バンザイデスへ辿り着いたとき、町の玄関たる正門前には、異様な数の馬車が停まり、人々が波のようになって溢れかえっていた。
「アディ、これは?」
エヴァリーンは人混みをかきわけて戻ってきたアディフランツへたずねる。
「町から逃げる者と、町に知人を探しに来た者、人と物の動きを予想して儲けに来た者と、事件の調査をしに来た者、もうしっちゃかめっちゃかだよ」
アルドレア一行は、四苦八苦して町へ入り、被害地域へと赴いた。
「なんだ……これ……」
アディフランツは目撃した。
丸ごと更地に変わった区画を。
騎士団駐屯地が被害の中心地ではないのか?
話を聞くと、吸血鬼は町の外でも暴れまわったらしいと知った。
「おい、聞いたかよ、一晩で数千人が死んだんだとさ」
「聞いた聞いた。やっぱりハンパじゃねえよな、吸血鬼」
「騎士団こんなんで大丈夫なのか……?」
「現王政には失望だ……これじゃまた吸血鬼が来た時どうすんだよ……」
「それより、狩人協会はどうしたんだ? 何やってんだあいつらはよ、厄災倒すためにいるのに、クソの役にも立たねえじゃねえかよ」
悲劇をトリガーとして、人々の不満が爆発していた。
大きな不安が蔓延し、その勢いはとどまるところを知らない。
魔法王国騎士団が緊急で設営したと思われる災害対策本部を見つけた。
比較的原型を保っている建物を流用して、設置されているらしい。
アディフランツは、エヴァリーンに娘たちと一緒に待っているよう伝えて、本部へ足を踏みいれた。
本部内は人であふれかえっていた。
掲示板には、行方不明者の名前がどっと押し寄せている
受付では、騎士団の事務員が、ヒステリックに叫ぶ被害者遺族の対応をしている。
アディフランツはそちらは後回しにしようと思い、最も恐ろしい場所──死亡者が確認された者の名前を扱っている死亡者リストが貼られた掲示板のまえへ向かった。
掲示板の前にいる騎士に、状況を訊く。
「遺体はどれも損傷が激しすぎて……それに吸血鬼の血毒のせいで腐敗が異様にはやくて顔がわからないんですよ。正直にのべますと、確認作業の精度は恐ろしくアテになりません」
死亡確認は時間との勝負だ。
遺体が深淵の渦には帰るまでのタイムリミットまでにチェックできなければ、そのまま死亡扱いになってしまう。
遺体があった場所。
遺体の服装。慰留品。
これらから推測するのが基本方針てある。
ただし、こうした大規模殺戮が起こった場合は、90%は被害者の確認が間に合わずに深淵の渦に還る時間がやって来てしまうのである。
「アーカム・アルドレア……アーカム・アルドレア……アーカム・アルドレア……」
魔法王国貴族をまとめている欄が設置されており、アディフランツは目を皿にして名前を探した。
本当は見つけたくない。
だが、必死に探した。
見つからないでくれ、そう祈りながら名簿をチェックし終える。
幸いにして死亡リストに息子の名前はなかった。
希望は繋がった。
次に確認したのは、もっと残酷な場所。
遺体陳列場である。
そこには、身元のわからない遺体がズラーっと並べられていた。
もちろん、綺麗な遺体などほとんどない。
アディフランツは顔をしかめ、吐き気を催す臭いに鼻が曲がりそうになった。
「遺体陳列場に入るまえに祈らせたください」
教会の神父がいた。祈りを捧げてもらう。
聖職者がいるのは、死体のアンデット化を未然に防ぐためだ。
またもしアンデットが出現した場合には、即時対応することも彼らがここにいる理由である。
アディフランツはペコリと頭を下げ、神父に礼をのべて、おぞましい陳列場に足を踏み入れた。
エヴァリーンたちを置いてきて正解だった。
そう思いながら、アーカムを探す。
