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とんでもねえ。待ってたんだ。


 灰色の外套をまとった男がいる。

 彼は丹念に磨かれた瓶を見つめていた。

 なかでは黒い生物があやしげにうごめいていた。


 この男は世にも恐ろしい殺し屋だ。

 名前はなく、名誉もない。


 男の前には冷汗を滝のように流す中年がいる。

 小綺麗な礼服を来た裕福そうな男であった。

 暗殺ギルド『ウィザーズギャザリング』から来た依頼者である。

 ギルドが中年の要望をきき、適切な殺し屋を紹介したのだ。


「あなたは腕利きの殺し屋だと聞きました……」

「そのとおり。俺は腕利きだ」

「殺しを、お願いできますか?」


 中年男は100枚ピッタリ硬貨が入った革袋を渡す。

 殺し屋は革袋を受け取り、投げて、キャッチする。

 ジャラっと硬貨のこすれる音がした。

 重さで枚数を図ったのだろう、と中年は思った。


 革袋の中身は紫の光沢をもつ特殊な硬貨だ。

 外の世界では使えない。

 殺し屋たちだけがその意味を知っている。


「足りねえな」

「そ、そんなはずは……!」

「王女殺しだろうが。なら少なくとも、この3倍は用意してもらわねえと、リスクに合わねえ」

「っ、わ、わかりました……では、それは前金という事で、成功報酬でもう200枚用意します」


 その日、魔法王国王女の暗殺契約が交わされた。



 ────



 新暦3054年 冬二月


 魔法王国王都より北へ15日。

 寒空のした、辺境の森のなかを進む一団があった。

 冒険者パーティ『レトレシア魔術団』だ。

 パーティは現在、魔法王国第二王女エフィーリアの護衛として、彼女といっしょに王都王城から脱走中だった。

 緊急事態に思えるかもしれないが、いつものことであった。


「雪でも降ってきそうですわ」


 馬の背で陽気にそう言うのがエフィーリア・ジョブレスだ。

 今年で12歳になる姫である。

 ジョブレス王家の筆頭の自由人でもある。


「姫様、お寒いのでしたらなにか羽織られますか?」


 淡々とした声で訊くのは浅黒い肌の少年。

 精悍せいかんな顔つきだ。頬には傷がある。

 エフィーリアと歳を同じくする、幼き頃からの付き人ヘンリックだ。


 王家の彼らを、前方から2人、後方から1人サンドウィッチするように『レトレシア魔術団』のメンバーらは護衛していた。


 前方の女子メンバー2人は楽しげにおしゃべりをしている。

 一方で『レトレシア魔術団』のリーダー、ジェイクは後方から1人で見守る貧乏くじを引かされていた。


 ジェイクは青白い髪に三白眼を持つ、見た目がおそろしい少年だ。

 外見とは裏腹に、レトレシア魔法魔術大学では優れた成績をおさめる優等生である。


 ジェイクたち『レトレシア魔術団』は、昔からエフィーリアの脱走に際して、彼女の身を守る任務を受けてきた。

 それは、ジェイクたちがエフィーリアの幼馴染であるからだ。

 3人とも貴族家の出身なのだ。

 ゆえに、王女と付き合いをもつのに身分の問題はなかった。

 エフィーリアの兄は彼らを信頼している。

 彼女が脱走した時には「いつもの脱走だ。頼んだぞ」と彼らを出動させるのが常となってしまっているくらいに信頼している。


 ジェイクたちは毎回迷惑しているのだが、脱走している側のエフィーリアがこころよく彼ら『レトレシア魔術団』の同行を受け入れてしまうものだから、断るに断れないでいる。


「なあ、エフィー、もう帰ったらどうだ? ここから先はまじでクソ田舎があるだけだぜ」


 ジェイクはいつもの不適切な口調でエフィーリアに進言する。

 前を行く女子メンバーたちもこくこく頷いている。

 エフィーリアに連れ出されすぎて、そろそろ魔法魔術大学での卒業単位が危ういのだ。


「だめですわ」

「なんでだよぉ……」

