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第四十五話 洛陽(七)

 僕は通行人に当たらないように気をつけらながらも徐々に彗星すいせいを加速させ、相手との距離を少しずつ縮めていたった。


 相手の馬泥棒の少年は、盗んだ黒燕こくえんむちを入れ、加速しながらも大きく急旋回して、逃走を図る。


「まずい、そっちに行っては!」


 少年は逃げることしか考えていなかったのだろう。逃げる先も考えず、住宅街を突き抜けて大通りへと出てしまった。


 さらに馬の勢いが止まらず、道の仕切りの土壁を飛び越えて、そのまま貴族御用達の中央道へとおどり出た。


 加えて間の悪いことに、中央道には貴族の車馬行列が通行中であった。


「まずい!」


 少年の絶叫が響く。


 少年を乗せた黒燕こくえんは止まることもままならず、そのまま行列の中へと突っ込んでしまった。


 すぐさま車馬の左右に控える騎兵が飛び出して、手にしたげきで少年を馬から引きずり下ろした。そして、歩兵らが回りを取り囲み、少年を剣の鞘で殴りつけられた


「離せ!」


 少年の声が虚しく響き渡る。彼は兵士たちに組み伏せられ、羽交はがい締めにされた。


「しまった!


 お偉いさんの行列にぶつかってしまったか」


 並んでいる行列には何台もの車や多くの人が参列している。どうやら相当位の高い人物のようだ。


 しかも、悪いことに一番豪華な飾り付けをしている車の目の前に飛び込んでしまった。恐らく、あの車がこの行列の主人を乗せているんだろう。


張飛ちょうひの愛馬である黒燕こくえんを救わねばならない。それにあの子もこのまま見捨てることはできない。


 しかし、助けに行きたいが、ここで不用意に飛び出せば、みんなを巻き込みかねないしな⋯⋯」


 安喜県あんきけん督郵とくゆうの一件でも僕が先走って劉備りゅうびを解雇に追い込んでしまった。あの行列の様子から見て相手は恐らく政府高官。それに周りに警護の兵士が何人もいる。ここで問題を起こせば、あの時よりもっと大きな罪に問われるかもしれない。


「これ以上、僕の暴走で劉備りゅうびらに迷惑をかけることはできないな」


 僕は止むなく彗星すいせいから降り、土壁の影に隠れて事の成り行きを見守ることにした。


「大事にならずに少年を解放してくれればいいんだが⋯⋯。


 しかし、あの後ろの車は随分デカいな。四方を壁で囲まれて上に屋根があり、まるで、家に車輪をつけたようだ。く馬も四頭もいる。


 前に見た上に屋根があるだけの、一頭きの督郵とくゆうが乗っていた車とは大違いだ」


「おい、劉星りゅうせい


 そう声をひそめながら、劉備りゅうび関羽かんう張飛ちょうひの三人が身をかがめながらこちらへと近づいてきた。


「みんな、よくここがわかったね」


 僕がそういうと、張飛ちょうひが怒鳴るような声で突っ込んだ。


「これだけ騒動になりゃわかるわ!」


張飛ちょうひ、声が大きい」


「へいへい」


 兄貴分・関羽かんうたしなめられ、張飛ちょうひはふてくされたように黙りこくった。


 そのやりとりに苦笑しながらも、劉備りゅうびが僕に話しかけてきた。


「しかし、劉星りゅうせいよ、厄介なことになったな。


 ありゃ、随分豪勢な車馬行列だ。もしかしたら九卿きゅうけい⋯⋯いや、三公とかの車馬かもしれねぇ」


 確か、九卿きゅうけいは内閣の各大臣、三公は総理大臣クラスの政府の要職だったかな。もし、そんな相手なら罪状は督郵とくゆうの比ではないな。


「チッ、オレの黒燕こくえんもあの中にいやがる。何とか助け出せねぇもんか」


 張飛ちょうひは彼なりに声をひそめて、そう呟いた。黒燕こくえんは彼の愛馬だ。このまま持っていかれてはたまらない。


 そして⋯⋯。


「ああ、それにあの子も」


 僕がそう呟くと張飛ちょうひがすぐに反応した。


「アアン、お前、あんなガキのこと心配してんのか。


 アイツはオレの馬を盗んだ野郎だぞ」


 張飛ちょうひはまたも怒られないほどの声量で、僕に噛みついてきた。馬を盗まれた彼からすれば当然の反応なのかもしれない。


「そうなんだけど⋯⋯」


 だが、あの子には才能がある。それはここまでの追いかけっこでよくわかった。それほどの才能をここで埋もれさせていいものだろうか⋯⋯。


 しかし、あの子は奴隷。しかも、絡まれているのは政府高官だ。果たして僕に何かできることはあるのだろうか⋯⋯?


