意識がもどった時、庭の様子はなにも変わってなかった。
パーティらしき夜会が、ゆったりした時間へ移行しているというくらいだ。
「……行ったのか」
ゲンゼの姿は消えていた。
首をあげて、空を見あげる。
夜が来る。
広大な星空を見あげると、宇宙で一番おおきな喪失をしたような気がした。
友達を失った。
彼女はずっと気にしていたのに、気づいてあげられなかった。
いや、違う。
気づいていたとしても、彼女はいなくなっていた。
意識を向ければ、呪いが脈打っているのがわかる。
彼女は短縮詠唱の≪ウルト・プランテ≫で魔力シードを作った。
一式 ≪プランテ≫
二式 ≪アルト・プランテ≫
三式 ≪イルト・プランテ≫
四式 ≪ウルト・プランテ≫
ゲンゼが四式魔術を使えたなんて知らなかった。
いったいどこでそれほどのチカラを身につけた?
俺の経験や、ノザリスの言葉からすれば、10歳にすらなってない子供に四式は難しすぎる。ほとんど不可能と言っていいはずだ。
というか俺告白したよな?
返事は四式魔術で呪われたけど。
これってフラれてない? フラれてるよね?
いろんな疑問がごちゃごちゃになっていく。
「ん?」
ポケットに紙が入っている
広げてみると、クシャッとした手紙だとわかる。
『アーカム・アルドレアさまへ』と小綺麗な字で書かれていた。
俺は急いで手紙を開封する。
たたまれた羊皮紙が一枚だけ入っていた。
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アーカム・アルドレアさまへ
おはようございます。それほど、苦しくない失神であったのなら幸いです。
さて、いまアーカムは疑問に思っていることでしょう。別れを告げたはずのわたしが、なぜこのような未練がましい手紙を残したのかということを。本当は手紙なんて残すつもりはありませんでした。ですが、万が一の時のために書いておいたのです。いま、アーカムが手紙を読んでいるということは万が一の事態になってしまったことを意味しています。
万が一の事態とはなんでしょうか。気になりますか? 長々ひっぱるのも良いですが、あいにくと手元に紙が一枚しかありません。なので、簡潔にまとめようと思います。万が一の事態。それは、別れ際、先走ったアーカムがわたしに好意を伝えてくることです。これを万が一の事態と呼ばずして、なんといいましょうか。
きっと、わたしは返事をしないでしょう。返事をしていたら、それは舞い上がっていた証拠です。忘れてください。お願いします。返事をしていなかったのなら、わたしは冷静に対処したということです。褒めてください。お願いします。
返事をしなかったのは、魔術師としての冷静な眼ゆえです。アーカムはとても優しく、誠実な人格をもっています。そして、たまにズル賢いです。だから、わたしを引きとめるために言葉を
より
世界にはもっと素敵な女の子がたくさんいます。大人になればあなたを理解できる人がきっと現れます。たくさん友達をつくってください。いまのような孤独ではいけません。孤独は視野を狭くします。どうか愚かにならないでください。
最後にこれまでのすべてに感謝を述べさせてもらいます。
優しくしてくれてありがとうございました。
あなたとの時間はわたしの誇らしい記憶です。
ゲンゼディーフより
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読み終える。
手紙の最後には幾何学模様が記されていた。
魔法陣だ。詠唱ではない刻む魔術式だ。
魔法陣が星の砂のように、わずかに煌めいた。
かと思うと、急に青い炎となった。
炎は手紙を焼き尽くそうと広がりはじめる。
俺は焦って≪アルト・ウォーラ≫で数十リットルの水を生成する。
青い炎を消さんと、自分もろとも滝のような冷水を頭からあびた。
おかげで火を消火することはできた。
「アーク!? どうしたんだ!!? 庭をこんな水浸しにして!」
「なにかあったの、アーク?」
アディとエヴァが駆け寄ってくる。
「兄さま、なにかあったてすか……?」
「おにいちゃん、かなしそう」
エーラとアリスは幼いながら憂いの目をしていた。
ほかの面々もだ。
俺に奇異の眼差しを向けてきていた。
「これがゲンゼの気持ちだったのかな……」
「アーク……?」
「いえ、なんでもないです。……ちょっと、水浴びがしたくなって」
「アーク、お前、泣いてるのか?」
「……。僕は泣かない子供だって父様が言っていたじゃないですか」
俺は無理やりに笑顔をうかべて、屋敷に戻った。
部屋にもどって、濡れた服を脱ぎ捨てて、ベッドに飛びこむ。
寝るにははやい時間だが、こうせずにいられなかった。
俺は思考をめぐらせていた。
冷徹に考える。ゲンゼが欲しいから。
科学者として挑む。
ほかの戦い方を知らない。
俺からのゲンゼへの好意は彼女に言わせれば、同情、優しさ、錯覚、そういったものらしい。
証明材料は、俺が友達のいない子供という点だ。
友達がいないからほかの選択肢を知らない。
大人じゃないからひろい世界を知らない。
だから、暗黒の末裔を好きになるという愚かに走る。
彼女はそう言っている。
なら、たくさん人間に会って、たくさん世界を知って、大人になった時、変わらずゲンゼを想っていたら、それはまことの気持ちじゃなかろうか。
それで、彼女の論理に反証を打ち立てることができる。
だが、きっと、彼女はそのことも織りこみずみだ。
彼女がかけていった本当の呪いは″時間”だ。
かつては俺も時間に救われた。
苦しい過去からの忘却が俺を助けた。
だが、今度は敵だ。
いつか俺はゲンゼを忘れる。
この感情を忘れてしまう。
手紙が燃やそうとしたのは、記憶を残させないため。
この瞬間の気持ちの記憶を、いつかの未来で思い出させないため。
深くため息をつく。
どうすればいいんだ。
まくらで窒息してやろうかというくらい顔面を押しつける。
ふと、扉をノックする音が聞こえた。
こんな時に誰だよ、と思いながらも俺は扉をあけた。
「アーカム、ちょっといいか?」
恐い顔をしたジェイクが、なお険しい顔をして立っていた。
「大事な話があんだ」
「10段階でいくつですか」
「ぶっちぎりの10だぜ」
彼の話を聞くほかなかった。