再度、状況を整理するしかなかった。
ここは現代日本ではない。幼くなった自分は「レティシア」と呼ばれ、毒に侵されている。右手に握られているのは、まぎれもなく『抗毒血清』の容器。
これらを踏まえた異常な状況のなか、アンナが導き出した答えは、とても非常識なものだった。ありえてはならない事象だけど、ここは──並行世界、いわゆる
とある著名な物理学者は云っていた。
『なぜ、科学者たちは
理論上はそうかもしれないが、それはないだろうと笑っていたのに……いまは、それでしか説明がつかない状況だった。アンナのなかで、これまで常識だったものが、ガラガラと崩れていく。
感覚のない右手が持つ『抗毒血清』だけが、やけに
『現実世界』とアンナが呼んでいるものと別れを告げる。云うほど楽ではないが、薬学研究員という科学者の端くれとしては、これは非常に得難い経験なのだ──気持ちの半分は、そんなふうに落としどころをみつけるしかなかった。もう半分は──とりあえず、死んでいなくてよかった。
正確には、柊アンナはおそらく死亡しているだろう。タイガースネークの毒は、何の処置も施さなければ、致命的になりうるからだ。運良く、誰かが研究室を訪れるか、室長が会議を途中退席して戻ってきていない限り。
ただ、前世の記憶があるということは、肉体は死しても、精神は死んでいなかったのだろう。つまり、生前の精神と抗毒血清だけを持って、柊アンナは時空を超えたのだ。
改めて、転生を果たしたと思われる幼子の身体を観察する。ベッドに寝たままでは、背丈、容姿は不明だが、手の大きさから推測して、おそらく3歳児程度だろう。身長は90センチ前後、体重は……ちょっとわからない。
ただ、枕元に突っ伏している女性が母親だとするならば、容姿はどこかしら似ているのかもしれない。そのときだった、麻痺していた右手に、締め付けられるような感覚が戻る。勢いよく見たアンナは、「──ッッ!!」声にならない悲鳴をあげていた。
右腕の手首から肘にかけて、細い白蛇が螺旋状に巻き付き、赤い蛇眼を光らせ、鎌首をもたげているではないか。蛇が鎌首を上げているということは、威嚇状態、臨戦態勢に入っているということだ。
何もできない状況で、アンナは半泣きになった。いったいどこからやってきたのか。ベッドに横たわる、こんなに無防備な幼子に向かって……脅す必要なんてないじゃないか。
もしかして、前世というか、転生前というか、これまで散々嫌がる蛇から、無理やり毒を採取してきたことへの報復だろうか。だとしたら、それはそれは強い恨みがあってもおかしくはない。
「人命のため」なんて云ったところで、ただでさえ執念深そうな蛇に通じるワケもなく。恐慌状態に陥ったアンナを前に、表情というものが無い白蛇は、鎌首を左右に振り出した。その恐ろしいことといったらない。
白蛇は徐々に、横振りに加えて前後にも振りはじめ、一時すると遠心力でグルグルと鎌首は回りだした。そして、口が開く。
ああ、噛まれるッ!
鋭い痛みを覚悟した。しかし、白蛇が噛みついたのは、アンナの右腕ではなく、『抗毒血清』が入った細長い容器だった。鋭い牙が突き立てられ、ピシッと音をたてた容器に、複数の亀裂が走った。
それを白蛇は、鱗と同じく白い舌を絡みつかせ上を向くと──ゴックン。のみ込んだ。丸呑みだった。たしかに蛇は、獲物を丸呑みにするけれど、異物でしかない容器を躊躇なくのみ込むなんて……しかも、破損した容器からは、抗毒血清が漏れているだろう。
いったいどうなるのか。そもそも、この白蛇が毒蛇種なのかどうかも判らない。茫然としているアンナの前で、異変はすぐに起きた。真っ白な白蛇の鱗が、みるみる紫色に変色していくではないか。赤眼は、逆に白く濁っていく。
見る影もなく変移を遂げた蛇が、アンナを見て、
『シャーッ!!』
これまでにないほど、はっきりと威嚇してきたと思ったら、そのまま鞭のように胴体をしならせ、右腕にガブリ。
「イ……痛ッ!」
子どもの柔肌に、蛇の牙が突き刺さった。