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第五十五話 募兵(四)

 袁紹えんしょう何進かしんに対して、厳しい口調で話し始めた。


校尉こういの多くは大将軍かしんの味方に付くでしょう。


 しかし、末端の兵士たちは違います。


 蹇碩けんせきが全軍の指揮権を得たならば、兵士たちは彼に従うことでしょう。


 あの西園軍せいえんぐんの精鋭が蹇碩けんせきの指揮下に入るのは恐るべき事態でございます」


 そう言われ、何進かしんはまたも頭を抱え出した。

 それに対して袁紹えんしょうはさらに畳み掛けるように新たな情報を彼に提供し始めた。


「それに聞くところによれば、蹇碩けんせきは近頃、永楽宮えいらくきゅうに出入りしているということでございます」


 その言葉に何進かしんはギョッとして飛び上がった。


「何、永楽宮えいらくきゅうだと!


 奴め、董太后とうたいこうに近づいているというのか!」


 董太后とうたいこうとは霊帝れいていの母である。彼女は宮中の永楽宮えいらくきゅうという宮殿で暮らしていた。


 霊帝れいていにはこの時、息子が二人いた。


 一人は何進かしんの妹・何皇后かこうごうとの間の子・劉弁りゅうべん霊帝れいていはこれ以前に何度か子を幼い内に亡くしていたので、あえてこの子を道士の史子眇ししじょうに預けて育てさせた。そのため、この子を世間では史子眇ししびょうの姓を取り、史侯しこうと呼んだ。


 もう一人は側室の王美人おうびじんとの間の子である劉協りゅうきょう。しかし、これに嫉妬した何皇后かこうごう王美人おうびじんを毒殺してしまった。生まれてすぐに母を失った劉協りゅうきょうは彼の祖母にあたる董太后とうたいこうに養育された。そのため、この子は世間では董侯とうこうと呼ばれた。


 このために劉弁りゅうべんを次の皇帝にしたい何進かしん何皇后かこうごうにとって、劉協りゅうきょうの保護者である董太后とうたいこうやその一族が最大の政敵であった。


 その董太后とうたいこう蹇碩けんせきが接近するというのは、何進かしんにとって最も由々しき事態であった。


「知っての通り、皇后こうごう殿下は私の妹だ。


 だが、実の兄であっても許可なく中宮(皇后の住む宮殿)に入ることはできない。許可があっても部下を連れて行くことはできず、制約も多い。


 それを、去勢しているというだけで、宦官かんがんは自由に出入りができてしまう。


 この差は大きい!」


 何進かしんは歯噛みしながらそう答えた。


 後宮では皇帝以外の子が生まれる事態は避けねばならない。そのため、皇帝以外の男子は基本禁制である。

 しかし、皇帝や皇后の世話をする使用人は必要だ。その使用人には去勢した男子が充てられた。これが宦官かんがんである。そのため、彼ら宦官かんがんは後宮の中を自由に出入りできた。


 口惜しそうに語る何進かしんに、袁紹えんしょうは両手を胸の前で合わせて進言した。


「今の董氏とうし大将軍かしんに対抗するだけの力はございません。


 ですが、西園軍せいえんぐんという強力な兵力を手に入れたら、どのような強硬手段に打って出るかわかったものではありません」


 もしも、甥の劉弁りゅうべんではなく、劉協りゅうきょうの方が次の皇帝となれば、何進かしんは今の地位を失うだろう。それだけは避けねばならない事態であった。


「う、うーむ。なんとしても我が甥、史侯りゅうべんを次の皇帝にけねばならん。


 けっして、董侯りゅうきょうを皇帝にさせてはならない。


 袁紹えんしょう、どうすれば良い?」


 何進かしんは焦りを表情ににじませながら、袁紹えんしょうに尋ねた。


「そうですな。


 董氏とうし蹇碩けんせきよりも多くの兵を得て、抑止力とするしかありません。


 ここは大将軍かしんも私兵を集めるのです」


 その袁紹えんしょうの言葉に、何進かしんは思わず驚いて聞き返した。


「私兵を?」


「そうです。


 強力な軍隊に対抗するためには、より強力な軍隊を揃えるしかありません」


 袁紹えんしょうは、まるで何進かしんを追い詰めるように早口で迫った。


 だが、何進かしんは踏ん切りがつかない様子で、言葉を濁らせた。


「し、しかし、兵を勝手に集めるわけにはいかんだろう」


大将軍かしんも既に部曲ぶきょくを養っているでしょう。今さら何を遠慮することがありますか」


 私的に集めた部隊のことを部曲ぶきょくと呼ぶ。


 確かに袁紹えんしょうの指摘する通り、何進かしん部曲ぶきょくを持っていた。しかし、それは当時の豪族の標準的な兵数に留まっていた。


「あれはあくまで警備のための兵だ。


 これ以上集めるのは⋯⋯」


 言い淀む何進かしんに、袁紹えんしょうは顔を近づけ、さらに一段と強く迫った。


大将軍かしん、今や世の豪族は各々おのおの部曲ぶきょくを集め、勢力を拡大していくのが常識となっております。


 大将軍かしんほどの権勢を誇られるお方が今以上に部曲ぶきょくを持たれてなんのさわりがありましょう」


 袁紹えんしょうに強く言われ、何進かしんも段々とその気になってきた。


 袁紹えんしょうの言う通り、天下の大将軍だいしょうぐん部曲ぶきょくが豪族の標準的な兵数と同程度では示しがつかない。


 だが、集めたくてもすんなりできるものではない。


「だが、どうやる?


 あまり大々的に募兵を行えば、陛下から良からぬ疑いをかけられかねないぞ」


 謀叛でも疑われようものなら、その時点で今の地位を失いかねない。


 何進かしんのその手段を袁紹えんしょうに尋ねた。


「今は陛下が軍事改革の名の下に広く兵を集めております。


 その中に大将軍かしんの募兵のしらせを紛れ込ませば、誰も指摘するものはいないでしょう」


 この袁紹えんしょうの提案に、何進かしんは「うーん」と唸りながら頭の中で思案を重ねた。

 彼の言う通り、今も霊帝れいていによる募兵が継続的に行われている。その管理も大将軍だいしょうぐんの管轄だ。その募兵の報せの中に自分の部曲ぶきょくのための募兵の報せを混ぜたところでどうとでもごまかしが効く。


 何より何進かしんにとっては、甥・劉弁りゅうべんを皇帝にすること以上に優先すべきことはない。


「うーむ⋯⋯。


 わかった、やろう。


 来たるべき日に備えて私も兵を集めよう!」


「よくぞ決断なさいました。


 これで大将軍かしんの権勢はより確かなものとなるでしょう」


 そう言い袁紹えんしょうを頭を下げた。


 その俯いた顔が邪悪にニヤリと笑っていることを何進かしんは知る由もなかった。


 何進かしんにとっては甥を皇帝にすることが大望であった。


 袁紹えんしょうは表向きは彼の大望を後押ししていた。だが、彼の大望は別にあることを何進かしんはまだ知らずにいた⋯⋯。


 〜〜〜


 宮中での政争が激化していることを僕らはまだ知らずにいた。


 たまたま出会った劉備りゅうびの元先生・盧植ろしょくの世話になり、彼の住居に活動拠点を移した。

 その生活の中で、奴隷の少年・こうとの交流を深めようと僕は動いていた。


《続く》


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