目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第四十七話 邂逅(一)

 今し方出会った人物が、三国志の特級有名人、曹操そうそう袁紹えんしょうという二人だと知って、僕は気が変になりそうだった。


 しかし、今更ながらお互いをあざなで呼び合っているんだな。この時代、名を直接呼んでは失礼に当たるので普段は呼び合わない。あざなという呼び名を使う。


 やはり、この世界で生きていくならあざなを叩き込んでおく必要がありそうだ。でないと、せっかく有名人に会えてもその人だと気づかないかもしれない。


 でも、あんまりあざなは覚えてないんだよな。


 えーと、確か、将来、劉備りゅうび軍に加わる趙雲ちょううんあざな子龍しりゅうで、黄忠こうちゅうあざな漢升かんしょうだったかな。そのぐらいなら覚えている。


 こんなことならもっと熱心に覚えておくべきだった。


 僕が頭の中でこの時代の偉人のあざなについて考えを巡らせた。


 そんなことを考えている間に、曹操そうそうは僕らの前から去っていった。もう少し喋りたいところではあるが、余計なことをしても悪いのでそのまま見送った。


 僕は彗星すいせい黒燕こくえんの手綱をき、奴隷の少年をうながして、劉備りゅうびらの待つ側道へと向かった。


「おい、劉星りゅうせい、大丈夫だったか」


 戻ってきた僕らを劉備りゅうびら三人は出迎えてくれた。


「今回はいい役人が来てくれたが、早々あることじゃないからな。


 気をつけろよ。


 お前は無茶をしすぎだ」


 劉備りゅうびは僕を叱った。彼の言うことはいちいちもっともだ。僕は反省して、三人に謝った。


 さて、次はこの少年をどうするかだ。


 馬を盗まれた張飛ちょうひはまだ許していない様子だ。


 僕は先ほど曹操そうそうに伝えた通り、これ以上追求するつもりはない。だが、この少年はずば抜けた乗馬技術を持っていた。そんな彼をそのまま放免してしまうのはもったいない。せめて、この子が何者かは知りたいところだ。


 少年の対処に困っていると、一人の青年がこちらに向かって駆け寄ってきた。


「すみません!」


 声をかけられ、僕らは一斉に振り向いた。


 現れた青年の歳は十四、五。まだ、幼さ残る顔立ちに、目は煌々こうこうと光りを宿している。高い鼻に広い口。肌はほどよく焼け、歳の割に筋肉が発達した身体。貴公子然とした容姿と野生児のような荒々しさを兼ね備えた青年であった。


 カラフルな刺繍の入った黄色い服に、下半身はズボンに革靴のスタイル。頭には頭巾をかぶり、腰には刀を下げている。身綺麗でありながら活動的な印象を受ける格好だ。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。


 その子供は私の蒼頭どれいなのです」


 身綺麗な青年は頭を下げながら、そう言って僕らの中に入ってきた。


 その青年を見るなり、奴隷の少年は気不味そうな様子を見せて逃げようとしたが、すかさず青年は少年の腕を掴んでその場に押し留めた。


「すみません。少し目を離したばかりに、私の蒼頭どれいがこのような騒動を起こしてしまって。


 何か壊れたものがありましたら弁償させていただきます」


「君が主人か。


 ここでは周りの目もある。酒舎いざかやにでも入ってゆっくり話さないか」


 劉備りゅうびがそう提案すると、身綺麗な青年もそれに同意してくれた。


 一連の騒動で僕らは道行く人々からジロジロと見られている。こんな道中ではとても落ち着いて話なんてできそうにない。それに一応、劉備りゅうび督郵とくゆうの一件でお尋ね者なんだ。これ以上、目立つような真似は避けたい。


 僕らは市場に戻って、客の少なそうな居酒屋の隅の席に着いた。


 席に着くなり、その身綺麗な青年が奴隷の少年の肩に手を置きながら語って聞かせてくれた。


「この子は元は浮浪児でした。かつて、私の馬を盗もうとしたところを捕えて蒼頭どれいとして今は養っております。


 まだ、昔の癖が抜けなかったようです。失礼致しました。馬はお返しします。その他、問題がありましたらおっしゃってください」


 青年は丁寧な応対で、態度に余裕が感じられる。


 その様子に、劉備りゅうびは感心しきりで対応した。


「君は若いのにしっかりしているね。


 俺は劉備りゅうびあざな玄徳げんとくという者だ。後ろの者たちは私の連れだ」


 劉備りゅうびは僕ら三人を指し示しながらそれぞれの名前を紹介した。すると、青年もかしこまって自己紹介を始めた。


「申し遅れました。


 私は孟己もうきあざな茂陵もりょうと申します。歳は十四歳です」


 そんな彼の自己紹介も、僕は別のことを考えながら話半分に聞いていた。先ほどからこの時代のあざなのことばかりを考えていた。


 彼の自己紹介を聞いても、孟己もうきという名からあざなを連想していた。そういえばモウキというあざなの人物もいたな。そんなことを思い返して、誰だったかなと頭をウンウンと唸らせていた。


