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第五十一話 邂逅(五)

「は、はい!


 先生!」


 突然の盧植ろしょくの激昂。いつもはドンと構えている劉備りゅうびもこれには驚き慌てた様子だ。彼は長い両手をピシリと膝につけて、頭を下げた。


 劉備りゅうびの身長は百七十センチを超えで、この時代ではかなりの長身だ。しかし、相手の盧植ろしょくはそれを上回る百九十センチの巨体だ。盧植ろしょくに見下されるように叱りつけられる劉備りゅうびの姿に、いつもは大きく見える彼の背中がいやに小さく感じられた。


 なにしろ、相手の盧植ろしょく劉備りゅうびがまだ少年期に学問を教えてもらった恩師だ。僕らとは関係性が違う。いつもは僕らの大将としてリーダーシップを発揮する劉備りゅうびも、盧植ろしょくの前ではかつての教え子のままであった。


「貴様、人混みに隠れていたな。


 あのような輩を見ながら何もしないとは何事か!


 それでも私の教え子か!」


 どうも先生・盧植ろしょくは、これほどの騒動になってもただの傍観者で居続けた劉備りゅうびが許せなかったようだ。


 その軟弱な態度を叩き直すと言わんばかりの勢いで、クドクドと説教が始まった。


 関羽かんう張飛ちょうひも暴力による危険には身を挺して守るつもりではあるが、このような事態は想定していなかったようだ。すごい剣幕で怒られている彼を、ただ呆然と見守るばかりであった。


 まあ、先ほど、盧植ろしょく劉備りゅうびを「教え子」と呼んでいたので、彼らも身の危険のある事態ではないと判断したのだろう。


 ただ、劉備りゅうびはひたすら頭を下げて、相槌を打ちながら恩師・盧植ろしょくの説教を聞いている。


 しかし、盧植ろしょくの言葉が途切れた隙をついて、劉備りゅうびは自身の話を切り出し始めた。


「すみません。実は今少し訳ありでして⋯⋯。


 名を出すことができなかったのです」


 劉備りゅうびとしてはなんとかして切り出した話であった。だが、盧植ろしょくはさらに怒りの炎を燃やして、彼を叱責し始めた。


「何っ!


 まだ罪があるのか!


 申せ!」


 だが、その言葉に劉備りゅうびはさらに態度をピシッと改め、かしこまった様子でこれまでの身の上を語りだした。


「はい。実は私はとある県で県尉けんいを務めていました」


 劉備りゅうびが語るのは安喜県あんきけん県尉けんいを務めていた時の話だ。しかし、視察に来た督郵とくゆうが元盗賊であった関羽かんうの身柄を要求した。劉備りゅうびは最初は賄賂で解決しようとしたが、それが叶わず。さらには先走った僕が督郵とくゆうと悶着を起こし、折檻せっかんを受けると劉備りゅうびはこれに激怒した。それにより督郵とくゆうを殴って職を辞してしまった。


 おそらく、劉備りゅうびはその話をするのだろう。しかし、そのまま伝えては却って怒りを買いそうだが、大丈夫なのだろうか。僕は冷や汗を垂らして事態を見守った。


 対して盧植ろしょく劉備りゅうびの話を深く頷きながら聞いていた。


県尉けんいとは立派な仕事だ。


 しかし、だからといって宦官かんがんの顔色を伺ってはならんぞ」


 そう言って盧植ろしょく劉備りゅうびたしなめた。


 下級の県尉けんいが権力を握る宦官かんがんの顔色をうかがうのはよくあることなのだろう。だが、よくあることだからと流す盧植ろしょくではない。


 だが、劉備りゅうびはさらに話を続けた。


「いえ、その時に督郵とくゆうの視察を受けたのです。


 しかし、その督郵とくゆうは私に賄賂を要求してきました。

 もちろん、私は断りました」


 そこまで話して、後ろで聞いていた僕は、おや、そんな話だったかなと、首を傾げた。


 だが、劉備りゅうびはさらに言葉に熱を帯びて、話を続けた。その話しぶりはまさに迫真であった。


「ですが! 督郵とくゆうはあること無いこと私の罪状をでっち上げて、私を捕らえようとしてきたのです。


 私はそれを許せず、督郵とくゆうを成敗致しました。


 しかし、そのために県尉けんいの職を追われることになったのです」


 劉備りゅうびは身振り手振りを交えて、迫真の様子で自身が県尉けんいを辞めることになった経緯を語って聞かせた。


 だが、その話はどうにも僕が見てきた話とは内容が違うようであった。


 僕は堪らず、劉備りゅうびの側近くに寄り、こっそりと話しかけた。


「おい、劉備りゅうび


 なんか話が違わないか?」


「シッ!


  高齢の先生に心配をかけまいとする弟子心がわからんのか。


 黙ってろ」


 そう言って、劉備りゅうびは僕の言葉をはねのけた。


 一方、盧植ろしょくは押し黙って劉備りゅうびの話を聞いていた。そして、突如、目を見開き、劉備りゅうびの肩を力強く叩いた。


劉備りゅうびよ⋯⋯。


 偉い!


 よく賄賂を贈らなかった!」


 どうやら、劉備りゅうびの弟子心は、良いように盧植ろしょくに伝わったようであった。


劉備りゅうびよ、お前は昔から勉強は不真面目であった」


 その恩師からの厳しい一言に、劉備りゅうびは苦虫を噛み潰したような顔をする。


 どうやら、この劉備りゅうびの表情から察するに、盧植ろしょくの言う通り彼はあまり勉強のできるタイプではなかったようだ。まあ、失礼ながら、この世界の劉備りゅうびならそちらの方がイメージ的にも合致するな。


 しかし、その恩師はそんな彼の表情には構わずに、さらに話を続けていった。


「だが、お前は世渡りの上手いところがあり、同輩からは好かれていた。


 そんな様子を見て、私はお前が上に上手く取り入り、高い地位を得ようとしているのではないかと密かに危惧きぐしていた。


 だが、君は硬骨の士であったようだ。


 見直したぞ劉備りゅうびよ」


 どうやら先ほどのよくねじ曲がった劉備りゅうびの身の上話を、盧植ろしょくは信じたようだ。それどころか大いに気に入って彼の肩を力強く叩き、称賛している。


 その様子を見て、密かにほくそ笑んだ劉備りゅうびは、こっそりと僕に耳打ちしてきた。


「ほらな、先生はこういう話がお好きなんだ」


 そう言って、ニヤリと笑う劉備りゅうび


「なるほど、確かに世渡りが上手い」


 盧植ろしょくによる劉備りゅうび評は随分、正確なようだ。


 こうして歴史が作られるのかと僕は感心した。


 確かに聞けば、劉備りゅうびの作り話の方が物語で読んだ督郵とくゆう事件に近い印象を受ける。案外、この話が後世に伝わって、僕が読んだ話になったのかもしれないな。


 劉備りゅうびを一通り称賛したところで、盧植ろしょくはその周囲にいる僕らに気づいた様子で尋ねてきた。


劉備りゅうびよ。その回りの男たちは誰だ」


《続く》

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