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第5話



 あとから聞いた話では、やはりレティシアの身体を蝕んでいたのは、蛇毒だった。幼いレティシアが蛇毒に侵された日。いったい何があったか。



 その日、レティシアは洗礼を受けるべく、オルガリア皇国首都アシスにある中央神殿を家族と訪れていた。皇国では貴族から平民まで、3歳になるすべての子どもが各地の神殿にて、洗礼を受ける習わしがある。



 レティシアと同日、皇族にゆかりのある中央神殿で洗礼を受ける貴族の子息令嬢は5人だった。洗礼を受ける中央祭壇に行くには、泉に架けられた橋を渡らなけばならない。祭壇に立ち入れるのは、神官と洗礼を受ける者のみ。



「いってらっしゃい、レティシア」



 スペンサー家の女侯爵である母、ローラ・ロザリアンヌ・スペンサーは、愛娘を抱きしめる。



「レティはきっと、聖なる精霊の加護を受けるだろうね。だって聖女のように清らかで美しく、愛らしいもの」



 浅葱色の髪と紺碧の瞳を持つ美形の兄、ロイズ・ルーディス・スペンサーは、重度のシスコンだった。



「そのとおりだ、ルーディス! アンナマリーほど可憐な少女は、この大陸のどこを探したって見つかりっこない。ああ、許してくれ、アンナ。ここで見守っていたいのだが、今日に限ってどうでもいい軍議に、どうしても参加しなくてはならなくてな。こんな大事な日に、本当に忌々しい」



 そう云い残し、兄以上に娘を溺愛する父、ゼキウス・セイン・スペンサー将軍閣下は、何度も振り返りながら手を振り、泣く泣く去って行った。



 悲劇が起きたのは、その数分後。



 案内役の神官を先頭に、爵位順に並んで橋を渡っていたときだった。水面みなもが揺らいだと思った瞬間、蛇行しながら這うように泳いできた2匹の蛇が、レティシアの前を歩く公爵家の子息に襲いかかった。



 だれひとり反応できない中、唯一レティシアが、目の前にあった背中を押し、蛇たちの急襲を1度は防いだのだが、水面からはさらに3匹の蛇が襲いかかってきた。公爵家の子息を背中に庇ったまま、レティシアの首と両手に、蛇の毒牙が刺さる。



「……はやく、逃げて」



 必死に告げながら、そのまま泉に落ちたレティシア。その一部始終を目撃していた母と兄の話では、すぐさま泉に向かって飛び込んだのは、公爵家の子息だったという。



 庇ってくれた少女が目の前で水飛沫をあげて落ちたとはいえ、3歳の男児が立ち尽くすでもなく、助けるために泉に飛び込むなんて……現代日本の常識から考えたら信じられないが、本当らしい。



 そして、ほぼ同時に、泉に向かって放たれた神官の聖魔法『光の輪』が毒蛇を捕縛し、レティシアを抱えながら浮上してきた公爵家の子息は、泉から引き上げられたという。



 アンナの魂が転生したのは、おそらくその後だろう。白蛇に抗毒血清を投与されてからの記憶は、レティシアもハッキリ覚えている。



 何しろ、父ゼキウスの扉破壊にはじまって、侯爵邸は上へ下への大騒ぎになった。とくに、神殿から侯爵邸に詰めかけてきた神官たちの興奮ぶりはすごかった。



「これは奇跡です。レティシア様の御命は、オルガリアの主神アシドフィルスが救いたもうた! 称えましょう、我らが御神を!」



 違います。現代科学の賜物たまものです。それにしても、異世界の主神の名前、すごいな。アシドフィルス——って、ビフィズス菌と並ぶ整腸成分だけど。



 レティシアの体内を蝕んでいた毒成分を排出する治療にあたっていた魔毒士たちも、一様に驚きを隠せないようだった。



「上級魔毒士の解毒魔法なく中和できるなんて……本当に驚きました。もしや、レティシア様には回復系ヒーラーの素質があるやもしれませんね」



「それにしても、毒蛇の中でも殺傷能力が5段階中、レベルⅣといわれるジャガースネークの猛毒から回復するなんて! しかも後遺症のひとつもなく」



 ジャガースネークって……転生するきっかけとなった毒蛇『タイガースネーク』と何となく名前が似ているのは気のせいだろうか。



 聞き耳をたてるレティシアの隣りの部屋では、興奮気味の神官や魔毒士と呼ばれる医術者たちの会話が、その後もしばらくつづいていた。



 そのおかげで……というか。勝手に耳から入ってくる内容で、レティシアはこの異世界がアウレリアンという名の大陸で、魔法や精霊、聖獣が存在するファンタジックな世界だということを知った。



 大陸には大小さまざまな国家が存在し、オルガリア皇国もそのひとつ。緑豊かな皇国は、魔法の恩恵を受けて発展してきた歴史を持つ国だ。しかし、だれしもが魔法を扱えるわけではない。



 生まれながらにして魔力を体内に宿し、魔法の使い手としての素養があるのは主に貴族階級に生まれた者で、そのなかでも魔力量の個人差はかなり大きい。貴族社会の頂点にいる皇族であっても、魔力量が下位の貴族に劣ることは往々にしてあった。



 稀に平民であっても強い魔力をもって生まれる赤子もいるが、多くは魔力なし、或いはあっても微々たる魔力しか持たない者がほとんどである。



 そのため平民は一定量の魔力が込められた魔石なるものを使って、日常生活で魔法の恩恵を受けている。つまり、充電式のバッテリーのような仕組み。



 現代日本の充電スポットのように、オルガリア皇国の城下には日常生活で魔力を消費した魔石に、魔力補充するスポットが点在している。電力はないが、魔力はある、といったところだ。



 そんなわけで、日常生活の大部分を魔法に頼っている分、科学技術の発達が鈍化するのは避けようがなく。現代日本の科学技術を知るレティシアが見れば、比較的発展している方らしいオルガリア皇国の街並みでさえ、中世ヨーロッパ程度の建築技術、医術、科学技術にとどまっているように感じた。



 そうして3カ月余りが過ぎた頃。毒蛇の急襲により、いまだ洗礼を受けていなかったレティシアが、改めて洗礼を受ける日が訪れた。






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