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聖印の乙女、毒を以て、毒を制す
藤原ライカ
異世界恋愛ロマファン
2024年09月08日
公開日
207,797文字
完結
殿下、どうぞ愛する方を皇太子妃にお迎えください。
薬学研究所の研究員である柊アンナは、毒蛇から毒を採取中に咬まれて死亡。しかし、目が覚めたとき、異世界大陸アウレリアンにあるオルガリア皇国の侯爵令嬢レティシアとして転生を果たしていた。
前世、毒物オタクだった侯爵令嬢は、転生後もブレることなく毒物研究職である『魔毒士』になることを決意。
一時は皇太子妃候補になりかけるが、妃候補から外れることに成功し、魔毒士となるため最難関の国家特務試験に挑む。
大後悔する皇太子。幼馴染の火焔の騎士は、命の恩人である侯爵令嬢に想いを寄せる。そこに割って入ってきたのは、黒衣の魔導士。侯爵令嬢レティシアをめぐる、三つ巴の恋と陰謀の冒険譚。
魔薬と媚薬は、用法容量をお間違えなく。使い方しだいでは、猛毒になります。


第1話



∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 



異世界の乙女、オルガリアに現る。



神の御使いに愛された乙女は──



「今度こそ使命を果たすわ」



己の道を、突き進む



∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 




 動物性、植物性の自然毒から、化学物質による劇薬、劇物まで。



 現代日本で毒物オタクだったひいらぎアンナ28歳は、名門大学の薬学部を首席で卒業し、『抗毒血清こうどくけっせい』に関する卒業論文では、〖最優秀学生論文賞〗に輝いた才女である。



 卒業後は、志望していた大手製薬会社の研究員として採用され、これまた希望する研究施設で、卒業論文のテーマでもあった『抗毒血清』の最先端の研究室に配属された。



 恋人はここ4年ほどいないが、人生としては順風満帆な方である。



 しかし、真面目に生きている独身女に──



 前触れなく、事前告知なく、何かの拍子に、



 天は裁きを下すのだ。



 その日は、灰色の空がどこまでもつづく、寒い冬の午後だった。



 猛威を振るいだしたインフルエンザウイルスもなんのその。



 同僚たちがバタバタと高熱で倒れていくなか、アンナはひとり、今日も研究室で『血清』の研究に明け暮れていた。



 あらゆる種類の毒物の中で、大学時代からアンナが夢中になっているのが、複数のタンパク質から構成される『蛇毒』である。



 これほどまでに、殺傷能力が高く、即効性があり、絶えず進化する毒物が、果たして自然界には、あとどれほど存在するだろうか。



 発展途上国を中心に、年間約10万人が命を落とすという毒蛇による咬傷こうしょう



 もっとも有効的な治療は、『抗毒血清こうどくけっせいの投与』である。



 蛇の毒素を中和し、無害なものに変化させることができる唯一の方法といっていい。



 しかし、その血清の生成には非常に手間がかかり、約700種とされる毒蛇の血清を凍結保存するには、大きなコストがかかる。



 もっと、簡単に血清を生成できたら──



 もっと多種多様な蛇毒に効果のある『血清カクテル』があれば──



 研究する価値は、十分ある。



 しかし、蛇というどちらかというと敬遠されがちな爬虫類の研究は、危険性が高く、前述したとおり、血清の生成には非常に手間がかかる。



 せっかく作っても、もっとも必要とされる発展途上国は電力不足の影響で、なかなか保存ができない。よって、そこまで売れない。



 つまり、危険なうえに、コストがかかり、その割に儲けが少ないという……



 生命に関わる重要な研究であるにもかかわらず、残念ながら研究分野としては不人気なのだ。



 しかし、アンナには揺るぎない信条があった。



 『研究』と『採算』は、別物。



 アンナにとって『研究』とは、自身の情熱をどれだけ傾けられるか。人々の生命が救える『価値ある研究』かどうか。それに尽きるのだ。



 蛇毒の研究は、すべての情熱を傾けるに足る価値がある。



 毎日が、実験とデータ検証の日々であり、華やかさの欠片もないが、問題点をひとつひとつクリアしていくことが、大きな研究成果へとつながっていくのである。



 そんなわけで、本日予定している実験には、どうしても蛇毒の採取が必要だった。



 アンナが勤める研究室では、蛇毒の採取の際は、万が一に備えて「最低でも2人以上ですること」がルールとなっている。



 とはいっても、元々4名しか在籍していない不人気の研究室。



 折しもインフルエンザウイルスが猛威を振るうなか、本日は室長とアンナしか出勤していなかった。



「室長は……夕方まで会議か」



 ホワイトボードから視線を外したアンナは、



「しょうがない。でも今日の実験は、今日しないと」



 実験エリアから、飼育エリアへと移動した。



 これまで数えきれないほどの蛇毒を採取してきたアンナ。毒蛇界の中堅タイガースネークの顎裏を、器具でがっちりと掴んで持ち上げた。



 細心の注意を払い、慎重に行っていた──はずだった。



 左手首に鋭い痛みが走ったのは、実験エリアでタイガースネークの顎裏を掴んでいた器具から素手に持ちかえた、その直後だった。



 噛まれた──



 しかし、この手を離すわけにはいかない。器具で蛇頭を掴み直したアンナは、飼育エリアに戻り、タイガースネークを飼育箱に戻してエリアの安全を確認する。



 急いで、中和しなければ。タイガースネークの毒は、たった【 0.6mg】で人間の致死量になる。



 実験エリアにある血清の冷凍保存庫へと、アンナは急いだ。即効性のある毒が体内に回り、すでに痛みと痺れを起こしていた。



 急げ、急げ……



 冷凍庫に向かって、必死に足を動かしているつもりだった。しかし、なぜかアンナの頬は、タイルが敷かれた床の冷たさを感じている。



 床を這うようにして、なんとか冷凍庫までたどり着き、血清が保管されている扉を開いた。



 冷気が襲ってくる。混濁してきた意識の中、アンナは血清を手に取った。あとは解凍して、投与すればいいだけ……それなのに、身体が麻痺して動かない。



 ああ、息が苦しい──



 ここまで一気に悪化するのは、あまりに早い気がするが、これは呼吸困難の症状にちがいない。



 それから3時間後。



 実験エリアの床で、血清の入った容器を右手に持ったまま、冷たくなって倒れている柊アンナを、室長は発見した。





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