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第四十六話 洛陽(八)

 騒動を聞きつけてやって来た白面の騎士は、事の成り行きを尋ねてきた。


 それに対して行列の主は、眉間にしわを寄せたまま、奴隷の少年に対して怒りをにじませながら返した。


「今、この蒼頭どれいが私の行列の中に飛び込んできたから始末しようとしていただけだ」


 どうやらこの白面の騎士は役人で間違いはないだろう。とにかく、今はこの人に頼るしかない。僕はその役人に泣きついた。


「すみません、役人の方ですか!


 この子は誤って行列の中に飛び込んでしまっただけなんです。どうか、殺さないでいただけないでしょうか」


 僕は早口で事情を説明した。


 役人らしき白面の男は静かに僕らの言葉に耳を傾ける。そして、落ち着いた口調で話し始めた。


「なるほど、事情はわかった。


 本初ほんしょ殿」


 男は行列の主人にそう呼びかけた。


 どうやら、二人は知り合いのようであった。


本初ほんしょ殿の言い分もよくわかる。


 しかし、この雒陽らくよう刃傷沙汰にんじょうざたもよろしくないでしょう」


 そう言われると、行列の主はギロリとにらみつけて答えた。


「何だ、お前は。私に意見しようというのか」


 どうやら、態度から見るに、この“本初ほんしょ殿”と呼ばれた行列の主の方が、現れた白面の騎士より格上であるようだった。


 しかし、対する白面の騎士は決して狼狽うろたえず、それでいて丁重な口調で返した。


「いえいえ、そういうわけではございません。


 ですが、今は宦官かんがんの我らを見る目も厳しいものとなっております」


 これに行列の主は声を荒げて答えた。


宦官かんがんごときをおそれる私ではないぞ!」


 返って逆撫でしたのではないかと、僕は内心ハラハラしながら事の推移を見守っていた。この行列の主が政府高官なのは間違いないだろう。これ以上、事態がこじれるのは御免被る。


 だが、白面の騎士は落ち着いた口調のまま、さらに言葉を続けた。


「ええ、そうでしょう。ですが、奴らは罪状をでっち上げる名人でございます。


 それに見たところ⋯⋯」


 そう言いながら、白面の騎士は長蛇の列となっている豪華絢爛けんらんなこの主の車馬行列をグルリと見回した。


「どうやら、車馬行列も公卿並みのような豪勢さですね。本初ほんしょ殿の立場からすれば規定以上の華美ではございませんか?


