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第四十八話 邂逅(二)

 劉備りゅうび馬超ばちょうを説得して、僕の首筋に当たっている刀を納めさせようと声を掛ける。


馬超ばちょう、ここでその男を殺すのは簡単だろう。


 しかし、俺の背後の二人を見ろ。二人とも腕に覚えのある猛者もさだ。もし、お前が劉星りゅうせいの首を貫けば、次の瞬間にはこの二人がお前の首を落としているぞ。


 それでもその男を斬るか?」


 そう言って劉備りゅうびは、自分の後ろに立つ二人を指差した。関羽かんう張飛ちょうひも筋骨隆々、見るからに一騎当千の強者という雰囲気を発している。


 例え二人の実力は知らなくても、その雰囲気だけで、彼らの実力が並ではないのは伝わることだろう。


 だが、馬超ばちょうは気にも留めない様子で、あっさりと答えた。


「ならば、全員斬り殺すまでだ」


 馬超ばちょうは取り乱すこともなくそう言い放った。本当にこの場の全員を斬り殺しかねない。彼にはそう思わせるだけの迫力があった。


 それを感じとった劉備りゅうびは、すぐに頭を切り替えて、別の方向から彼の説得を心得た。


「まあ、落ち着け。


 実は俺もお尋ね者なんだ。


 そんな俺がお前を突き出したりできるわけがないだろ」


 劉備りゅうびはついに自分の切り札を出した。彼は自身の督郵とくゆうを殴打した事件を明かした。


 だが、馬超ばちょうはまだ首筋に当てる刀を引っ込めようとはしない。


「そんな話が信じられるか」


「ほら、これを見ろ」


 そう言って劉備りゅうびは懐から自分の手配書を取り出してみせた。馬超ばちょうは目玉だけを横にズラすと、素早くその手配書を確認した。


「ほら見ろ。俺もお尋ね者だ。


 お前を突き出したりしたら、俺が捕まっちまう。だからお前を市兵に突き出したりしない。安心しろ」


 実際に手配書を見て納得したのか、ようやく、馬超ばちょうは僕の首に当てていた刀を下ろしてくれた。


「わかった。ここは貴方を信じよう」


 馬超ばちょうは机から足を下ろし、先ほどまで座っていた席へと再び着席した。しかし、まだ殺気を残し、気を内外に充満させている。不用意に斬りかかろうとすれば返り討ちに遭うだろう。


