盧植は自身が持ってきた仕事の内容を語り出した。
「西方で反逆した韓遂・辺章のことは知っているな」
盧植の言葉に劉備は首を縦に振る。
「彼らは一度、討伐を受け、今は身を潜めている。
だが、西方が完全に平穏になったわけではない。西方の平穏のために奴らを討伐しようということとなった。
そのために大規模な兵の募集を始めるそうだ」
そこまで言われて、劉備も合点がいったのか強く頷いた。
「なるほど、その募集に我らも参加したらどうか、ということですね」
劉備が納得していると、盧植はさらに詳しく話をしてくれた。
「今、中軍校尉の袁本初が指揮をとり、徐州・兗州を中心とした地域で兵を集めるために準備をしているところだ」
盧植の何気なく言った人名に僕は思わず反応してしまった。
「ん、袁本初⋯⋯あの袁紹か!
あの人が責任者なのか」
「どうした?
何が問題があるのか」
僕の驚いた言葉に、盧植は思わず振り向いて尋ねてきた。
袁紹といえば、この郃少年が飛び込んだ車馬行列の主だった男だ。彼はぶつかってきた郃少年を許さず、危うく処刑するところであった。助けがなければ、今頃はこの郃少年もここにいなかっただろう。
そうでなくても、袁紹といえば三国志の有名人だ。将来、北に一大勢力を築くことになる群雄の一人だ。
確か、袁紹といえば後漢きっての名門の出身だったな。そうか、今の時点で既に募兵を任せられるほどの重要な地位に就いているようだ。
とにかく、今は盧植の言葉に返事をしよう。馬を盗んで車馬行列に突っ込んだと言うわけにもいかないから、ごまかして話そう。
「いえ、そういうわけでは。
ただ、ちょっと拝見する機会があったのですが、あまり良い印象がないんです。どうも高圧的な人物だという印象が強くて⋯⋯」
だいぶ、ぼかした言い方になった。だが、盧植はなるほどと、理解を示しつつ、袁紹の話をしてくれた。
「確かに袁本初は名家の出ゆえ、気位の高いところがある。それゆえに一般の民衆の視点から見れば良い印象を受けないかもしれないな。
だが、彼は腐敗した政治を憂い、将来への展望を持ち、若手の中心的な人物である。
次代を担う人物として彼こそ第一であろう」
「そ、そうなんですか」
どうやら、盧植は袁紹のことを相当高く買っているようだ。この後の袁紹のやらかしを知っている僕からすると実力以上に高く評価しているように思える。
だけど、確かに袁紹は若手のリーダー格だったようだ。それに最後は曹操にこそ敵わなかったが、群雄では一時は最大勢力を築くし、高い地位にも就く。
それを考えたら盧植のこの評価も、決して的外れとは言えないのかもしれない。
そもそも、あの一瞬しか会っていない僕が、実際に接しているであろう盧植の話を強く否定するのもおかしな話だ。今すぐ害があるわけでもないし、ここはひとまず同調して様子を見よう。
僕の納得した様子を見た盧植は、再び劉備の方に向き直り、話を続けた。
「さて、劉備よ。
私は袁本初とも面識がある。紹介状を書けば高待遇とまではいかんが、一兵卒からということもないだろう。
どうだ?
