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第五十三話 募兵(二)

 黙りこくってしまった何進かしんにたいして、今度は霊帝れいていの方から話をふった。


「それで、何進かしんよ。血相を変えて何用でわたしのところに来たのだ」


 そう問われて何進かしんは自身の焦りと憤懣ふんまんを思い出した。彼は改めて聞き質したかった本題へと入った。


「そうでございました。


 陛下、西園軍せいえんぐんのことでございます」


 西園軍せいえんぐん。それは霊帝れいていが行った軍事改革の一つであった。この頃、大規模な宗教反乱・黄巾こうきんの乱を始めとする多くの兵乱が各所で起こった。

 それらに対抗するため新たに霊帝れいていが作り出した常備軍。それが西園軍せいえんぐんであった。


 西園せいえんとは宮中にある園庭の名である。霊帝れいていが官職を売買する売官を行った時、この西園せいえんに邸舍を建て、この園庭で販売した。


 そして、この西園せいえん萬金堂ばんきんどうという倉庫を建設。そこに売官の売上や税収を溜め込んだ。

 ここに積まれた資金を元手に作れられた軍隊。そのため、この園庭の名を頭に冠して西園軍せいえんぐんと名付けられた。


 この命名は、霊帝れいていが行った売官が決して己の欲望のための殖財しょくざい行為ではない、このくにの改革の資金に使うためだという内外へのアピールの狙いもあった。


「陛下、西園軍せいえんぐんの指揮権を蹇碩けんせきに与えるというのは本当でございますか?」


 何進かしんが問題としたのはその指揮権であった。


 その西園軍せいえんぐん霊帝れいてい自らが『無上将軍むじょうしょうぐん』と称し、直属の軍隊とした。


 しかし、実際に霊帝れいていが戦場に出向くことはない。

 そのため、大将軍だいしょうぐん何進かしんを事実上の総司令官としていた。


 だが、今回、その総司令官を別の人物に変更するという話が出てきたのであった。


「ああ、その話か。


 そのつもりだ」


 霊帝れいていは事も無げにそう答えた。


 霊帝れいていから事実が確認できた何進かしんは強い剣幕でそれを問い質した。


西園軍せいえんぐんの指揮は私がるという話だったはず。


 それを何故、蹇碩けんせきに任せるという話になったのですか!」


 そもそも、元をたどれば西園軍せいえんぐん何進かしんの発案で創設された。


 何進かしんの幕僚から出された新軍創設の案がことの発端であった。それを霊帝れいていに勧め、生み出された強力な軍隊。その軍隊の総司令官から外されるのは何進かしんとして容認することが出来なかった。


 霊帝れいていは怒る何進かしんを、まるで子供の駄々くらいの態度で宥めた。


「勘違いするな。


 何進かしん、お前は既に大将軍だいしょうぐんの地位にある。大将軍だいしょうぐんかんの全軍を統べる重責だ。


 これにさらに西園軍せいえんぐんの指揮まで任せては負担が大きいと判断しての処置だ。


 決して、お前をないがしろにしたわけではない」


 しかし、そう言われても、納得できる何進かしんではない。


「ですが、今や西園軍せいえんぐんは漢軍の中心的な存在です。


 それをよりにもよって宦官かんがんに任せるなんて!」


 既に漢の軍制は西園軍せいえんぐんを中心に改革が進められていた。その指揮権を持つことは、大将軍だいしょうぐん何進かしんより発言力が増しかねない。


 そのような事態をみすみす譲るようなことは何進かしんには出来なかった。ましてや、その相手が宦官かんがん蹇碩けんせきとなればなおさらである。


 だが、霊帝れいていにその言葉は届きはしなかった。


「確かに蹇碩けんせき宦官かんがんではある。だが、既に上軍校尉じょうぐんこういの責務を全うしている。


 その指揮権を拡大させて、西園軍せいえんぐん全体に及ぼしても役目にえるであろう」


 蹇碩けんせき何進かしんからすれば憎むべき政敵だ。だが、霊帝れいていすれば信用できる部下であった。


「しかし!」


 なおも食い下がろうとする何進かしん


 その時、とある人物が何進かしんの背後より姿を現した。


大将軍かしん、見苦しいですぞ」


 女性的なかん高い声で、何進かしんは止められた。彼はすぐさま後ろへ振り返った。


「お前は蹇碩けんせき!」


 何進かしんを呼び止めた者。それは他でもない件の話のもう一人の当事者・蹇碩けんせきその人であった。


 蹇碩けんせきあざな威頎いき霊帝れいていが信用する宦官かんがんの一人であった。


 歳は霊帝れいていと同じくらいの三十歳頃。服装は霊帝れいていと同じ胡服こふくを着用していた。


 宦官かんがんは去勢した男子が就く皇帝の使用人である。去勢したために、そのひげは抜け落ち、声が高くなる。顔が整ったものであれば女性と見間違えるような容貌になる。

 また、肉はしまりがなく、筋肉もつきにくいため、肥満になりやすい。張譲ちょうじょうのような痩せ型はむしろ珍しいぐらいである。


 しかし、その宦官かんがんの中にあって、この蹇碩けんせきは違った。

 ひげはなく、顔つきも幼く、一見すれば少女のようだ、そして、声も女性のように高い。

 だが、その身体はよく引き締まっており、しっかりと筋肉が付いていることは服の上からでもよくわかるほどであった。

 宦官かんがんでありながら武将顔負けの体格をした男。それが蹇碩けんせきであった。


 蹇碩けんせきは得意気な様子で、何進かしんを注意する。


「これは陛下が既に決められたことだ。


 それに意見するのは臣下のとるべき道とは言えないのではないですかな」


 武将の体格から発せられる、その女性のような高い声が何進かしんの神経を返って逆なでした。


蹇碩けんせき、どうせお前が陛下に良からぬことを吹聴したのであろう!」


 そう強い口調で、彼は蹇碩けんせきなじった。


 これには蹇碩けんせきもより強い口調で返した。


大将軍かしん、それは陛下に対する侮辱ですぞ!


 確かに私は陛下に問われて意見を述べました。


 しかし、決められたのは陛下のご意思」


 そう言って、蹇碩けんせきは不敵な笑みをこぼしながら、チラリと霊帝れいていの方を見ながら言った。


「そもそも、愚鈍な私が仮に良からぬことを吹聴したところで、それに聡明な陛下が惑わされることなぞあろうはずがありません」


 霊帝れいてい蹇碩けんせきに味方するように話を続けた。


「そうだぞ、何進かしん


 これはわたしの判断で決めたことだ。そのことで蹇碩けんせきを責めるのは間違っているぞ」


 霊帝れいていは既に蹇碩けんせきの味方であった。何進かしん霊帝れいていにそう言われては、これ以上に蹇碩けんせきを責めることも出来なかった。


 その何進かしんの姿を見て、蹇碩けんせきはニヤリと笑う。


 その様が霊帝れいていが先ほど置いた杯のそこに僅かに残った酒に映し出されている。

 それをチラリと見た何進かしんは苦々しい気持ちとともに、その底に沈むよどみに彼ら宦官かんがんを見ていた。


(杯の片隅に絶えず残り続けるよどみ⋯⋯。


 まさに宦官かんがんとはこのよどみではないか⋯⋯。


 上の酒をすするばかりではよどみは残り続ける。

 やはり、杯そのものを洗わねばならぬのではないのか)


《続く》

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