両親と姉が宿に引きあげた後も、アリスは死蛍を見上げていた。
月の綺麗な夜だった。
隣に黒いコートを着た女性が立っている。
梅色の髪が濡れたように艶々していて、とても綺麗であった。
端正な顔立ちで、アリスは「綺麗なお姉さんだな」と思った。
「君も家族を失ったの」
「はい。兄を」
「そう。残念だったね。本当にね」
女性は遠くを眺めながら、煙草を口にくわえ、おもむろに煙を吹かしはじめた。
大きく吸って、煙を肺に入れ、空を見上げて「あーあー……」とやるせない気持ちを声に漏らした。
「私も同じなんだよね。妹を失ったんだ。天才だった。あの子にはすごい未来が待ってたのにね。残念だなぁ、本当にね」
ジジジィ……っと煙草の先端が赤熱に輝く。
「妹さんと仲良かったんですか」
「うーん、まあ、ボチボチ、かな。ん? いやというより、バチバチ、かな? まあでも、もう何でもいいよ、死んだら終わっちゃうんだからね」
女性は気怠げに言って、心にもない笑みを浮かべた。
「冷たいんですね」
「そうでもないよ。これが普通だよ。うちの家族はね」
「それじゃあ、冷たい家族なんですね」
「あー、そうかもしれないね。本当にね。いい家族ではないよね」
「アリスの家族はいい家族でした。胸を張って誇れます。仲良しで幸せな家族です」
「うっわぁ、この子生意気ぃ……あはは、でも可愛いじゃん。でもさ、そんな誇らしい家族でも、死ぬ時は一瞬だよ。厄災を絶滅させない限り、本当の平和なんて永遠にこない。……こうして悲劇は繰り返し起こるんだ」
「厄災……吸血鬼のことですか」
「吸血鬼も、ほかのもさ。君はとても賢そうだね。本当にね。どう? 御伽噺でしか知らない吸血鬼が生々しい傷跡を残して、大好きなお兄ちゃんを殺してしまった、その感想は」
「あなたはクズですね、そんなことを訊くなんて道徳的な教育を受けなかったのですか。アリスはこれでもちょっとした貴族なんですよ。そうやって性悪ないじわるをするなら、痛い目を見てもらいますよ」
「あはは、可愛いなぁ」
女性は煙草の捨てて、ブーツの踵で火を踏み消す。
そして、また煙草を口に咥える。
まだ吸うんだ、とアリスは思った。
「人生の先輩からのご忠告。吸血鬼への復讐なんて考えない方がいいよ。本当にね。その先には何もないから」
「……なんでそんなことをアリスに?」
「君さぁ、そういう目してるから」
「なんでダメなんですか」
「厄災ってのは、ガキにどうこう出来るモンじゃないんだよ。そもそも、人間が抗おうとするのが間違えてるの。ヤツらを前にするたび、何度だって考える、逃げたい……てねぇ。情けない話だけどね。本当にね」
「あなたは厄災と戦ったことがあるんですか?」
「まあ……狩人だし」
狩人。
博識なアリスは知っていた。
それが厄災を倒す英雄ギルドであると。
「アリスに吸血鬼を倒せますか?」
「んー? 無理」
流し目でアリスを一瞥して、女性は即答した。
「やってみなくちゃわかりません」
「そう思う? でも無理かなぁ」
「否定から入る人間に成長はありません。あなたは最悪です。その調子でいったら、もう背が大きくならないと覚悟してください」
「まあ、もう20歳になるし、成長期終わったし、というかこれ以上身長いらないけどねぇ」
女性はかなりの長身だ。
170cmは超えていそうであった。
アリスは煽り言葉を間違えたと思い、ちょっと頬を染めた。
「それじゃあね。忠告はしたよ」
女性は煙草の火を再び踏み消すと、コートを翻して、あっちへ行ってしまう。
「あの」
「煙草は大人になってから、だよ」
「煙草じゃなくて。……アリスを、アリスを狩人にしてはくれませんか」
「無理ぃ〜」
まるで相手にしてくれない女性。
アリスはムッとして「狩人にしてくれるまで離れません」とガシッと抱きついた。
「ぇぇ、なにこれ可愛い……」
女性はちょっと心揺らぎながら「わかったよ、才能あったら拾ってあげる」と、アリスの頭を片手で鷲掴み、雑に引き剥がした。
アリスはまさかそんな怪力オバケみたいな引き剥がされ方をするとは思わず、目を丸くしてしまった。
一方その頃、町の別の場所で、エーラが同じく空へ登っていく死蛍の群れを見上げていた。
隣には神経質そうな顔立ちの銀髪オールバック丸メガネが立っている。
遥々、ヨルプウィスト人間国より派遣されてきたアーカム・アルドレア捜索担当者アヴォン・グッドマンである。
「うぇぇん、お兄ぃちゃん……っ、なんで死んじゃったの……ふぇぇん」
「泣いても何も手に入らない」
「なんでおじさんそんな酷いこと言うの……」
「おじさんではない」
「おじさんが酷いこと言うよぉ! お兄ちゃん、助けてよ……!」
「おじさんではない」
アヴォンは淡々と言い「もう遅い。親のところへ帰れ」とエーラを置いてどこかへ行こうとする。
「帰り道わかんないよぉ! お兄ぃちゃん……! アリス……! ママぁ、パパぁ!」
「……」
アヴォンは小さくため息をつく。
意を決したように、エーラの手を握ると「おじさんについて来い」と、災害対策本部へ迷子を届けることにした。
「エーラ!! どこ行ってたんだ!」
「心配したんだから!」
無事、両親らしき者たちを見つけて、任務完了となった。
「ありがとうございました、うちの娘は元気すぎてすぐどこかへ行ってしまって」
「気をつけろ。子供は宝だ」
アヴォンはそれだけ言って、テントを出ようとする。
「あの! お名前を! これでも貴族です、恩義には報いたいです」
「……それじゃあ、ひとつ。アルドレアという名に心当たりは? この近辺にそういう名前の人間がいたら教えてくれると助かる」
アヴォンがそうたずねると、迷子の両親は顔を見合わせた。
「あの……アルドレアは私たちですけど……」
「……そうか。さっき質問をひとつと言ったな。あれは嘘だ。お前たちには多くを訊く必要がでてきた」
アヴォンはそう言うと、丸メガネの位置を直した。