13歳くらいの子供。黒い髪。
慰留品にはトネリッコの杖があるはず。
ブーツの中に短剣が仕込まれていれば、そいつはアーカムである可能性が高い。
血の影響を受けた遺体は見るからに腐敗が進んでおり、ほとんど黒いナニカにしか見えなかった。
顔の半分を白い布で覆った者たちが、疫病対策のために腐敗した遺体を運びだし、最後に火葬場へともっていく。
すぐ近くで黒い煙があがっている。
アディフランツは背筋に嫌な汗をかいて「アーク、頼む……生きててくれ」と祈り、それらしい遺体を見つけては、慰留品を吟味しつづけた。
結果、アーカムらしき遺体が見つかることはなかった。
「大丈夫、アークは稀代の天才じゃないか。そのことは俺が1番よく知ってるだろ、必ずうまく切り抜けているはずだ」
探索から3日目。
アーカムはまだ見つからなかった。
アディフランツは毎日、毎日、毎日、朝昼晩と祈りながら死亡者リストを眺めて、新しい名前が増えていないかをチェックした。
遺体陳列場に新しい遺体が増えるたびに、すぐに確認した。
「アディフランツさま?」
7日目。死亡者リストを確認していた手をとめて、その声に振りかえった。
黄金に輝く美しい少女がいた。
この世のどんな宝石よりも崇高な輝きの碧眼。
匠の業がちりばめられた特注品の鎧に身をつつみ、腰には白い中杖を差している。
一目でおそろしく身分の高い人物だとわかり、二度見して、すぐに正体を悟る。
「っ、え、エフィーリア王女……!?」
「近くまで来たのでもしやとは思いましたが……本当にお久しぶりですわ、アディフランツ・アルドレアさま。またお会いできるなんて嬉しく思いますわ」
黄金の少女の正体。
それは周辺諸国にすら美しさを称えられる姫君エフィーリア・ジョブレスその人であった。
息子を探していたら、まさか王家の宝を見つけてしまうなんて誰が想像できようか。
「そ、そのようなお言葉をかけていただき光栄の至りです! 王女陛下におかれましては魔法王国のさらなる繁栄のためにご活躍されているようで、私といたしましても、ますます我が王国の明日が楽しみでなりません」
ぎこちない言葉遣いで、ペコペコしだしたアディフランツ。
エフィーリアは苦笑いをする。
「わたくしたちは旧知の仲ではありませんか。それにかつてお世話になったのはこちらですわ。それほどにかしこまる必要などないのです、ねえ、ヘンリック」
「はい、王女陛下」
浅黒い肌の寡黙な少年。
付き人ヘンリックは相変わらず口数が少ない。
ただ、かつてよりずっと大人びた雰囲気で、精強な守護者に成長したことは見ただけでわかる。
「ところで、アディフランツさまはなぜこのような場所に? もしや知人の方が?」
「……アーカムが町にいたんです」
その一言で、エフィーリアたちは事態を察し、神妙な顔持ちになった。
エフィーリアは最近になってアーカムの事を思い出すようになっていた。
将来、ローレシア魔法王国を任される者として、出会った優秀な魔術師たちのことは、すべて頭に入っているのだ。
とりわけ、7歳にして類まれなる頭角を現わしていた辺境貴族の跡継ぎのことは、とても印象的に覚えていた。
最後に会ってから6年もの月日が流れた。
一体どれほどの存在に成長しているのだろう、と楽しみにしてすらいた。
それなのに、こんな事になるなんて。
「本当に申し訳ありません……」
「っ、エフィーリア王女……っ、顔をあげてください……そんなことされては、私が打ち首にされてしまいます」
絞り出すように声をもらし、エフィーリアは自分の不甲斐なさを恥じた。
魔法王国にて前回、吸血鬼が暴れたのは、40年以上も昔の話だった。