「今帰れば、きっとわたくしが本気で抗議をしていると思ってもらえなくなりますわ。ジョブレスの姫として、誇りある生き方をしたいのです」


 エフィーリアが言っているのは、魔法王国のとある政策についての話だ。


 レトレシア魔法魔術大学の話だ。

 ローレシア魔法王国の最高学府であり、未来の魔術師を輩出するレトレシア魔法魔術大学は、ある身分の者たちの入学を厳しく制限している。


 奴隷たちである。


 ローレシア魔法王国を含めた複数の国家において、10年前に施行された人間法──国家の垣根を越えて守られるべき法──において、ありとあらゆる奴隷取引が禁止された。

 人類史に残るこの出来事は、ぞくに奴隷解放と呼ばれている。


 しかし、社会に根付いた慣習は簡単にはなくならなかった。

 レトレシア魔法魔術大学は、元・奴隷、およびその子供の入学を許可しなかったのだ。


 エフィーリアの怒りは、父親である国王がこの膠着した状況にたいして、いつまでも手をこまねいていることへの不満なのだ。


「お父様の一声があれば、レトレシア魔法魔術大学は元・奴隷に勉強の機会をあたえるはずですわ。なのに、お父様ったら『魔法学校への奴隷受け入れは私だけの判断ではとても難しいことなんだよ』だなんて言い訳ばかりして! ムカつきますわ!」

「国王さまもいろいろ考えてんだよ。ほら、魔法学校っていったら、ほかにもたくさんあんだろぉ? その学校を維持してるのだれかって言われたら俺たち貴族だろうしよ。いまは貴族のチカラが強い時代だろ? 無理な政策をとおしたら、国王さまは貴族たちの手綱たづなをとれなくなる。それに無闇に前例をつくったら、ほかの国から何言われるかわかったもんじゃねえ。国王さまひとりでどうにかできる話じゃねえんだよ、エフィー。まあ、俺は別に奴隷が学校に来ようが、別にどうってことない話だと思うけどさぁ」


 ジェイクは貴族の品格と言うものが嫌いだった。

 くだらない誇りで他人を搾取するのを軽蔑していた。


「まっ、そういうわけで、帰ろう。うん、今引きかえしても10日かかるけど、11日になるよりはマシだぜ」


 ジェイクは話をきりあげて、馬の方向を転換させようとする。


「だめですわ! ジェイクいま帰ったら、嫌ですわ!」

「なんだよ、それぇ……」


 ジェイクは深くため息をついた。

 今回の脱走もしばらく続きそうだ。

 あと1カ月以内に王都に帰れたらいいな。

 ジェイクがそんなことを思っていると、ふと、道行く先に人影が現れた。


 灰色の外套を着た男だ。


 一団は馬をとめた。


 ジェイクは眉をひそめる。

 嫌な予感がしていたのだ。


「どうしたのですか? もしかして、森に迷い込んだのですか?」


 エフィーリアはたずねる。

 灰色の男は小刻みに肩をふるわせている。


「とんでもねぇ。待ってたんだ」


 男は指をパチンっと鳴らした。

 途端、最後尾のジェイクのさらに後ろに岩の壁がせりあがってきた。


 退路を断たれた。

 ジェイクは緊急事態をさとる。


「エフィーを守る。ノザリス、フラワー、このクソ無礼野郎から目え離すなよ!」


 ますます荒くなるジェイクの声に『レトレシア魔術団』のメンバーがうなずく。

 姫付き人のヘンリックも鋼のつるぎを抜剣した。


「俺がこの仕事をやってる理由はいくつかある。楽しい、気持ちいい、モンスターの実戦データがとれる。だが、一番気に入ってるのは……値段だ。金をもらって、なおかつ実験できる。素晴らしいとは思わないか?」


 灰色の男の背後から、黒い液体がうごめき、六足の獣に変化した。

 流動する体をもつ不気味で邪悪なモンスターだ。

 その恐ろしい威圧感に、ジェイクは冷汗がにじむのを感じていた。

 こいつはやべえのが来たな。


 命をかけた戦いは突然やってくるものだ。

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