袁紹は何進に対して、厳しい口調で話し始めた。
「校尉の多くは大将軍の味方に付くでしょう。
しかし、末端の兵士たちは違います。
蹇碩が全軍の指揮権を得たならば、兵士たちは彼に従うことでしょう。
あの西園軍の精鋭が蹇碩の指揮下に入るのは恐るべき事態でございます」
そう言われ、何進はまたも頭を抱え出した。
それに対して袁紹はさらに畳み掛けるように新たな情報を彼に提供し始めた。
「それに聞くところによれば、蹇碩は近頃、永楽宮に出入りしているということでございます」
その言葉に何進はギョッとして飛び上がった。
「何、永楽宮だと!
奴め、董太后に近づいているというのか!」
董太后とは霊帝の母である。彼女は宮中の永楽宮という宮殿で暮らしていた。
霊帝にはこの時、息子が二人いた。
一人は何進の妹・何皇后との間の子・劉弁。霊帝はこれ以前に何度か子を幼い内に亡くしていたので、あえてこの子を道士の史子眇に預けて育てさせた。そのため、この子を世間では史子眇の姓を取り、史侯と呼んだ。
もう一人は側室の王美人との間の子である劉協。しかし、これに嫉妬した何皇后は王美人を毒殺してしまった。生まれてすぐに母を失った劉協は彼の祖母にあたる董太后に養育された。そのため、この子は世間では董侯と呼ばれた。
このために劉弁を次の皇帝にしたい何進や何皇后にとって、劉協の保護者である董太后やその一族が最大の政敵であった。
その董太后と蹇碩が接近するというのは、何進にとって最も由々しき事態であった。
「知っての通り、皇后殿下は私の妹だ。
だが、実の兄であっても許可なく中宮(皇后の住む宮殿)に入ることはできない。許可があっても部下を連れて行くことはできず、制約も多い。
それを、去勢しているというだけで、宦官は自由に出入りができてしまう。
この差は大きい!」
何進は歯噛みしながらそう答えた。
後宮では皇帝以外の子が生まれる事態は避けねばならない。そのため、皇帝以外の男子は基本禁制である。
しかし、皇帝や皇后の世話をする使用人は必要だ。その使用人には去勢した男子が充てられた。これが宦官である。そのため、彼ら宦官は後宮の中を自由に出入りできた。
口惜しそうに語る何進に、袁紹は両手を胸の前で合わせて進言した。
「今の董氏は大将軍に対抗するだけの力はございません。
ですが、西園軍という強力な兵力を手に入れたら、どのような強硬手段に打って出るかわかったものではありません」
もしも、甥の劉弁ではなく、劉協の方が次の皇帝となれば、何進は今の地位を失うだろう。それだけは避けねばならない事態であった。
「う、うーむ。なんとしても我が甥、史侯を次の皇帝に即けねばならん。
けっして、董侯を皇帝にさせてはならない。
袁紹、どうすれば良い?」
何進は焦りを表情ににじませながら、袁紹に尋ねた。
「そうですな。
董氏や蹇碩よりも多くの兵を得て、抑止力とするしかありません。
ここは大将軍も私兵を集めるのです」
その袁紹の言葉に、何進は思わず驚いて聞き返した。
「私兵を?」
「そうです。
強力な軍隊に対抗するためには、より強力な軍隊を揃えるしかありません」
袁紹は、まるで何進を追い詰めるように早口で迫った。
だが、何進は踏ん切りがつかない様子で、言葉を濁らせた。
「し、しかし、兵を勝手に集めるわけにはいかんだろう」
「大将軍も既に部曲を養っているでしょう。今さら何を遠慮することがありますか」
私的に集めた部隊のことを部曲と呼ぶ。
確かに袁紹の指摘する通り、何進も部曲を持っていた。しかし、それは当時の豪族の標準的な兵数に留まっていた。
「あれはあくまで警備のための兵だ。
これ以上集めるのは⋯⋯」
言い淀む何進に、袁紹は顔を近づけ、さらに一段と強く迫った。
「大将軍、今や世の豪族は各々、部曲を集め、勢力を拡大していくのが常識となっております。
大将軍ほどの権勢を誇られるお方が今以上に部曲を持たれてなんの障りがありましょう」
袁紹に強く言われ、何進も段々とその気になってきた。
袁紹の言う通り、天下の大将軍の部曲が豪族の標準的な兵数と同程度では示しがつかない。
だが、集めたくてもすんなりできるものではない。
「だが、どうやる?
あまり大々的に募兵を行えば、陛下から良からぬ疑いをかけられかねないぞ」
謀叛でも疑われようものなら、その時点で今の地位を失いかねない。
何進のその手段を袁紹に尋ねた。
「今は陛下が軍事改革の名の下に広く兵を集めております。
その中に大将軍の募兵の報せを紛れ込ませば、誰も指摘するものはいないでしょう」
この袁紹の提案に、何進は「うーん」と唸りながら頭の中で思案を重ねた。
彼の言う通り、今も霊帝による募兵が継続的に行われている。その管理も大将軍の管轄だ。その募兵の報せの中に自分の部曲のための募兵の報せを混ぜたところでどうとでもごまかしが効く。
何より何進にとっては、甥・劉弁を皇帝にすること以上に優先すべきことはない。
「うーむ⋯⋯。
わかった、やろう。
来たるべき日に備えて私も兵を集めよう!」
「よくぞ決断なさいました。
これで大将軍の権勢はより確かなものとなるでしょう」
そう言い袁紹を頭を下げた。
その俯いた顔が邪悪にニヤリと笑っていることを何進は知る由もなかった。
何進にとっては甥を皇帝にすることが大望であった。
袁紹は表向きは彼の大望を後押ししていた。だが、彼の大望は別にあることを何進はまだ知らずにいた⋯⋯。
〜〜〜
宮中での政争が激化していることを僕らはまだ知らずにいた。
たまたま出会った劉備の元先生・盧植の世話になり、彼の住居に活動拠点を移した。
その生活の中で、奴隷の少年・郃との交流を深めようと僕は動いていた。
《続く》