僕らは市場で出会ったかつての劉備の恩師・盧植の世話となり、彼の家に宿泊させてもらえることになった。
盧植の家は宮城にも近い洛陽の中心部にあった。この辺りは政府高官や富豪らの住宅が建ち並ぶ、いわゆる、高級住宅街にあたる地域だ。
さすがに政府の要職を務めるだけあって家は広い。前に暮らしていた劉備の実家の数倍はあろうかという規模となっている。
「さすが、盧先生の家だ。
広い家だなぁ。
劉備の実家とは全然違う」
「劉星、一言多いぞ」
だが、建物の構造自体は劉備宅とよく似ている。真ん中に中庭を作り、その四方を長方形の建物で囲んで「口」の字型を作る。こういう建物を『四合院』といい、伝統的な住居の形式らしい。
南の門の対面、北側に建つ南北に長い建物が主屋。ここで主人である盧植が暮らす。その目の前に中庭があり、両脇には南北に長い建物が建っている。ここは廂房と呼ばれる。ここに盧植の家族や使用人などが暮らしている。
中庭は垂花門という門で南北に二分割されている。この門より北奥がこの家の主人らが暮らす私的な空間。南外が客人らを迎える公的な空間となっている。
客人である僕らは当然、垂花門より南側にいる。南にある正面門のすぐ前に前殿という建物があり、ここが客間となっている。僕と劉備、関羽、張飛。そして、偶然出会った馬超とその奴隷の少年・郃はここで寝泊まりさせてもらっている。
「しかし、デカい邸宅ではあるけど、中は案外質素だね。装飾も少ないし。
ここが客室だからだろうか」
「いや、おそらく主屋もこんな感じじゃないか。
先生は過剰な贅沢をあまり好まない人だからな」
そこから僕らは数日間、盧植邸にて寝起きすることになった。
劉備は日中、いそいそとどこかへ出かけていく。市場へ行くこともあれば、誰かと会うこともあるようだ。彼は次の仕事に繋がればと動いているようだ。だが、そこまで焦りはないようで、気ままにブラリと出かけていく。
関羽、張飛の二人はどちらかが劉備に同行することもあれば、残って盧植邸にて鍛錬に勤しむこともある。二人とも残る時などは手合わせを行うこともある。練習試合のはずだが、この二人の手合わせは遠巻きに見ても迫力がある。
共に暮らすことになった馬超だが、彼が最も忙しく動き回っている。元々、洛陽での情報収集が目的だったので、一人で市場へ赴く時もあれば、劉備に同行することもある。
時にはここに残って関羽・張飛と鍛錬することもある。馬超はまだ子供だ。関羽、張飛に比べれば膂力では後れを取る。しかし、素早い剣技を見せ、両者に引けを取らないほどの実力を見せた。
そうなると、必然、手合わせしようという話が出てくる。
「おい、孟己。
お前は随分、腕に覚えがあるようだな。
ここいらでオレと勝負してみないか」
そう馬超を偽名の『孟己』方で声をかけたのは血の気の多い張飛だ。彼は二メートルほどの細長い棍棒を馬超に向かって投げ渡した。
「待て、張飛。
そういう挑発はやめておけ」
彼の兄貴分・関羽は眉をひそめて忠告する。しかし、実際に止めようとはしないところを見ると、彼も馬超の実力に興味があるのだろう
さて、相手方の馬超はというと、張飛から投げつけられた棍棒を身を屈めて拾い上げた。
「私は未だ修行中の身ですが⋯⋯。
益徳さんがお望みなら良いでしょう。
相手になります」
そう言って棍棒を手に、構えた。
「そうこなくっちゃな!」
張飛も同じ棍棒を手に、馬超に対峙するように身構えた。
「まったく、仕方のない奴らだ。
やむを得ん。私が見届けよう。
私が待ったをかけたらやめよ」
そう言って関羽は両者の審判を申し出た。口ではやれやれと言った様子だが、その表情は楽しげだ。彼も興味津々なのが伝わってくる。
かくいう僕もこの対戦には興味津々だ。
張飛、馬超と言えば将来ともに劉備軍の|五虎大将軍
《ごこだいしょうぐん》に選ばれる二人だ。そして、馬超加入時にこの二人は一騎打ちを繰り広げている。当時の両者の実力は拮抗。日が暮れても勝負がつかず、松明を焚いて夜戦を行ったが、それでも決着はついにつかなかった。
その激戦がまさかこんなにも早く、それも目の前で見れるなんて思わなかった。せっかくなので観客となって特等席で味わおう。
だが、あの激戦は両者が武将として名を上げた未来に行われた話だ。今の彼らは無名の武者に過ぎない。
張飛の歳はまだ十八。だが、背は百八十センチ。身体はガッシリとよく鍛えられている。まだ、青年ではあるが、身体はかなり成熟している。
彼は試してやるとばかりに自信に満ち溢れた視線を馬超に注いだ。
一方の馬超。こちらの歳はまだ十四。同年代と比べればよく鍛えられた身体つきをしている。だが、やはりまだ未成熟な少年という印象を受ける。大柄な張飛と比べれば尚更だ。
しかし、馬超はその体格差を気負うことなく、相対している。
だけど、年齢からくる身体の未熟さ。こればかりはどうしようもない。果たして幼い馬超が、張飛相手にどこまで戦えるのか。
「それでは両者、構え!」
間に立つ関羽が二人に合図を送る。
「始め!」
関羽の発したその一言をきっかけに、|馬超は一気に距離を詰めんと駆け出した。
「いいぜ!
