アンナの目が見開かれる。
噛まれたっ!
痛みをそこまで感じなかったのは、瞬間的に大量のアドレナリンが放出されたからだろう。右腕に牙を
残る手段は右腕を振って、堅い物に蛇頭を打ち付けるしか──絶望が襲う。幼子が使うには異常なほど広いベッドだった。手の届く範囲には、何ひとつ硬度を感じられる物はなく、ベッドサイドに置かれたチェストまでの距離は、3メートルはあるだろう。
そうしている間にも、抗毒血清を丸呑みにした白蛇の毒が体内に……
「あっ──」
ちょっと待てよ、抗毒血清を呑んだばかりということは……いや、でも、そんな都合良くいくなんてことは……
アンナの中で、可能性が芽生えたが、同時にそんなわけないと思いつつ、紫色に変色した蛇に視線を戻した。
「えっ?!」
アンナは自分の目を疑う。そこには、白と紫の
1分、2分と時間が経ち、斑だった蛇の模様は、もうほとんど元の白色に戻っていた。抗毒血清を丸呑みにした白蛇は紫に変色し、その後、幼子の右腕を噛むと、紫の体色が元の白色に戻った。
そして、アンナの気のせいでなければ、改善された呼吸機能と、徐々に運動機能が回復されつつある身体。女性に握られた左手は、握り返せるまでになっていた。同様に両脚にも感覚があり、左右ともに爪先が動いた。
これは、もしかして──本当に都合良く解釈して、白蛇から抗毒血清が投与されたとみるべきか。
動かせることが単純に嬉しくて、アンナは
「……レティ?」
綺麗な
アメジストのように輝く紫の瞳に吸い込まれそうになり、
「レティシア、母さまが分かる?」
問われるままに、コクンと頷いてしまった。
「ああ、レティ……」
アメジストの瞳に溢れだした涙。そのままアンナは抱きしめられた。
豊満な胸に埋もれながら聞こえてきたのは、
「アナタ!! ロイズ!! レティの意識がもどったわっ!!」
『母さま』の叫び声だった。
ドドドッ、ドドドッ………ドドドドッッ!
地響きのような音がして、重厚な扉が蹴り飛ばされた。
「うおおぉぉぉ! アンナ! アンナマリー!」
ズシンッッと、地鳴りをたてて倒れた扉に驚いたアンナはビクリと怯え、圧倒的な包容力のある胸にすがりつく。
濃い金色の髪をライオンの
「大丈夫よ。レティ」
震えるアンナの髪が撫でられ、優しい声が降りそそぐ。しかし、次の瞬間、地を這うような声になった。
「ゼキウス、静かになさい。意識を取り戻したばかりのレティシアを怯えさせて……もし体調が悪化したら、煉獄の滝壺に落としてやるから、覚悟なさい」
とても同じ人物とは思えない恐ろしげな声に、レティシア同様「ヒィッッ」と顔面を蒼白にさせた大男は、膝から崩れ落ちる。
「す、すまない! 許してくれ、ローラ。アンナ、ゴメンよ。父さまが悪かった。このとおりだ、少しだけでいいから可愛い顔を見せてくれ」
「とうさま……?」
ゼキウスと呼ばれた大男は、まさかの父だった。
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
その日から『転生者』柊アンナは名を改めた。
異世界大陸アウレリアン
オルガリア皇国 デヴォンシャー領
名門スペンサー侯爵家の令嬢
レティシア・アンナマリー・スペンサー
それが彼女の『新たな名』となった。