馬超の全身全霊を賭けた渾身の突進が張飛の眼前に迫る。
ついに決着の時か。観客の僕は手に汗を握って、一瞬たりとも見逃すまいとこの試合の行く末を見守った。
「「今だ!」」
両者がどちらともなくほぼ同時にそう叫んだ。
張飛は迫り来る馬超目掛けて、棍棒を横に薙ぎ払う。その一撃は歪な音を上げ、空気を引き裂いた。
だが、裂いたのは空気だけであった。
そこに馬超の姿は無かった。
馬超は張飛の棍棒を振り払われる間一髪のところで、棍棒を地面に突き刺し、棒高跳びよろしく、棍棒ごと空高く跳び上がった。
二、三メートルは上空に跳び上がったであろう。その瞬間の跳躍に一瞬、姿を見失う。
しかし、張飛は空高く舞う馬超をすぐに目で捉えた。
「いい判断だぜ!
だが、上空じゃあ逃げ場はねーぞ!」
張飛は棍棒を槍のように突き出して、落下してくる馬超を待ち構えた。
張飛の言う通りだ。一度跳んでしまえば、後は自然の法則に従って落ちるばかり。それ以上の回避はできない。上空では足場もない。
どうするつもりだ馬超。このまま下で待ち構える張飛の餌食となってしまうのか。
「いや、上空にも足場はある!」
馬超は自らの棍棒を手放し、それを足場に地面目掛けて蹴り飛ばした。
勢いよく蹴り飛ばされた彼の棍棒はグングンと矢の如く加速し、張飛目掛けて落下していく。馬超の蹴りは棍棒を足場にしつつ、同時に攻撃にも使ったのであった。
「チッ!
しゃらくせーぜ!」
張飛は迫り来る棍棒に対して、自身の棍棒を突き出した。端から見れば荒々しいその一撃は、正確に相手の棍棒の先端を捉えた。わずか直径二センチほどのその先端は見事に同じ直径の先端を打ち砕き、バラバラに粉砕した。
だが、戦いはそれで終わらない。
棍棒を蹴飛ばすことで着地点をズラした馬超は、張飛の背後に落下した。
そして、馬超は、張飛が蹴飛ばした棍棒に気を取られている隙に素早く体勢を整えた。さらに落下の勢いそのままに、グルリと身体をひねり、張飛に対して回し蹴りの構えに移った。
対する張飛。こちらも相手の棍棒を打ち砕くと、目玉をギョロリと動かしてすぐに馬超を視認した。張飛も身体をグルリと回し、棍棒を振りかぶった。
これこそ本当の最後の決着。
馬超の蹴りが、張飛の棍棒が互い目掛けて繰り出される。
果たして、どちらの攻撃が炸裂するのか。
「はい、そこまで!」
決着がつかんとするその瞬間、審判である関羽の声が響いた。彼は左手で馬超の繰り出される足を掴み、右手の棍棒で張飛の繰り出す棍棒を受け止めていた。
この二人の攻撃を同時に受け止めてみせるのはさすが、関羽といったところだ。
関羽は二人を引き離した。
そして、彼はまず馬超の方へと振り向いた。
「孟己。見事な判断力と脚力だ。
だが、詰めが甘い。
あの蹴りでは張飛に致命傷は与えられない。あのまま相打ちになっていれば、やられていた君の方だろう」
関羽の的確な指摘に、馬超は頷くしかなかった。
「雲長さん。あなたの言う通りです。
武器を手放すべきでは無かった」
反省する馬超に、張飛がへへっと笑いながら声をかけた。
「まあ、孟己もよくやってたぜ」
相打ちなら張飛が勝っていたという関羽の言葉に、すっかり彼は気をよくしているようであった。
だが、関羽の指摘は張飛の方にも向けられた。
「張飛、確かにあのままならお前の勝ちであっただろう。
だが、お前も詰めが甘い。
落ちてきた棍棒を砕くのは過剰な攻撃だ。あれでお前の動きは一動作分は遅れた。
もし、馬超が暗器(隠し武器)でも隠し持っていれば、お前は命を落としていたかもしれない」
関羽の言葉に、張飛は頭をポリポリと掻きながら、バツの悪そうな顔をして返した。
「オレの動きに無駄が多いって言いたいんだろ。
わかってるぜ。直していくからよぉ」
張飛は耳にタコだと言わんばかりの態度であった。張飛は関羽の弟分であり、また武芸の弟子でもある。日頃からよく言われている言葉なのだろう。
「さて、二人とも互いの欠点がわかったのなら次に何をするべきかわかるな。
特訓だ。行くぞ」
そう言って関羽は二人を引っ張って連れて行った。
こうして、未来の豪傑・張飛と、未来の猛将・馬超の試合はひとまずの決着をみた。
さて、三人が再び稽古に戻ったところで、僕は観客を止め、自身の仕事へと戻っていった。
彼らがこのように思い思いに日々を過ごしている中、僕はというと、馬超の奴隷である郃少年と共に馬の世話を主な仕事としていた。
洛陽にいる間は馬たちを思いっきり走らせてやる事ができない。彼らにストレスが溜まらないよう、細やかなケアをするのが僕の仕事だ。
馬超の元で馬丁(馬の世話係)であった郃少年も僕の仕事を手伝ってくれている。
僕の愛馬の彗星、そして、劉備の愛馬・驪龍。関羽の赤蹄。張飛の黒燕の四頭。
これに加えてお世話になっているお礼として、盧植宅にて飼育されている四頭の馬の世話も受け持っている。
この合わせて八頭の馬の面倒を見るのが僕らの日課だ。
「僕の彗星は言うまでもないが、さすがは盧先生宅の馬だ。
どの子も美しい毛並みだ。四頭ともどれも一級の名馬だな」
僕はウットリとしながら、盧植邸の馬たちを見回した。四頭とも鹿毛(茶色)で揃えられている。さらには鬣や尾の毛も同じ長さに整えられている。一頭だけでは地味だが、四頭等しく揃えられると美しさが際立つ。
しかし、僕が惚れ惚れとその四頭を眺めていると、その隣で郃少年が冷めた口調で口を挟んできた。
「そうですかね。
確かに毛並みは綺麗に整えてありますけど、名馬と言うには痩せすぎじゃないですか」
なかなかに厳しい言葉だ。盧植の馬は僕の彗星らに比べれば小さめだが、一般的な体格の範疇だろう。だが、彼の目には痩せ型に見えるようだ。
「うーん、そうか。
君は馬超のところの子だから、もっとたくましい名馬たち。それこそ汗血馬なんかも見て育ってるんだな。
君の目はかなり肥えてるようだ」
西方は馬の名産地らしい。その土地の、それも馬超のところとなれば、それこそ立派な馬が何頭も飼われていたのだろう。あの市場で見た汗血馬のような馬もいたかもしれない。
そんな中で暮らしていたなら、並の馬では満足しないだろうな。
「まあ、俺の目から見ても、あなたの愛馬は名馬だと思いますよ」
悪口ばかり言うのも申し訳なく思ったのか、郃少年は付け加えるように僕の愛馬・彗星を褒めた。
さらに郃少年は彗星に近付き、その鼻先を撫でた。
彗星は頭が良く、乗り手を自分で選ぶ馬だ。誰彼構わず心を許す馬ではない。その彗星の鼻先を、郃少年は慣れた手つきで撫でている。彗星もそれを嫌がるような素振りを見せない。
やはり、この少年には馬の才能がある。
《続く》