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第6話



 スペンサー侯爵家では代々、首都アシスにある中央神殿にて洗礼を受けている。



 平民出身の父ゼキウスをのぞき、母も兄も慣例によりそこで洗礼を受けているのだが……前回のジャガースネークの急襲により、中央神殿の警護に対する信頼は地に落ちたといっても過言ではなかった。



 レティシアの再洗礼式については、中央神殿より「なにとぞコチラで!」と涙ながらの書簡が届いていたが、「断る!」父も母も頑として譲らなかった。



 やり直しの洗礼式が行わる1週間前。



 父ゼキウスはレティシアの部屋を訪れ、「アンナマリー、これはお願いなんだけど」ひどく申し訳なさそうな顔をした。



 父は兄のことも「ルーディス」とミドルネームで呼んでいる。理由を訊けば、「俺が生まれた村では、自分の子どもにミドルネームがあれば、たいていソレで呼ぶんだ。特別な愛称だからな」と教えてくれた。



 ゼキウスの願いとは、洗礼式の場所について。



「警護の面を考えて、できれば華やかな中央神殿よりも、父さまが洗礼を受けたシスの神殿がいいと思うんだ。小さな町だから一時的に人の出入りを制限できるし、その……冒険者だったころの信頼できる仲間たちが参加してくれるようなんだ」



 なるほど。壮麗で広い中央神殿では、警護が手薄になってしまうということか。



 小さなレティシアの手を、ゼキウスはやさしく握りしめた。



「アンナマリーはきっと、母さまやルーディスと同じ、キレイで豪華な神殿で洗礼を受けたいだろうけど……父さまは、もう、あんな思いをさせたくないんだ。でも、元はといえば、大事な洗礼式の途中で抜けた俺が悪いんだけど……あの日、俺がいたらと何度悔やんだことか」



 たしかに。オルガリア皇国の将軍であり歴戦の英雄。元S級冒険者であり戦闘系魔法に特化した『大地の聖印』を持つ父であれば、蛇の急襲などいともたやすく防ぐことができたはずだ。



 紺碧の瞳に、涙が滲んでいた。とても大きく武骨な手を、レティシアは両手で握り返す。



「嬉しい。わたし、ずっと父さまと同じ神殿で洗礼を受けたかったの。花と緑に溢れた美しい神殿なんでしょう? 石ばかりの神殿よりずっといいわ。それに、父さまのお友だちが洗礼に立ち会ってくれるなんて、とても心強いわ。もう何も怖くない」



 その日、愛娘の部屋でオイオイと泣く夫を見つけた侯爵家当主ローラは、



「ゼキウス! レティの許可が下りたなら、貴方は仕事にいきなさい。いいこと、洗礼式では蛇どころか、ネズミ一匹、蜘蛛一匹、近寄らせないでちょうだい! ほらっ、さっさと行けっ!」



 そう云って、冒険者だった父が婚約指輪の代わりに贈ったという超レアなアイテム『豪腕の腕輪』を身につけた母は、身長2mはありそうな大男をポイッと窓の外に捨てた。





∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 





 洗礼式、当日の朝早く。



 スペンサー家は家族そろって、首都から2時間ほどの場所にある小さな町シスに出向いた。洗礼式がはじまる1時間前に、シスに入った侯爵家は町の住民たちに大歓迎を受けることになる。



 元々、この町で洗礼を受けた父ゼキウスが、極めて稀な平民出身の魔力保持者であったこと、上位種の精霊の加護を授かったことで、平民たち間では『聖地』と呼ばれていた場所である。



 その後、精霊の覚醒により『大地の聖印』持ちとなった英雄将軍が、愛娘の洗礼のために凱旋するとあれば、お祭り騒ぎにならないはずがなかった。



 シスに住む人々は一目、英雄将軍の姿を拝もうと、今か今かと侯爵家の到着を待っていたのだが——英雄に抱かれて馬車から降りてきた幼い少女を目にした瞬間、それまでの騒ぎが嘘のように静まりかえった。



 だれもが、その可憐さに釘付けになる。



 朝の光に輝く、高貴な紫の髪。子どもらしいふっくらとした頬は薔薇色で、唇は熟れた果実のように瑞々しい。濃いアメジストの瞳は大きく瞬き、人の多さに驚いているようだったが、父の胸から顔をあげると、やわらかな微笑みを浮かべた。



 その直後ズキュン、ズキュン、ズキュン、ズッキューン!



 あちらこちらから心臓を撃ち抜かれる音がして、老若男女が次々と少女の虜となっていった。



 出迎えに現れたシスの町長は、



「レティシア・アンナマリー・スペンサーです。今日は、よろしくおねがいします」



 舌足らずな可愛らしい挨拶に、半分魂を持っていかれ、しばらく惚けていた。



「すごい……お姫さまだ」



「絵本から飛び出てきたみたい……」



 感嘆が漏れるなか、警戒する護衛たちに守られた侯爵家一向は、控室として貸し切った宿屋に入った。






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