最初はお前の力を見てやるぜ!」
張飛は余裕の表情を浮かべてその場に静かに構え、馬超の迫り来るのを待った。
「くらえっ!」
まずは馬超の攻撃だ。彼の鋭い眼差しには一切の迷いがない。その振り下ろされた棍棒はまるで本物の刃のように煌めき、相手を無慈悲に狙う。
「うぐっ」
その一撃を棍棒で受け止めた張飛は、あまりの衝撃に思わず野太い声を漏らす。
その張飛の言葉を聞いて味を占めたのか、馬超の眼が一瞬で鋭く輝いた。
彼は自身の身軽さを最大限に生かし、続けて無数の突きを張飛にお見舞いする。その刺撃は目にも止まらぬ早業。空気を引き裂く連撃が張飛を襲う。
「ぐおっ」
幾度かの連撃を受け止めた張飛。しかし、息を呑む暇もなく棍棒が繰り出され、その先端が張飛の首元を危うく掠めた。
だが、張飛も負けじと棍棒を力の限り振るい、馬超の身軽な身体を弾き飛ばす。
「へっ、テメーの実力はわかったぜ!
その程度じゃ、この張飛様には効かねーな!」
先ほどの息つく暇もない攻防で、馬超が油断ならない相手だということは嫌と言うほど実感していることだろう。
しかし、張飛はあえて笑う。そして、彼は馬超に挑発するかのような言葉をかけるのであった。
「もっと本気できな!」
「言ってくれるな!
ならば、見せよう!
我が本気を!」
馬超は張飛の頭上目掛けて飛び掛り、先ほどよりもさらに早い、目にも見えぬ神速の連撃を繰り出した。
「そうこなくっちゃな!」
張飛は重く一歩を踏みしめて、馬超の攻撃に立ち向かう。
相手の張飛は巨体だ。馬超ほどの身軽さは無い。しかし、兄貴分の関羽に鍛えられた技術が彼にはある。無数に繰り出される刺突を、自身の棍棒を振るって巧みに捌いてみせた。
さらに彼の強味はその力だ。僕も昔、彼の振り回す棍棒の一撃を手に持った棍棒で受け止めたことがある。本人は軽く振ったつもりだろうが、手が腫れ上がるほどジンジンと痛み、棍棒を思わず落としてしまった。
今の張飛も、一見すれば馬超の棍棒を軽く払っているようではある。だが、「ダン!」、「ダン!」と強い音をあげ、馬超の棍棒はブルブルと小刻みに震えている。
果敢に攻勢を仕掛けているように見えて、ダメージを負っているのはむしろ、馬超の方だ。
「どうした馬超?
手が震えてるぜ!」
張飛はニヤリと笑う。
だが、馬超も後ろに大きく飛び退いて態勢を整えると、負けじとニヤリと笑う。
「今日は寒いんでね。
ようやく、温まってきたところさ」
一見すれば馬超の負け惜しみだ。
しかし、彼はあれだけの張飛の猛攻を喰らいながら、手許の棍棒を落としてはいない。
あながち負け惜しみとも言えないだろう。彼は子供離れした腕力、そして握力の持ち主と言える。
だが、体格差は崩せない。馬超はあの怪力をかわし、筋肉の鎧を砕ける一撃を放たねば勝利は得られない。
「どうやら全身全霊でいかねばあなたは倒せないようだ」
馬超は棍棒を持ち直した。棍棒の先を前に突き出し、自身はまるで上半身で棍棒を包みこむかのような前のめりの体勢だ。
「行くぞ!
ウォー!」
馬超は雄叫びを上げ、全身を使って突進していった。腕力だけで勝てないのなら、全身の衝撃でもって張飛を突き崩すつもりのようだ。
「面白れーぜ!
テメーの全身全霊がオレに届くか試してみな!」
対する張飛は棍棒を短く握り直す。おそらく、どんな攻撃がきても薙ぎ払うつもりなのだろう。
だが、馬超は怯むことなく真っ直ぐに突き進んでいく。
「カッカッカ」と小気味よく足音を鳴らして迫るその物体に、張飛は余裕の表情でどっしりと待ち構える。
だが、顔では余裕を装いつつも、真剣な眼差しで馬超の一挙手一投足を見ている。彼も相手の馬超が幼いながらも油断できない相手であると認めているようだ。
「この一撃で決着がつくか!」
渾身の突撃を繰り出そうとする馬超。そして、それを薙ぎ払おうと待ち構える張飛。両者がついに激突する。
《続く》