「お前、何者だ!」


 少年を組み伏せた兵士たちは強い口調で彼を問い詰めて質問責めにしている。だが、少年は口を閉じて、何も答えようともしない。


 僕は土壁の奥よりハラハラしながら事の推移を見守っていた。


 その時、行列の主人のものであろう、一際豪勢な車の後ろの扉が開け放たれた。そして、その中から一人の男性が姿を現した。


 身長は約百七十センチ足らず。歳は三十後半から四十くらいだろうか。濃く長い眉に、立派な鼻筋。張った頬に豊かな顎髭あごひげを生やし、高官らしい威厳のある顔つきをしている。


 オレンジ色の衣服に、腰には黒いさやの剣を下げ、青いじゅと呼ばれる布切れを垂らしていた。一見、かつて安喜県あんきけんで見た劉備りゅうび県尉けんい時代の格好に似ている。だが、彼の服に厚みがあり、細部に金糸で刺繍が施され、帯やさやには宝玉で飾り付けがされていた。ただ、頭だけはかんむりではなく、簡素な頭巾をかぶっていた。


 恐らく、彼がこの行列の主人なのだろう。


 彼は眼光鋭く、眉間にしわを寄せ、明らかに不機嫌な顔つきであった。


「何事だ!」


 行列の主の突き抜けるような怒声に、周囲の兵士は一瞬、黙りこくった。


 そして、おずおずとした様子で、一人の兵士が主人に事態を説明しだした。


「すみません。


 子供が一人、行列に飛び込んできてしまいました。すぐに片付けます」


 よほど怖い人物なのか、兵士は明らかに行列の主を恐れている様子だ。


 行列の主人は捕えられていた少年をギロリとにらんだ。

 だが、彼が青い衣服を来た奴隷であることが分かると、吐き捨てるようにこう述べた。


「なんだ、蒼頭どれいではないか。


 これ以上、蒼頭どれいに時間を取らせるな。すぐに首を斬り落として仕事に戻れ」


 その冷たく言い放たれた言葉が辺りに響く。


「く、首を斬るだって!」


 驚いた僕は劉備りゅうびらの制止も振り切り、彗星すいせいに飛び乗って、土壁を越えて、飛び出していった。


「ま、待ってください!」


 早まったことをしたかもしれない。


 しかし、あの子は馬を見る目も、乗馬技術も人並み外れた少年だ。そのあふれる才能を持った子の人生をここで終わらせてはならない。


 僕は少年と行列の主の間に割って入り、彗星すいせいを横にして馬体で壁を作った。そして、彗星すいせいより降りて、行列の主に向かって両手を広げて静止した。


 行列の主は僕を見るなり、眉間をピクリと動かし、叱りつけるような口調で問い詰めた。


「なんだ、お前は!


 この蒼頭どれいの主人か!」


「い、いえ、違います」


「違うなら何の用だ。私は暇ではないのだぞ!」


 相手は明らかに不機嫌な態度で、腕を組んで僕をにらみつけている。


 僕は必死に頭を下げながら答えた。


「行列に飛び込んだのは確かに悪いことです。


 しかし、それで殺してしまうのはあまりにもやり過ぎではありませんか。


 どうか、助けてはいただけないでしょうか」


 だが、主はカッと目を見開き、さらに強い口調で怒鳴りつけた。


「この蒼頭どれいの主人でないなら口を挟むな!


 この部外者が!」


「部外者ではありません。その少年が乗っていた馬は僕らの馬なのです」


 そう言って僕は、少年に盗られていた張飛ちょうひの愛馬・黒燕こくえんを指差した。


 それを聞くなり、男はまたもや吐き捨てるように答えた。


「なんだ、馬泥棒だったのか。


 それならますますかばう必要がなかろう。


 早く殺してしまえ」


「そんな!


 奴隷を殺すのは罪になるはずです!」


 奴隷といえども無闇に殺せば罪に問われる。僕は奴隷市場で聞いた話を思い出して、行列の主に訴えた。


 だが、その言葉も彼には届かなかった。


「うるさい!


 この私の行進を遮って、ただで済むと思うな!


 お前はその馬を連れてどこへなりとも行け!」


 行列の主はいよいよ怒り心頭といった形相となった。そして組んでいた腕を解き、腰の剣に手を伸ばした。


 このまま少年を見殺しにしてしまう。助けられないのかと思ったその時、空気を切り裂くような鋭い声が辺りに轟いた。


「待たれよ!」


 その声は行列の後ろより響いた。あまりにもよく通るその声に、僕も、行列の主も、少年も、兵士も一様にその声の主へと目を向けた。


 現れたのは馬に乗った一人の男性であった。


 馬に乗っているのでよくわからないが、背はそこまで高く無さそうだ。歳は三十を過ぎたくらいであろうか。身体つきはスマートで、余計な肉は一切ない。色白だが、つやのある肌。切れ長の目には光りをたたえ、眉は細長く、知的な印象を与える。


 服装は行列の主と同じくオレンジ色の衣服に帯剣、腰からは青のじゅを垂らしている。衣服の質は良さそうだが、飾り気は少なく、黒い冠をかぶっている。


 その乗る馬は芦毛あしげ(白色)。たてがみや尻尾の毛は長く、つややかであった。乗せている主と同じくスマートだが、脚の筋肉は発達しており、駿馬しゅんめであろうと思われる。


「これは何事か!」


 そう言うと騎乗の男は馬から軽やかに飛び降り、行列の主の元へ歩み寄った。


《続く》

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