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第2話




∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 



乙女よ。



目覚めよ。



新たなる世界にて、



艱難かんなんなんじを、玉にす



∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 



 息苦しさに、アンナは目覚めた。



 部屋を出入りする複数の足音。空気が揺れるような気配だけで、周囲の騒がしさが十分伝わってくる。



「魔毒士は、まだかっ!」



「ああ、レティシアっ! どうしてこんなことに!」



 霧がかったような、ぼやけた視界の中で、紫色の髪をした人が、必死に呼びかけてくる。



「神様、どうか、どうか、妹を、レティをお救いください」



 そのとなりでは、浅葱色の髪をした少年が、涙声で祈っていた。ずいぶんとカラフルな人たちだ。



 それにしても……さっきから、「レティシア」とか「レティ」とか呼ばれているけど、わたしの名前は──



 そのとき、勢いよく開くドアの音がして、



「アンナ! 俺のアンナマリー! しっかりしてくれっ!」



 ひときわ大きな声を上げながら、背の高い男が走り寄ってきた。



 そう、わたし名前は『アンナ』だ。『マリー』はいらない。鉛のように重い身体と、重たくなっていくまぶた。ああ、また意識が遠のいていく。



 その前に……だれかに訊かなくては……



 今、アンナが最も知りたいこと。



 だれか、教えて──



 ここは、どこ──





 どれほど時間が経ったのか。薄暗くなった室内で、アンナはふたたび目覚めた。呼吸はまだ苦しい。大きく息を吸おうとしても吸えない。この息が詰まる感じには覚えがあった。



 そうだ、あれは研究室で……記憶の欠片ピースを、必死にかき集めていく。場所は、実験エリアだった。いつものように蛇毒を採取しようとして、タイガースネークに──



 記憶を辿たどれば辿るほど、頭を締め付けられるような痛みに襲われる。人の声が聴こえたのは、そのとき。



「我々にできることは、すべて致しました。しかし、すべての毒素を排出するには至っておりません」



「レティシアの容態は?」



「……毒素の濃度は、できるかぎり薄めましたが、まだ幼く、抵抗力の弱いレティシア様にとっては負担がかかるでしょう」



「命は助かるのか」



「……五分五分といったところでしょうか」



 薄く開いた扉の奥には、数人がいた。真っ白なローブを纏った人たちと、意識を手放す前に「アンナマリー」と呼んだ男性。その男性に肩を抱かれた紫髪の女性の姿がかすかに見える。



 ローブを纏うひとりが苦し気に云った。



「閣下、我々の力が及ばず、申し訳ございません。せめて、ここに……上級魔毒士がいてくれさえすれば、毒素の分析が……」



 頭痛がひどくなってくる。何もわからないまま、アンナはふたたび深い眠りに落ちていった。それから何度か、意識の浮上と沈下を繰り返したアンナは、右手が麻痺していることに気が付いた。



 意識を失う前に聴こえてきた会話──



『すべての毒素を排出するには至っておりません』



 つまり、この息苦しさと麻痺は、毒による症状か。



 頭は重く、ひどい虚脱感で目を開ける気にもならないが、何かしらの治療を受けたせいか、自身の状態について観察できるまでには意識レベルは戻っていた。



 呼吸困難の症状に、手足の痺れ、特に右手がひどく、感覚はほとんどない。意識の混濁があったから、神経系の毒だろうか。



 化学性の毒物? それとも毒草? 



 もしくは──毒物オタクの脳裏に、自分の症状にピタリと当てはまる毒物が浮かんだ。



 蛇毒だ。



 この息苦しさは、タイガースネークに噛まれたときの息苦しさと、そっくりだった。患部は麻痺が酷い右腕にちがいない。たしかめようと、目を開けたアンナは、 枕元で突っ伏している紫髪の女性に気が付いた。



 横顔しか見えないが、睫毛が長く、鼻筋の通った美しい顔立ちをしている。彼女の白く細い手は、まだ感覚のあるアンナの左手をしっかりと握って──



「嘘でしょ……」



 白い手に握られた自分の左手を視界にいれたとき、アンナは到底信じられなかった。



 小さいのだ。大人の手の半分ほどの大きさしかない。これは、あきらかに子どもの、それも幼子のものだった。自分自身に何が起きているのか。



 直近の記憶は、タイガースネークに噛まれ、抗毒血清を求めてタイルの床を這ったことだ。果たして自分は、血清を投与できのだろうか。



 もし、投与できていなければ……



 ダレにも気が付かれず、倒れたままだったら……



 脳裏に『死』がよぎったが、それなら、これはどういうことだ。毒素に侵されてはいるが、自発呼吸もあり、意識レベルも上昇してきている。



 わたしはまだ、死んでいない──と、思う。落ち着け。



 必死に云い聞かせ、周囲の状況を確認したが、事態はさらに悪くなった。



「ここは、いったい……」



 落ち着いて考えることは、すでにあきらめた。鼓動が激しく音を響かせる。ずっと違和感を覚えていたのだ。



 やたら色彩豊かな髪色の人たちに「レティシア」や「レティ」と呼ばれることに。研究室とは似ても似つかない、高い天井と見るからに高級そうな調度品の数々。ここはあきらかに柊アンナの知る現代日本とは、かけ離れていた。



 ぐるりと室内を見回し、女性が突っ伏しているのとは反対側の麻痺した右手に視線を移したとき、アンナはさらなる衝撃を受ける。



 幼子のような右手が握っているのは、まぎれもなく『抗毒血清こうどくけっせい』が入った容器だった。





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