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第四十三話 洛陽(五)

 馬屋の店主は政治に対する不満を話し始めた。


「今の皇帝陛下は改革に熱心な方だ。


 それは結構なことだが、変化に振り回されて、疲弊しちまう。ただでさえ、物価が上がって苦しんでいるのに、そっちへの対策は何もない。そればかりか戦費だなんだと臨時徴収ばかりが増えていく。


 やっている改革だって、上の連中が肥え太るばかりで、私たちに何の恩恵もないしな。


 いや、やめよう。何処で誰が聞いてるかもわからない。さっきの話は忘れてくれ」


 店主はそう答えた。


 僕はこの世界に転生して半年程度。政治について詳しく知っているわけではない。

 だが、物価は高騰し、治安が悪化している状況はいくらも見てきた。この店主のように各地で不満が溜まっているようだ。


 店主の話しに劉備りゅうびもため息混じりに答えた。


「確か、陛下が特に熱心に取り組んでおられるのは、軍備の増強と地方行政の強化だったかな。


 まあ、庶民の生活には関係ないわな。


 いや、むしろ税が上がって苦しくなるか」


 霊帝れいていというと、物語では政治を宦官かんがんに任せて、本人は病気で寝ているイメージがあった。


 しかし、どうやらかなり政治改革に積極的な人物であるようだ。だが、その改革も庶民の生活には直結しておらず、空回りしているようにしか見えなかった。


「まあ、上の人たちには違う光景が見えているのだろう」


 劉備りゅうびはそう独り言のようにこぼすと、僕の方に振り返って話しかけてきた。


「というわけだ。


 劉星りゅうせい、うちにそんな金はない。諦めろ」


 今のやりとりで到底、買えるような額の馬では無いことはよく分かった。受け入れるしか無さそうだ。


「やはり諦めるしかないか。


 貧乏が憎い⋯⋯」


 僕も彼らと同じようにため息をついた。すると、僕らよりも不景気そうな顔をした男性が、うつむき気味に横を通り過ぎていった。


 僕はついつい、その男性の後を目で追った。


 その男は道を挟んだ向かいにある一つの店の中へと消えていった。


 疲れた男の入っていったその店は、外観こそ大きな建物であった。

 だが、門構えは簡素で、飾り気もない。その店に数人の男性が出たり入ったりしている。うつろな顔つきでせ細った者もいれば、精気に満ちあふれたような壮健な体つきの男もいる。

 しかし、一様に身なりは良くない。


「大きな店だけど、失礼だが、高級店にはとても見えない。


 一体、ここはなんの店だ?」


 僕が疑問を口にすると、隣の劉備りゅうびが答えを教えてくれた。


「そこは傭肆ようしだ」


傭肆ようし?」


 聞き慣れない言葉に、僕は思わず聞き返した。


 確かに店を見返すと、傭肆ようしと看板には書いてある。だが、そう言われてもその傭肆ようしという店がなんなのかがわからない。


「ああ、賃労働する者が仕事を探しにいく場所だ」


「仕事を探す場所か⋯⋯。


 つまり、“ギルド”か!」


 異世界ファンタジーでお馴染み、冒険者の集う場所・ギルド。転生者が真っ先にお世話になる組織。そこでモンスター討伐の依頼を受け、徐々に名を上げていく。


 自分は転生先が古代中国だったから無関係かと思っていたが、なるほど、ギルドに相当する組織がこの世界にもあったのか。

 僕はたまたま劉備りゅうびと出会ってその部隊の一員となった。だけど、もし、劉備りゅうびと出会わなければ、この傭肆ようしで仕事を受けていく冒険者ルートもあったのかもしれないな。