 魏延ぎえんじゃないし⋯⋯龐統ほうとうじゃないし⋯⋯。


「そうだ、馬超ばちょうだ!」


 しょくの武将・馬超ばちょうあざなが確か孟起もうきであった。


 そう思いついた僕は、ついついその名前を口に出してしまった。


 次の瞬間、身綺麗な青年の目はギラリと光った。それと同時に彼はダンッと机に飛び乗り、僕の首スレスレに刃を突きつけてきた。


 青年からは先ほどまでの丁寧な物腰は消え去り、ギラつく野性味のみが全身を覆い尽くしていた。


「何故、俺の本当の名を知っている!」


 僕の首筋に刀の切っ先がわずかに振れる。あまりに突然の事態に僕は呑み込めぬまま、ただ汗のみがジワリと垂れていった。


 彼との間合いはわずか数十センチ。青年の顔は直ぐ側まで迫っている。彼が冗談や悪ふざけでこんなことをしていないことはその目を見ればわかる。これと同じ目をかつて戦場で見た。人を殺す奴の目だ。わずかよわい十四の子がして良い目ではない。青年がもし、このまま柄をグイと押せば僕の首は貫かれ、絶命することだろう。


「君は⋯⋯まさか⋯⋯本当に⋯⋯本物の⋯⋯馬超ばちょう⋯⋯なのか⋯⋯!」


 その問いかけに、相手の青年は答えない。だが、決して手を緩めることもない。


「もう一度聞く。


 何故、俺の名を知っている!」


「そ、それは⋯⋯」


 やはり、この青年が馬超ばちょうで間違いないのだろう。


 しかし、何故と聞かれても困ってしまう。まさか、未来から来たので君の将来の活躍を知っているからですと言うわけにもいかない。

 僕は言葉を詰まらせてしまった。


 しかし、僕以上に困っているのが周りの劉備りゅうびたちだ。なにしろ事情が全く分かっていない。ただただ困惑して、豹変した馬超ばちょうを宥めようと声をかけていた。


「待て、こんなところで騒ぎを起こすつもりか」


「すでに騒動になった。今更、もう関係はない」


 だが、馬超ばちょう一瞥いちべつもせず、刀を納めることもなくそう言い放った。


 とても、話が通じる状態ではない。劉備りゅうびもそう判断したのか、今度は僕の方に話を振ってきた。


「おい、劉星りゅうせい


 先ほど、お前が口にした馬超ばちょうというのは何者なんだ」


 僕はその質問に困った。しかし、当然来る質問だろう。馬超ばちょうはまだ子供だ。世間に名を知られていないのは仕方のないことだ。


 だが、僕の知っているのは未来の話だ。未来の馬超ばちょうは西方の群雄だ。曹操そうそうと戦い、後に劉備りゅうびの部下に加わる。そして、関羽かんう張飛ちょうひらと並び五虎将軍ごこしょうぐんの一人となる。


 しかし、そんな未来の話をここでするわけにもいかない。下手に言ったために未来が困ってしまうなんて事態は避けねばならない。


 しかし、何も言わないままではこの状況が変わりそうにない。僕は必死に頭を動かして、この時代でも言えそうな情報を探しに探して叫んだ。


「この子は馬超ばちょう。西方の雄・馬騰ばとうの息子だ」


 僕は馬超ばちょうの父・馬騰ばとうの名を出した。さすがに親子関係なら、ここで出しても歴史が変わることもないだろう。


 その名を聞くと、劉備りゅうびの背後に立つ関羽かんうが合点に行った反応を示した。


馬騰ばとうだと?


 その名は聞いたことがある。確か、反乱を起こした男の名だ」


「なるほど、反乱者の息子ってことか」


 劉備りゅうび関羽かんうの意見に納得した様子を見せる。


 どうやら、この時点で馬騰ばとうはすでに反乱を起こしてしまっているようだ。

 つまり、知らず知らずの内に僕は彼が反乱者の息子であることを暴露してしまっていたんだ。そりゃ殺されそうになるよな。余計なことを言うものではない。


 馬超ばちょう馬騰ばとうの名を聞くと、さらに殺気を高め、刃の先を首まで数ミリのところまで近づけてくる。


 事態を呑み込んだ劉備りゅうびは、改めて馬超ばちょうの説得に入った。


「待て、馬超ばちょう!」


《続く》

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?