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第4話



 アンナの目が見開かれる。



 噛まれたっ!



 痛みをそこまで感じなかったのは、瞬間的に大量のアドレナリンが放出されたからだろう。右腕に牙をく蛇頭を捕まえようとしたが、紫髪の女性に強く握られた左手は、まったく動かなかった。



 残る手段は右腕を振って、堅い物に蛇頭を打ち付けるしか——絶望が襲う。幼子が使うには異常なほど広いベッドだった。手の届く範囲には、何ひとつ硬度を感じられる物はなく、ベッドサイドに置かれたチェストまでの距離は、3メートルはあるだろう。



 そうしている間にも、抗毒血清を丸呑みにした白蛇の毒が体内に……



「あっ——」



 ちょっと待てよ、抗毒血清を呑んだばかりということは……いや、でも、そんな都合良くいくなんてことは……



 アンナの中で、可能性が芽生えたが、同時にそんなわけないと思いつつ、紫色に変色した蛇に視線を戻した。



「えっ?!」



 アンナは自分の目を疑う。そこには、白と紫のまだら模様になった蛇の姿。牙はいまだに皮膚に食い込んでいた。その様子に驚きながらも、研究者としてのさがか、アンナはじっくりと観察してしまう。



 1分、2分と時間が経ち、斑だった蛇の模様は、もうほとんど元の白色に戻っていた。抗毒血清を丸呑みにした白蛇は紫に変色し、その後、幼子の右腕を噛むと、紫の体色が元の白色に戻った。



 そして、アンナの気のせいでなければ、改善された呼吸機能と、徐々に運動機能が回復されつつある身体。女性に握られた左手は、握り返せるまでになっていた。同様に両脚にも感覚があり、左右ともに爪先が動いた。



 これは、もしかして——本当に都合良く解釈して、白蛇から抗毒血清が投与されたとみるべきか。



 動かせることが単純に嬉しくて、アンナは握々にぎにぎと左手を動かした。紫髪の女性が目を覚ましたのは、そのとき。



「……レティ?」



 綺麗な女性ひとだとは思っていたが、目を開いた彼女は、それはそれは美しかった。



 アメジストのように輝く紫の瞳に吸い込まれそうになり、



「レティシア、母さまが分かる?」



 問われるままに、コクンと頷いてしまった。



「ああ、レティ……」



 アメジストの瞳に溢れだした涙。そのままアンナは抱きしめられた。



 豊満な胸に埋もれながら聞こえてきたのは、



「アナタ!! ロイズ!! レティの意識がもどったわっ!!」



 『母さま』の叫び声だった。



 ドドドッ、ドドドッ………ドドドドッッ!



 地響きのような音がして、重厚な扉が蹴り飛ばされた。



「うおおぉぉぉ! アンナ! アンナマリー!」



 ズシンッッと、地鳴りをたてて倒れた扉に驚いたアンナはビクリと怯え、圧倒的な包容力のある胸にすがりつく。



 濃い金色の髪をライオンのたてがみのようになびかせて現れた大男は筋骨隆々で、たしか『閣下』と呼ばれていた。それにしても、こんな大きな扉を一蹴りで破壊するなんて、どんなパワーなんだ。異世界、怖い。



「大丈夫よ。レティ」



 震えるアンナの髪が撫でられ、優しい声が降りそそぐ。しかし、次の瞬間、地を這うような声になった。



「ゼキウス、静かになさい。意識を取り戻したばかりのレティシアを怯えさせて……もし体調が悪化したら、煉獄の滝壺に落としてやるから、覚悟なさい」



 とても同じ人物とは思えない恐ろしげな声に、レティシア同様「ヒィッッ」と顔面を蒼白にさせた大男は、膝から崩れ落ちる。



「す、すまない! 許してくれ、ローラ。アンナ、ゴメンよ。父さまが悪かった。このとおりだ、少しだけでいいから可愛い顔を見せてくれ」



「とうさま……?」



 ゼキウスと呼ばれた大男は、まさかの父だった。





∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 





 その日から『転生者』柊アンナは名を改めた。



 異世界大陸アウレリアン 



 オルガリア皇国 デヴォンシャー領



 名門スペンサー侯爵家の令嬢



 レティシア・アンナマリー・スペンサー



 それが彼女の『新たな名』となった。









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