「それで、このギルド⋯⋯傭肆ようしではどんな仕事があるんだ?」


「そうだな。


 体力に自信があって、手っ取り早く金を稼ぎたいなら土木工事。そんなに力仕事したくないなら市場前にいた馬糞掃除みたいな清掃作業。後は字が書けるなら代筆とかあるな」


「う、うーん、なるほど。


 こりゃ、ギルドというよりハローワークだな」


 まあ、そりゃそうだろうな。モンスターなんていないんだから、そりゃやる仕事はそういうのになっていくよな。

 ただの職業安定所に仕事探しに行くのと何も違いやしない。


 僕は転生して早々に劉備りゅうび軍に加入出来て良かったと心底思った。


「俺たちも金が無くなったらここで仕事を探すか」


「勘弁してくれ」


 劉備りゅうびの何気ないつぶやきに、僕は全力で拒否した。


「せっかく、洛陽らくように来て職探しとは世知辛い話だな。


 どうせなら、もっと面白いものを見たい。


 おや、その隣にも柵があるな。他にも馬がいるんだろうか」


 僕は気になって傭肆ようしの店舗の隣に並ぶ柵へと足を運んだ。汗血馬かんけつばは早々いないだろうが、掘り出し物の馬でもいるかもしれない。ダメ元でも見ておきたい。


「え、こ、これは!」


 しかし、かすかな期待に胸をふくらませて、隣の柵までやってきた僕の目に飛び込んできたのは馬ではなかった。


 牛や羊でもない。


 その柵に入っていたのは“人”であった。


「な、なんで柵の中に人が⋯⋯」


 予想外の出来事に、僕は狼狽うろたえて、一、二歩、後退あとずさった。


 柵の中には何人もの人間が入っていた。柵で仕切られ、一人ずつに分けられている。いずれも歳は比較的若い。男女満遍なくそろっている。中には明らかに子供もいた。


「どうした、劉星りゅうせい


 そっちは蒼頭どれいの売り場だぞ」


 僕の後を追って、劉備りゅうびたちがゾロゾロとやってきた。


「やはり、奴隷なのか。


 こんなにも多くの人が売られているのか」


 僕は少し身体がふらついたのを感じて、咄嗟とっさに足に力を込めた。


 この世界に奴隷がいるのは知っていた。しかし、目を逸らして詳しくは知ろうとしなかった。


 だけど、今こうして目の前の現れると、これは事実なんだと受け止めるしかない。この世界に転生した以上、いつまでも避けることは出来ない話題だ。


「お前は何処か浮世離れしたところがあると思っていたが、その様子だと奴婢ぬひを見るのは初めてか」


 僕は劉備りゅうびの言葉に頷き、改めて奴隷へと目を移した。


 身に付けている衣服は青く薄手だ。だが、刺繍がほどこされ、綺麗に整えられ、清潔感がある。頭には平たい帽子をかぶっており、こちらも青色だ。


奴婢ぬひは頭にはあおさく(帽子の一種)、青い衣服を身につける。だから、蒼頭そうとう青衣せいいという呼び方をする。


 他に僮奴どうど生口せいこうなんて呼び方もある。まあ、呼び方は挙げ出したらきりがないな」


 なるほど、奴隷は見た目でわかるような格好になっているのか。服装は男女で違いはあるが、いずれも青い服だ。


 ただ、女性はさくはかぶらず、青い布やかんざしで束ねている。また、薄くだが、化粧もされている。田舎の農婦で化粧をする人はまれなので、かなり綺羅きらびやかに見える。


 少年もさくをかぶっているが、天井の部分はなくて筒のような形状だ。形も小さいので髪留めのようにも見える。


 自分ももっとこの人たちについて知る必要がありそうだ。

 僕は続けて劉備りゅうびに尋ねた。


「ちなみに奴隷はどういう仕事をするんだ?」


「男なら労役ちからしごと、女なら炊事、機織はたおりなんかだな」


「うーん、思ったよりひどい扱いではないのかな」


「まあ、そのへんは主人次第だな。


 後、女だとめかけになることもあるな」


「前言撤回だ」


 考えたら未来の日本でも、一見同じ仕事内容でも、ホワイト企業かブラック企業かで扱いは天と地ほど違ってくる。ましてや、人権意識のない時代の奴隷なんてどんな扱いになるかわかったもんじゃないな。


「しかし、奴隷というけど、わりかし綺麗な格好をしてるんだね。女性なんかは化粧もしているし」


「ありゃ、よく売れるように綺麗に着飾ってるだけさ。実際に働く時はあんな格好しないよ。


 いや、金持ちに買われたらその限りでもないか。それこそ貴人のめかけになれば豪華な衣服や宝玉を身に着けることもあるだろうな。


 まあ、それも主人次第だな」


 そうか、彼ら彼女らはここでは『商品』なんだ。当然、『パッケージ』は見栄え良くしているというわけか。そして、その後の扱いは『買い手』次第ということか。


「この人たちは何故、奴隷になったんだ?」


 そう尋ねると、今度は関羽かんう眉間みけんしわを寄せながら話してくれた。


蒼頭どれいになる経緯は人それぞれだな。


 まず、第一に犯罪者だ。罪状によっては蒼頭どれいに落とされる。また、本人が罪を犯してなくとも、罪人の妻子は没収して蒼頭どれいに落とされることは法律でも定められている。


 もっとも、罪人の蒼頭どれいの多くは朝廷の管理下にある。だから、こういう市場に出回るのはまれだな。罪人の蒼頭どれいは顔に黥墨いれずみをするものだが、パッと見たところこの売り場にそういう面のはいなさそうだ」


「では、ここにいる人たちはどういう人たちなんだ?」


 それには、張飛ちょうひが冷ややかな笑い声とともに答えてくれた。


「ハッ、そんなの金だぜ。


 特に貧民にとってまとまった大金を手に入れようと思ったならな、一番手っ取り早い方法が自分を蒼頭どれいとして売ることだぜ。


 貧農であれば一年頑張って働いたところでせいぜい一万銭くらいしか稼げねぇ。蒼頭どれいの売値は一万五千銭から、高ければ二万銭くらいにはなるからな。貧乏人にとっては魅力的な額になる」


 そう言って張飛ちょうひ滔々とうとうと語って聞かせてくれた。


 それに僕はため息混じりに答えた。


「しかし、それでも奴隷になるなんて。何されるか分かったもんじゃない」


 続けて、劉備りゅうびが冷静な様子で説明を始めた。。


蒼頭どれいの扱いが悪いのは否定せん。だが、なんでもしていいわけじゃないぞ。蒼頭どれいと主人の間で『僮約どうやく』という契約書を交わす。そこにはやる仕事が逐一書き記される。ここに書かれていない仕事をやらせることは出来ないぞ。


 それに蒼頭どれいを理由もなく殺すことはできん。殺せば主人は罪に問われる。


 まあ、杖打じょううちや鞭打むちうちは普通に行われるから、決して楽な立場ではないがな」


 ふと、柵に目を移すと歳は十歳ぐらいの少年が目に移った。


「こんな少年もいるのか」


 僕はその光景に驚愕した。


《続く》


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