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第五十九話 募兵(八)

 盧植ろしょくは自身が持ってきた仕事の内容を語り出した。


「西方で反逆した韓遂かんすい辺章へんしょうのことは知っているな」


 盧植ろしょくの言葉に劉備りゅうびは首を縦に振る。


「彼らは一度、討伐を受け、今は身を潜めている。


 だが、西方が完全に平穏になったわけではない。西方の平穏のために奴らを討伐しようということとなった。


 そのために大規模な兵の募集を始めるそうだ」


 そこまで言われて、劉備りゅうびも合点がいったのか強く頷いた。


「なるほど、その募集に我らも参加したらどうか、ということですね」


 劉備りゅうびが納得していると、盧植ろしょくはさらに詳しく話をしてくれた。


「今、中軍校尉ちゅうぐんこうい袁本初えんしょうが指揮をとり、徐州じょしゅう兗州えんしゅうを中心とした地域で兵を集めるために準備をしているところだ」


 盧植ろしょくの何気なく言った人名に僕は思わず反応してしまった。


「ん、袁本初えんしょう⋯⋯あの袁紹えんしょうか!


 あの人が責任者なのか」


「どうした?


 何が問題があるのか」


 僕の驚いた言葉に、盧植ろしょくは思わず振り向いて尋ねてきた。


 袁紹えんしょうといえば、このこう少年が飛び込んだ車馬行列の主だった男だ。彼はぶつかってきたこう少年を許さず、危うく処刑するところであった。助けがなければ、今頃はこのこう少年もここにいなかっただろう。


 そうでなくても、袁紹えんしょうといえば三国志の有名人だ。将来、北に一大勢力を築くことになる群雄の一人だ。


 確か、袁紹えんしょうといえば後漢きっての名門の出身だったな。そうか、今の時点で既に募兵を任せられるほどの重要な地位に就いているようだ。


 とにかく、今は盧植ろしょくの言葉に返事をしよう。馬を盗んで車馬行列に突っ込んだと言うわけにもいかないから、ごまかして話そう。


「いえ、そういうわけでは。


 ただ、ちょっと拝見する機会があったのですが、あまり良い印象がないんです。どうも高圧的な人物だという印象が強くて⋯⋯」


 だいぶ、ぼかした言い方になった。だが、盧植ろしょくはなるほどと、理解を示しつつ、袁紹えんしょうの話をしてくれた。


「確かに袁本初えんしょうは名家の出ゆえ、気位の高いところがある。それゆえに一般の民衆の視点から見れば良い印象を受けないかもしれないな。


 だが、彼は腐敗した政治を憂い、将来への展望を持ち、若手の中心的な人物である。


 次代を担う人物として彼こそ第一であろう」


「そ、そうなんですか」


 どうやら、盧植ろしょく袁紹えんしょうのことを相当高く買っているようだ。この後の袁紹えんしょうのやらかしを知っている僕からすると実力以上に高く評価しているように思える。


 だけど、確かに袁紹えんしょうは若手のリーダー格だったようだ。それに最後は曹操そうそうにこそ敵わなかったが、群雄では一時は最大勢力を築くし、高い地位にも就く。


 それを考えたら盧植ろしょくのこの評価も、決して的外れとは言えないのかもしれない。


 そもそも、あの一瞬しか会っていない僕が、実際に接しているであろう盧植ろしょくの話を強く否定するのもおかしな話だ。今すぐ害があるわけでもないし、ここはひとまず同調して様子を見よう。


 僕の納得した様子を見た盧植ろしょくは、再び劉備りゅうびの方に向き直り、話を続けた。


「さて、劉備りゅうびよ。


 私は袁本初えんしょうとも面識がある。紹介状を書けば高待遇とまではいかんが、一兵卒からということもないだろう。


 どうだ?