 この状況で、さらに騒動を大きくするのは、よろしくないのではございませんか」


 白面の騎士の指摘を受け、行列の主は苦虫を噛み潰したような顔つきに変わった。どうやら、痛いところを突かれたようだ。


「⋯⋯余計なことを。


 もう良い。この蒼頭どれいはお前に預ける。お前の方で処分しておけ。


 私は急いでいるんだ」


 そう捨て台詞を吐くと、行列の主は蒼頭どれいを白面の騎士に引き渡し、自身の車へと戻っていった。


 そして、車馬の横壁についた窓を開け、行列全体に進行を再開するよう指示を出した。


 兵士は捕えていた少年から手を離し、急ぎ列の定位置へと戻っていく。


 車馬が僕らの真横を通り過ぎようとするその時、窓から行列の主は、白面の騎士に対して一言告げた。


「“孟徳もうとく”、一つ貸しだぞ」


 そう言って行列は何事もなかったかのように急ぎ足で去っていった。


 後には僕と愛馬・彗星すいせい、白面の騎士、そして捕まっていた少年と、盗まれていた黒燕こくえんが残された。


 助かった。僕はホッと胸を撫で下ろした。


 これであの少年は無事だ。それに盗られていた張飛ちょうひの愛馬・黒燕こくえんも返ってくる。


 しかし、それよりも先ほど気になる言葉があった。それは、行列の主人が言った『孟徳もうとく』という名前だ。僕はこの名前に聞き覚えがあった。


 そのことばかりが気になって仕方がなかった。


 そんな僕の胸の内は露知らず、白面の騎士は倒れていた少年に歩み寄って手を伸ばし、助け起こした。そして、強い口調で注意した。


「話を聞くに君はどうやら馬泥棒だそうだな。


 少年の君はそれを返しなさい。


 君はこの少年が馬を返せば事を穏便に済ませることができるか?」


 白面の騎士は僕の方へと振り返り、そう尋ねた。


「え、ええ。


 馬を返していただければ、これ以上事を荒立てるつもりはありません」


 僕としては少年と黒燕こくえんが無事ならそれでいい。先ほど、少年は兵士たちに随分殴られていた。これ以上の罰は必要ないだろう。


「では、君はこの人に馬を返して謝りなさい」


「う、うう⋯⋯。


 ごめんなさい」


 少年は既に満身創痍だ。加えて、命の危機に接したことで随分しおらしく謝ってきた。


「よく謝ってくれたね。


 では、この馬は返してもらうよ」


 僕は盗まれていた黒燕こくえんの手綱をいて、彗星すいせいの側まで引き寄せた。


 白面の騎士はその様子をジッと見つめ、確かめるように僕に聞いてきた。


「ところで、君の馬のくらからぶら下がっているそれはなんだ?」


 そう言い、白面の騎士が指差していたのは、彗星すいせい黒燕こくえんに着けていたあぶみのことであるようだった。


「ああ、これはあぶみです。


 馬の乗り降りを助け、馬上で安定させるための補助具です」


 僕はついつい正直に説明してしまった。


 だが、説明し終わって内心、しまったと思った。この人物が何者かまだちゃんと確認していない。しかし、もしかしてこの人に不用意にあぶみについて教えてしまったのは、歴史の改変に繋がるのではないか。


「ほお、君が考えたのか」


 感心するような素振りの白面の騎士に、僕は慌てて訂正を入れた。


「い、いえ、元は前からあったものです。それを改良しました」


 歴史の改変は責任が重すぎる。とても、背負いきれない。前に公孫瓚こうそんさんも似たような革製の補助具はあると言っていた。発明者はそちらに譲ろう。僕はあくまで改良者というスタンスでいこう。


「なるほど、面白い。


 少し見せてもらっても良いかな?」


「え、ええ、どうぞ」


 下手に断るのも変だと思って、僕は止むなく見せることにした。


 白面の騎士は興味深げにあぶみを吟味した。


「ふむ、金属製の足置きか。


 確かにあると便利だな。


 勉強になった。ありがとう」


 白面の騎士は満足すると、自身の芦毛あしげ(白色)の馬をひざまずかせ、その背に乗って立ち上がらせた。


「その補助具があれば、いちいち馬を座らせる必要も無さそうだな。


 よし、では君たちはすぐにこの場から離れなさい。ここは高官が通る道だ」


 そう言い、白面の騎士は脇の一般道を指差した。


 白面の騎士はもうここを立ち去るつもりなのだろう。しかし、その前に僕は尋ねねばならないことがある。


「あ、あの、お役人様。


 貴方様のお名前を教えてはいただけないでしょうか」


 白面の騎士はフッと笑って答えた。


「そういえば名乗っていなかったか。


 私は曹操そうそうあざな孟徳もうとく典軍校尉てんぐんこういを務めている」


 その名前に、僕は雷で打たれたような衝撃を受けた。


「や、やはりあなたはそう⋯⋯曹孟徳そうもうとく様!」


 孟徳もうとくと呼ばれていたので、もしやと思っていたが、間違いではなかった。


 彼こそ劉備りゅうびと並んで、いや、それ以上に三国志を代表する人物・曹操そうそう、その人であった。


 この人物の後の功績を挙げればキリがない。しかし、この曹操そうそうが、この時代に、この国に、そして、劉備りゅうびに多大な影響を与えることになるのは間違いない。


 そんな、三国志の特級有名人が、今、僕の目の前にいる。


 だが、そんな未来を知らない彼は、僕に不敵に笑って尋ねた。


「君は私のことを知っているのか」


「え、ええ、優秀な方だと噂はかねがね聞いております」


 僕は適当にごまかした。この人物はこの後の歴史に影響を与え過ぎる。自分がわずかでも余計な情報を与えれば、どう未来が変わるかわかったもんじゃない。それ故に、僕は先ほど不用意にあぶみについて教えてしまったことを激しく後悔した。


 そんなこっちの気持ち知らないで、曹操そうそうは少し照れながらも、満足そうな反応を見せた。


 この接触が歴史を変えねばよいのだけれども。


 それと、もう一つ、僕には確認しなければいけないことがあったのを思い出した。


「ところで、先ほどの行列の主人の方なんですが、本初ほんしょ殿と呼ばれていましたが、もしかして⋯⋯」


 気になったのは先ほどの行列の主、彼が本初ほんしょと呼んだ相手の男のことだ。本初ほんしょという名にも、僕は聞き覚えがあった。もし、知っている人物ならぜひ、確認しておきたい。


「ああ、先ほどの彼は中軍校尉ちゅうぐんこうい袁紹えんしょうあざな本初ほんしょという人物だ。


 役職で言えば私の上司になるが、古い馴染みの相手なので親しくさせてもらっている」


 その解答で、僕の疑問は氷解した。


 そうか、先ほどの行列の主が袁紹えんしょうだったのか。


 袁紹えんしょうもこの後の歴史に大きな影響を与える人物だ。そして、ここにいる曹操そうそうと今は親しく接しているが、後々、互いの存亡を賭けて一大決戦を行う相手だ。


 まさか、三国志を代表する二人にこんなところで会ってしまうなんて。僕は三国志ファンとしての喜びと、歴史を改変してしまったかもしれないという重圧に挟まれて、気がおかしくなりそうであった。


《続く》


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