そのため、騎士団は対吸血鬼戦闘を想定した訓練をしていなかったし、装備も十分ではなかった。
より慎重になり、予算を割いていれば、かの英雄たちの結社『狩人協会』に助力を申し出て、狩人を派遣してもらい、対応策を練ることもできただろう。
銀を常備し、牙を研ぎ続ける。
そうしていれば、″その時″がいつ来ても抗うことができたはずなのだ。
しかし、そうしなかった。
予算の問題だ。
銀の装備は劣化が早く、数年おきに装備を一新するのは費用がかかる。
そのため、魔法王国では銀の装備は、騎士団の正式装備の項目から外されていた。
ゆえにエフィーリアは謝罪した。
「すべての責任はわたくしたち王家にありますわ」
「王女陛下……これは誰の責任でもないですよ。だから、そのようなことを口走らないでください」
アディフランツは優しげに微笑み、善良すぎる王女の頭をあげさせる。
王族が責任など軽々口にするものではない。
もしこの場にいたのがアディフランツのような辺境貴族で出世欲とは無縁の貴族ではなく、権力闘争に狂った敵意ある貴族だったなら、すぐにエフィーリアの言葉尻を捕らえて反撃していたことだろう。
「必ず見つけましょう、アディフランツさま」
「はい」
それからも行方不明者の捜索は懸命に続けられた。
エフィーリアは直接騎士団を率いて王都より、王政府の代表者として対応にあたった。
すべてで15個の団から編成される魔法王国騎士団からまるまる2つの騎士団が動員され、約2,000名の騎士たちが災害対策に乗りだした。
瓦礫の撤去作業と、遺体の回収作業は急速に進んだ。
しかし、ついにある夜、ひとりの遺体の死蛍化がはじまった。
3つの満月が綺麗に輝く夜だった。
ほかの遺体たちも触発されるように深淵の渦へ還りはじめた。
バンザイデス中が青白い神秘的な光景につつまれる。
ゆらりゆらりと揺らめく光の中、人々の嗚咽のような泣き声だけが響いた。
アディフランツも、エヴァリーンも、死蛍たちを直視できなかった。
アーカムは見つからなかった。
生きていれば向こうから会いに来る。
見つからないということは……そういうことなのだろう。
息子はもう帰ってこない。
わざわざ口にする必要がないくらいに明白なことだ。
「ごめんね、アディ、私ちょっともう……」
「エヴァ……」
娘たちの前で泣きだす訳にはいかない。
アディフランツはただ黙って必死に耐えようとする妻を抱きしめる。
「ねえねえアリス、エーラたちはお兄ちゃんを探しに来たんじゃないの……?」
不安そうなたずねるエーラ。
アリスは死蛍の大群が、空へ登っていくのを見上げる。
ちいさな手で姉の手を握った。
「アリス……?」
「お姉様、お兄様はもう帰ってこないんです」
「え……どうして……? なんで、お兄ちゃんは──」
アリスは姉を抱きしめた。
ちいさな腕で精一杯に。
普段はしない行動が、腕の締めつける力が、決して離すまいとする妹の意思が、エーラに伝わった。
あ、お兄ちゃん、もういないんだ……。
「やだよ……いやだ、いやだよ! なんで、なんで諦めちゃうの! アリスなら見つけられるでしょ! パパもママも酷いよっ! もっとちゃんと探そうよ!」
涙が溢れて止まらなかった。
エーラは泣き続けた。
いつか帰ってくる。
待ち続けたのに。
嘘つき。なんで帰ってきてくれないの。
約束が無情に破棄されたことに、エーラは絶望した。
世界はこんなにも残酷だったのか。
アリスは泣きじゃくる姉をひたすら抱きしめる。
自分だけは泣くまいと堪えた。
あの夢。
お兄様は最後に会いに来てくれた。
決壊しそうな気持ちをギュッと押さえつける。
自分は耐えなくていけない。
強くあれ、強くあれ、強くあれ。
最悪の事件は8歳の少女に決意を強いた。