 参加してみる気はないか」


「なるほど、どうしたものかな」


 盧植ろしょくからの提案に、劉備りゅうびも満更ではない様子だ。ただ、一応、確認のためか、僕らの方にチラリと視線を送る。


「兄貴、オレは兄貴にどこまでだってついていくぜ」


「兄者、私もどこまでもついていきましょう」


 真っ先に張飛ちょうひが、さらに関羽かんうが続けて賛同した。二人が賛同しているので僕もこれに賛同した。


「よし、わかった。


 盧先生ろしょく、是非お願いします」


 劉備りゅうび盧植ろしょくに対して頭を下げた。


 盧植ろしょく劉備りゅうびの言葉にウンウンと頷き、さらに別の提案を始めた。


「ところで劉備りゅうびよ。


 旅立つ前に一つ頼みを聞いてくれないか」


 盧植ろしょくは改まった態度となり、劉備りゅうびに尋ねた。


「なんでしょう。


 盧先生ろしょくの頼みであればなんなりと」


 劉備りゅうびにとって盧植ろしょくは恩師であり、今は新たな仕事を与えてくれた人物だ。その人物と頼みとあれば、出来得る限り叶えたいと劉備りゅうびも願い出た。


「募兵が終われば、お前たちは一度、雒陽らくように戻ってくるだろう。それまでの期間で良い。


 お前の部下を一人、私に貸してくれないか」


 なんと盧植ろしょくからの頼みは部下の寸借であった。劉備りゅうびがどこまで行くのかわからないが、行って洛陽らくようまで戻るとなると数カ月はかかるだろうか。


 しかし、今の洛陽らくように残るとなると懸念がないわけでもない。果たして今はどういう状況なのだろうか。


「私の部下でございますか」


 思わぬ頼みに劉備りゅうびも少し戸惑っているようだ。


 困惑する劉備りゅうびに、盧植ろしょくは今の政治情勢を語って聞かせた。


「どうも大将軍かしん董太后とうたいごうとの軋轢あつれきが深刻になってきた。


 何か良からぬことが起きるかもしれん。そのためにお前の部下を一人借りたいのだ」


 盧植ろしょくの話に僕は少し疑問を持った。何進かしん董太后とうたいごうって対立してるんだったかな。僕は三国志の記憶を呼び覚ましながら考えた。


 そもそも、あの二人はどんな人物だったかな。何進かしんは聞き覚えがある。大将軍だいしょうぐんを務める偉い人だ。董太后とうたいごうがよくわからない。しかし、太后たいごうと言うからには皇帝の母なんだろう。


 一方、盧植ろしょくの話を聞いた劉備りゅうびも考えているようであった。


「少しの間というのなら構いませんが⋯⋯。


 問題は誰が残るかな」


 劉備りゅうびは僕ら三人の顔を見回した。それに対して張飛ちょうひがすぐに反応した。


「オレは兄貴から離れるつもりはないぜ」


 続けて関羽かんうもあまり乗り気ではない様子であった。


「私も離れるのは気が進みませんな」


 考え事をしていた僕は二人に一歩出遅れてしまった。


 僕が言葉を発するより先に、盧植ろしょくはさらに条件を付け加えた。


「残る者には連絡役も兼ねてもらいたい。


 できれば馬の扱いに長けた者が良い」


 その一言で劉備りゅうび張飛ちょうひ関羽かんうの心は一つになった。


「馬の扱いに長けた者というと⋯⋯」


「そりゃー⋯⋯」


「一人しかおらぬな」


 そう言うと三人は一斉に僕の方へと振り返った。


「え、ぼ、僕か!」


 僕が驚いていると、劉備りゅうびは構わず僕を盧植ろしょくに紹介していく。


劉星りゅうせいはうちの騎兵担当だ。


 コイツ以上に馬の扱いに長けた奴はいない」


 そう言って劉備りゅうびは太鼓判を押して僕を推薦してくれた。


「そうか。では、劉星りゅうせい、良いか?」


 考えたらこれだけの三国志界の有名人に囲まれて、馬と言えばで僕の名が挙がるのは凄いことなのかもしれない。


 僕は盧植ろしょくの頼みを聞き入れ、了承することにした。


「わかりました」


「よし、では、劉星りゅうせい雒陽らくように残し、俺たちは部隊の仕事に応募しよう」


 劉備りゅうびはそう宣言すると、自身の荷物を解き、大きなかごを僕に渡してきた。


劉星りゅうせい雒陽らくように残るならいくらの滞在費とこいつを渡しておこう」


かご


 中身は⋯⋯草鞋わらじ(植物を編んで作った簡易な靴)とむしろ(植物を編んで作った敷物)か?


 それにしてはたくさんあるな。こんなに使う機会ないと思うけど⋯⋯」


 そう言えば、劉備りゅうびは若い頃、草鞋わらじむしろを作って暮らしていたという話だったな。つまり、これは劉備りゅうびの実家の手作りということか。


「誰がお前用だと言った。


 こいつは金が尽きた時に売ろうと思って持ってきていた草鞋わらじむしろだ。


 軍旅に持っていっても邪魔なだけだからな。お前に渡しておくよ。もし、滞在費が尽きたらこいつを売って金にしてくれ」


「そういうことか。


 ありがたく貰っておくよ。まあ、盧先生ろしょく宅でお世話になるならそんなにお金は掛からないと思うけどね」


 僕は劉備りゅうびから大量の草鞋わらじむしろを押し付け⋯⋯いや、受け取った。こんなにたくさんどうしたものかな。


「さて、では俺たちは旅立ちの準備をしょうか」


 こうして、僕を洛陽らくように残し、劉備りゅうび関羽かんう張飛ちょうひの三人は仕事へ出ていくこととなった。


 しかし、残る事に懸念がないわけではない。


 僕はこの先の未来を知っている。この洛陽らくようは将来、董卓とうたくという暴君が君臨し、火の海となる。出来ることならその時までには洛陽らくようを去りたい。


 確か、何進かしん宦官かんがん十常侍じゅうじょうじの対立の次が董卓とうたくの登場だったかな。


 先ほどの盧植ろしょくの話によれば、今はまだ何進かしん董太后とうたいごうが対立している状況らしい。聞けば、何進かしん宦官かんがんはそこまで大きくは対立していないようだ。ということは当分は董卓とうたくは来ないということだろうか。


「まあ、数カ月くらいなら大丈夫だろう。


 もう少し洛陽らくよう生活を満喫させてもらおう」


 しかし、時代の変わり目はもうすぐそこまで来ていた。ぼくはまだそれに気付かずにいた。


《続く》

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