながらその即効性に驚いていた。すごいな。ここを訪れる前に、あれほど消耗させてきた体力も、ギリギリまで痛めつけてきた筋力も、薬草茶が喉を通るうちに、たちどころに回復していく。
実践での使用について考えを巡らせていたエディウスだったが、
「この間の薬よりも、免疫力を高める成分を多く配合してみたの。もし、副作用があったら教えてね」
心配そうな顔で見上げてくるレティシアは文句なしに可愛らしくて、自然と頬が赤くなっていく。
「あら、発汗してる? 熱でも上がったかしら」
「いや、ちがう。これは……まぁ、俺の体質のようなものだから、とくに心配ない」
「そうなの? でも、いつも治験に付き合ってくれて本当にありがとう」
「構わない。俺も騎士たちも、回復魔法を受けられるし、薬草や魔薬を譲ってもらって、とても助かっているから」
「今日もたくさん用意しているから持って帰ってね。でも、あまり無理しないで。ケガは治るけど、やっぱり痛いのは嫌だもの」
初心な公爵家の子息と愛らしい令嬢の微笑ましい会話を盗み聞きしたスペンサー家の侍女たちは──
『くぅぅぅ~ 本日も
『きたこれ! 甘酸っぱい
清楚な顔の下で、