 だが、それでも一応は納刀してくれた。劉備りゅうびはホッと胸を撫で下ろし、僕らを落ち着けると、隅で不安気に様子を伺っていた店主に一言びを入れた。


「店主、すまんな。


 これは少しだが迷惑料だ」


 そう言って、懐よりズシリと重みのある小袋を取り出して店主に握らせた。店主は先ほどまでの不安気な表情はどこへやら、笑みをこぼしながら小袋を受け取った。


「今は他の客もいませんから大丈夫ですよ。


 ⋯⋯ところで、お尋ね者がどうとか聞こえましたが⋯⋯?」


 店主は下卑げびた笑みを浮かべながら、小声でそう劉備りゅうびに尋ねた。


「抜け目のない男だ。


 これで今の話は聞かなかったことにしてくれ」


 劉備りゅうびはもう一つ、ズシリと重い小袋を店主に渡した。


「へい、まいど。


 あっしは面倒事には関わりませんからね。好きに喋ってください。


 それでは料理をお持ちしましょう」


 店主はホクホク顔で厨房へと引っ込んでいった。


「では、料理が運ばれてくる前に、改めて、⋯⋯孟己もうき、君たちの話を聞かせてくれないか」


 劉備りゅうびは、馬超ばちょうの名を控えて、彼が最初に名乗った偽名の孟己もうきの方で呼びかけた。


 対する馬超ばちょうはまだ苛立ちの感情を残してはいたが、最初の丁寧な態度に戻しながら話し出した。


「誰もいない場なら馬超ばちょうで構いませんよ。


 貴方たちに隠しても仕方がない。他にはあの店主くらいしかいませんし。


 私の名前は馬超ばちょうあざな孟起もうき。先年、反乱を起こした馬騰ばとうの息子です。


 先ほど名乗った偽名の孟起もうきあざなをもじったもの。あざなとして名乗った茂陵もりょうは私の出身の地名をそのまま使ったものです」


 既に自身の経歴がバレていると思った馬超ばちょうはつらつらと隠すこともなく紹介を始めた。


 やはり、彼が未来で劉備りゅうび軍において関羽かんう張飛ちょうひとともに五虎将軍ごこしょうぐんと呼ばれる馬超ばちょう、その人で間違いなさそうだ。


 さらに続けて劉備りゅうびは彼に尋ねた。


「その馬騰ばとうの息子が何故、今、雒陽らくようにいるんだ?」


「この雒陽らくようの地で情報を集めるのが私の役目です。


 ばとうの乱は失敗してしまいました。我ら一族は今、身を隠し、次の機会をうかがっております。


 次の一手はいかに情報を得るかにかかっています。そこで情報を集めようとやってきたのです」


 馬超ばちょうの父・馬騰ばとうは西方の群雄として知られる。どうやら、この時点で既に反乱を起こし、しかも、それが失敗に終わったようであった。


 馬騰ばとう一族再起のための情報収集。それが彼の長男・馬超ばちょうのこの洛陽らくようでの役目なのだという。


 僕はその話を聞いて、えらく大胆なことをするものだと驚いた。もし、正体が官吏にバレたらタダではすまないだろうに。そう思って、今度は僕は馬超ばちょうに尋ねた。


「しかし、馬騰ばとうの跡取りがこんな危険なことをするなんて。お父さんはよく許したね」


 そう聞くと、馬超ばちょうはどこか気品を残しながらも、豪快に笑い飛ばした。


「ははは、この私が父の跡取りか。


 何処から情報を得たか知らないが、貴方の情報精度はあまり良くないな。


 この私を後継者だと思っているんですか?


 確かに長男だが、私は妾腹の子だ。跡は継ぎませんよ」


「え、そうなのか?」


 馬超ばちょうはまだ笑っている。ここまで笑うということは、どうやら事実っぽい。


 馬超ばちょうと言えば馬騰ばとうの後継者。馬騰ばとう曹操そうそうによって殺されると、その軍勢を受け継いで曹操そうそうに戦いを挑むはずなのだが⋯⋯。


 もしかしたら、この世界では少し設定が違うのかもしれない。突っ込んで聞いてみたいが、下手なことを聞いて歴史が変わるのは避けたい。馬超ばちょうの歴史が変わると、この後の三国志の歴史も大きく変わってしまいそうだ。不用意なことはせず、ここは流しておくか。


「うーん、本人が言うのだからそうなのだろうか」


「いきなり、私の名を呼ぶものだからどれほどの情報を握っているのかと思ったが、存外、いい加減な情報のようですね。ははは」


 馬超ばちょうはまだ笑っている。


 まあ、これで馬超ばちょうの僕に対する警戒心が薄れたのなら良しとしよう。


「それで、その奴隷の子は?」


 僕は続けて、馬超ばちょうの後ろに立つ奴隷の子を指差して尋ねた。


「この子の名はこう


 先ほども言ったように、元は浮浪児です。しかし、馬の扱いに長けていたので、拾って馬丁ばていとして育てておりました。


 馬の扱いなら私も一目置くほどです」


 なるほど、あの馬超ばちょうに育てられたのなら、あれだけの技術を持っているのも納得だ。


 少年の歳は十歳ほど。よく日に焼けた肌、手足は細く、身軽そうな体格。目つきは鋭く、どこか周囲に対して距離を感じる。


 奴隷の証である青い衣服を身に着け、頭は後ろで結んだ髪を、青い筒のような布で包んでいる。この筒のような布も、さく(帽子)の一種になるそうだ。


 この少年の話も聞きたいのだが、奴隷のためか後ろに立ったままで会話に入ろうとはしない。


 どうにかできないものかと考えていると、どうやら先に食事の準備が整ったようだ。白く濁った牛乳のような飲み物とともに豚韭卵ブタニラ玉炒め狗䐲馬朘イヌと馬肉のスープ煎魚切肝炙り魚と切った肝羊淹雞寒羊と鶏のシオカラ蹇捕胃脯羊の胃の干物などが運ばれてきて、机に並べられた。


 スープの湯気と香りが食欲をそそる。


 張飛ちょうひなんかは話を聞かずに食事に口をつけ、ガツガツと食い始めている。


 しかし、僕は飯よりも馬超ばちょうの方が気になる。いや、それ以上にあの奴隷の少年のことが気にかかる。


 彼は食事が来たというのに相変わらず馬超ばちょうの後ろに立ち、席に着こうとしない。ただ、食卓の料理を物欲しげに見るばかりだ。それが奴隷の正しい姿なのかもしれないが、少年に対してそれはあまりにも気の毒だ。


劉備りゅうび、あの子も席につかせてはどうだろうか」


 僕は劉備りゅうびにそう提案した。劉備りゅうびも話がわかるようで、頷いて返してくれた。


「ああ、そうだな。


 どうだろうか。あの子も席につかせては?」


 馬超ばちょうはその提案に少し驚いた様子であった。


「貴方がたがそれで良いというのなら、私は構いません」


 しかし、こちら側からの提案ということもあってか、馬超ばちょうも受け入れてくれた。


「ぜひどうぞ。まだ席も空いてますし」


 僕は立ち上がって少年を促し、遠慮がちな彼を半ば強引に席につかせた。


「あ、ありがとう⋯⋯ございます⋯⋯」


 少年は無愛想にボソボソとお礼の言葉を述べた。僕は構わず料理を勧めた。最初は戸惑っていた少年も、一口食べると目を輝かせ、バクバクと勢いよく食べ始めた。


 それを見届けると、僕は自分の席に改めて座った。まずは馬超ばちょうの話だ。食事は後にして、飲み物だけにしようと、牛乳のような飲料を手に取った。


「牛乳⋯⋯ではなさそうだ。ヤギか羊の乳かな?


 ウッ⋯⋯なんだこの匂い? 腐ってるんじゃないか?」


 杯を近付けると、鼻にツンと強いチーズのような匂いが漂ってきた。僕は思わず杯を机に置いた。


《続く》

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