参加してみる気はないか」
「なるほど、どうしたものかな」
盧植からの提案に、劉備も満更ではない様子だ。ただ、一応、確認のためか、僕らの方にチラリと視線を送る。
「兄貴、オレは兄貴にどこまでだってついていくぜ」
「兄者、私もどこまでもついていきましょう」
真っ先に張飛が、さらに関羽が続けて賛同した。二人が賛同しているので僕もこれに賛同した。
「よし、わかった。
盧先生、是非お願いします」
劉備は盧植に対して頭を下げた。
盧植は劉備の言葉にウンウンと頷き、さらに別の提案を始めた。
「ところで劉備よ。
旅立つ前に一つ頼みを聞いてくれないか」
盧植は改まった態度となり、劉備に尋ねた。
「なんでしょう。
盧先生の頼みであればなんなりと」
劉備にとって盧植は恩師であり、今は新たな仕事を与えてくれた人物だ。その人物と頼みとあれば、出来得る限り叶えたいと劉備も願い出た。
「募兵が終われば、お前たちは一度、雒陽に戻ってくるだろう。それまでの期間で良い。
お前の部下を一人、私に貸してくれないか」
なんと盧植からの頼みは部下の寸借であった。劉備がどこまで行くのかわからないが、行って洛陽まで戻るとなると数カ月はかかるだろうか。
しかし、今の洛陽に残るとなると懸念がないわけでもない。果たして今はどういう状況なのだろうか。
「私の部下でございますか」
思わぬ頼みに劉備も少し戸惑っているようだ。
困惑する劉備に、盧植は今の政治情勢を語って聞かせた。
「どうも大将軍と董太后との軋轢が深刻になってきた。
何か良からぬことが起きるかもしれん。そのためにお前の部下を一人借りたいのだ」
盧植の話に僕は少し疑問を持った。何進と董太后って対立してるんだったかな。僕は三国志の記憶を呼び覚ましながら考えた。
そもそも、あの二人はどんな人物だったかな。何進は聞き覚えがある。大将軍を務める偉い人だ。董太后がよくわからない。しかし、太后と言うからには皇帝の母なんだろう。
一方、盧植の話を聞いた劉備も考えているようであった。
「少しの間というのなら構いませんが⋯⋯。
問題は誰が残るかな」
劉備は僕ら三人の顔を見回した。それに対して張飛がすぐに反応した。
「オレは兄貴から離れるつもりはないぜ」
続けて関羽もあまり乗り気ではない様子であった。
「私も離れるのは気が進みませんな」
考え事をしていた僕は二人に一歩出遅れてしまった。
僕が言葉を発するより先に、盧植はさらに条件を付け加えた。
「残る者には連絡役も兼ねてもらいたい。
できれば馬の扱いに長けた者が良い」
その一言で劉備・張飛・関羽の心は一つになった。
「馬の扱いに長けた者というと⋯⋯」
「そりゃー⋯⋯」
「一人しかおらぬな」
そう言うと三人は一斉に僕の方へと振り返った。
「え、ぼ、僕か!」
僕が驚いていると、劉備は構わず僕を盧植に紹介していく。
「劉星はうちの騎兵担当だ。
コイツ以上に馬の扱いに長けた奴はいない」
そう言って劉備は太鼓判を押して僕を推薦してくれた。
「そうか。では、劉星、良いか?」
考えたらこれだけの三国志界の有名人に囲まれて、馬と言えばで僕の名が挙がるのは凄いことなのかもしれない。
僕は盧植の頼みを聞き入れ、了承することにした。
「わかりました」
「よし、では、劉星を雒陽に残し、俺たちは部隊の仕事に応募しよう」
劉備はそう宣言すると、自身の荷物を解き、大きな籠を僕に渡してきた。
「劉星、雒陽に残るならいくらの滞在費とこいつを渡しておこう」
「籠?
中身は⋯⋯草鞋(植物を編んで作った簡易な靴)と蓆(植物を編んで作った敷物)か?
それにしてはたくさんあるな。こんなに使う機会ないと思うけど⋯⋯」
そう言えば、劉備は若い頃、草鞋や蓆を作って暮らしていたという話だったな。つまり、これは劉備の実家の手作りということか。
「誰がお前用だと言った。
こいつは金が尽きた時に売ろうと思って持ってきていた草鞋と蓆だ。
軍旅に持っていっても邪魔なだけだからな。お前に渡しておくよ。もし、滞在費が尽きたらこいつを売って金にしてくれ」
「そういうことか。
ありがたく貰っておくよ。まあ、盧先生宅でお世話になるならそんなにお金は掛からないと思うけどね」
僕は劉備から大量の草鞋と蓆を押し付け⋯⋯いや、受け取った。こんなにたくさんどうしたものかな。
「さて、では俺たちは旅立ちの準備をしょうか」
こうして、僕を洛陽に残し、劉備・関羽・張飛の三人は仕事へ出ていくこととなった。
しかし、残る事に懸念がないわけではない。
僕はこの先の未来を知っている。この洛陽は将来、董卓という暴君が君臨し、火の海となる。出来ることならその時までには洛陽を去りたい。
確か、何進と宦官の十常侍の対立の次が董卓の登場だったかな。
先ほどの盧植の話によれば、今はまだ何進と董太后が対立している状況らしい。聞けば、何進と宦官はそこまで大きくは対立していないようだ。ということは当分は董卓は来ないということだろうか。
「まあ、数カ月くらいなら大丈夫だろう。
もう少し洛陽生活を満喫させてもらおう」
しかし、時代の変わり目はもうすぐそこまで来ていた。ぼくはまだそれに気付かずにいた。
《続く》