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第1話



 月日は流れ、レティシアは9歳の誕生日を迎えた。



 オルガリア皇国の北西部に位置するデヴォンシャー領は、スペンサー家が代々領主をつとめる緑豊かな領地だ。デヴォンシャー侯爵ローラ・ロザリアンヌ・スペンサーは、第11代スペンサー家当主であり、皇国内で絶大な人気を誇る女侯爵である。



 その気品と美貌から、社交界では『オルガリアの華』と呼ばれる彼女は今、執務室の窓辺から庭を眺めて、大いに頭を悩ませている。視線の先には、屋敷の庭園で月に一度の「治癒ヒーリングサロン」を開く愛娘がいた。



 洗礼式にて回復系魔法に特化していることが判明したレティシアは、ほどなくして父ゼキウスに願った。



「父さま、お願いがあるの。優秀なヒーラーの方に、回復魔法を習いたいのだけど」



「それなら、母さまに訊いてみよう。回復魔法を扱える貴族の知り合いがいるはずだ。俺が知っているヒーラーは、冒険者時代の仲間しかいないから」



「冒険者だとダメなの?」



「いや、ダメじゃないが……その、もう分かっているとは思うが、お行儀が悪いヤツしかいないぞ。ガイウスみないな口の悪いヤツばかりだし」



「わたしは、より実践的な回復魔法を覚えたい。1日に消費できる魔力は限られているから、使い方しだいでかなりの差が出てくると思うの」



「……そのとおりだ」



「いかに魔力の消費を抑えながら効率的に治癒していくか。危険な森や洞窟で依頼を完遂しなければならない冒険者の方たち以上に、それを知っている貴族なんているかしら? 行儀作法は大丈夫。それこそ見栄っ張りな貴族らしい貴婦人たちを見て学んでいるから」



「…………」



 執務中のローラのもとにやってきたゼキウスは、頭を抱えた。



「ローラ、俺たちの娘は、本当に3歳なのだろうか。あまりに賢すぎる。俺は、何一つ反論できないまま頷いてしまった! ああ、どうしようっ! もし、冒険者になりたいなんて云いだしたら! あんなむさ苦しい男たちの世界に、俺の可愛いアンナマリーがぁぁぁ!」



 むさ苦しい男の筆頭だった元S級冒険者は激しく狼狽ろうばいし、そして嘆いた。



「いやだぁ! なんとかしてくれ、ローラ!」



 結果、なんともならなかったワケだが。



 それから数年間、レティシアは3人のヒーラーに回復魔法を師事した。そのいずれも、現役冒険者や元冒険者で、すっかり出入りしやすくなったのか、侯爵家には回復士以外にも、多くの冒険者たちが出入りするようになった。



「おーい、ゼキウス。レティシアちゃんはいるか? 頼まれていた『癒草の種』が手に入ったから持ってきた」



 ガイウスは、ほぼ月一で訪れ、入手困難な薬草を手土産に持ってくる。レティシアの最初の師匠となったロゼッタは、依頼された仕事を終えるたび、まるで自分の家のように帰ってきて、



「わたしの愛弟子、マジ天才! ガチ万能!」



 成長著しいレティシアの才能に身震した。そして、極めて貴重な『古代☆魔法全集』を惜しげもなく与えていく。直近では【入手難易度Aクラス】のアイテムに分類される『古代☆魔法全集~魔毒篇~』を持参してきた。



 3人目の師匠であり、元S級冒険者にして『伝説の再生回復士ハイヒーラー』と呼ばれたカイセルからは、「教えることはもう何もない。あとは好きにせい」とまで云われているのだ。



 去年、神妙な顔で執務室にやってきたレティシアに、「母さま、相談なんですが」と云われたとき、ローラは覚悟した。



——わたし、冒険者をめざしたい。



 そう宣言されるのを。娘を溺愛するゼキウスをどう説得したらいいのか、そんなことを考えていると、



「領地の一部を開墾させていただきたいのです。それから、屋敷の庭園にある温室を、わたしの研究室にしてもいいですか?」



 聡明すぎる彼女の娘は、予想外のことを口にした。屋敷の温室はいいとして、領地の開墾に関しては、さすがにおいそれと首を縦に振ることはできない。



「レティ、領地を開墾して何をしたいの?」



「薬草園を経営したいのです」



「経営ですって?」



「はい、母さま。まだ実験栽培の段階なのですが、今ある薬草を品種改良して、それぞれの効能に特化させた品種を作りたいのです」



「品種改良? それはどういうことなの」



「従来の薬草は万能とされていますが魔力で解析したところ、たしかに総合的な効果は期待できますが、成分的にはどれも効能が低い値で、これでは緩やかな回復しか見込めません。それなら、鎮痛にはコレ、裂傷にはコレ、体力回復にはコレ、といったように症状に合わせた薬草を作りたいのです。そしてゆくゆくは、保存と携帯に便利な形にしたいと考えています」



 娘がしたいことは理解できるが、どうしてそれが必要なのか、ローラにはわからない。



「ねえ、レティ。薬草に頼らずとも、ヒーラーがいれば、たいていの病気やケガは治せるわ。だから品種改良しても、そこまで必要とされないと思うのだけど」



「いいえ、需要は必ずあるはずです。なぜなら、どの国でもヒーラーは首都、もしくは主要都市に集中しているからです。近郊の町はまだいいとして、山を越えた場所にある村や、軍が駐留している国境区域では、常時ヒーラーが不足しています」



 いつしかローラは、娘の言葉に聞き入っていた。



「もし特効薬があれば、軽度なケガや体調不良は薬草の服用にて治癒が可能になり、軽傷者に魔力を割かなくていい分、ヒーラーはより重症な者に魔力を使うことができるのです。これが軌道にのれば、地方のヒーラー不足は解消され、有事の際には大きな役割を果たせるでしょう。さらに付け加えるならば、ヒーラーの回復魔法を受ける対価は、やはり領民にとっては大きな負担です。もっと安価で効能が良い薬草があれば、多くはそちらを求めるでしょう」



 なんということだろうか。ローラは目から鱗が落ちた気がした。たしかに、それは双方にとって利がある。怪我人や病人にとっては、より早く痛みや苦しみを緩和でき、ヒーラーにとっては魔力の負担軽減になる。



 どうして今まで気が付かなかったのか……と思ったローラだったが、すぐに考えを改めた。そもそも、既存の薬草を品種改良しようなんて発想は、常人には到底思いつかないものだ。







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