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第四十一話 洛陽(三)

 僕の目の前に現れた一頭の馬。


 これはただの馬ではない。


 全高は僕の愛馬・彗星すいせいより一回りは大きい百五十センチほど。未来の競馬でも通用する大きさだ。

 体毛は芦毛あしげ色(白色)。だが、その毛先まで金属のように輝き、まるで銀メッキで覆われているような光を放っている。

 馬体側面には黒斑くろぶち模様が一直線に並び、その様子は天の河のようであった。


 その太腿ふとももの肉付きを見るだけで、この馬が如何に健脚かを知ることができる。


 しかし、僕はそれだけで満足できず、ふところから馬の指南書・相馬経そうまきょうを取り出した。


 そして、相馬経そうまきょうの記述を追いつつ、この馬の特徴と照らし合わせていった。


「『馬は頭が王なり、方形なるが良い。目は丞相じょうしょう、光あるのが良い。脊(背骨)は将軍、強いのが良い。腹は城郭、張りがあるのが良い。四肢は令、長いのが良い』⋯⋯。


 この馬は頭は真っ直ぐ四角い形をしている。目は大きく光り輝き、背骨は長く、筋肉質だ。胸は細く張りがあり、四肢は長く強靭だ。


 うん、ことごとく条件に適っている。これは天下の名馬だ!


 これこそ汗血馬かんけつばに違いない!」


 汗血馬かんけつば、遥か西方の大宛だいえんという国からやって来たといわれる馬。

 恐らく、未来の競馬で使用されるサラブレッドの源流となったアラブ種、もしくはその近似種なのだろう。


 つまり、この世界において最もサラブレッドに近い馬。それが汗血馬かんけつばだ。


洛陽らくように来れば会えるかもと思っていたけど、まさか、本物の汗血馬かんけつばに出会えるなんて⋯⋯!」


 僕はまるで推しのアイドルにでも出会えたかのような感動に打ち震え、その場に立ち尽くしていた。


「お、お客さん、将来の伯楽はくらくかい?


 どうだい、うちの馬は?」


 そう言って、ここの店主だろうか、商人にしてはやたら大柄な男性が姿を現した。


 身長は張飛ちょうひと同じくらい、百八十センチはあるだろう。肩幅も関羽かんうに引けを取らないほどの広さで身長以上に大きな印象を受ける。腕も僕の倍はあろうかという丸太のようなたくましさだ。

 浅黒く日焼けした顔、太く黒々とした眉、豊かな顎髭あごひげ。歳は三十半ばほどだろうか。


 相手はにこやかに応対してくれているが、こういかつい人が出てくると、ついつい萎縮いしゅくしてしまう。


 ちなみに彼の言う「伯楽はくらく」とは、古代の馬を鑑定する達人の名前だ。僕の持っている相馬経そうまきょうもその伯楽はくらくの著作だという。


「あまりにも見事な馬で、つい見入ってしまいました。


 これは汗血馬かんけつばで間違いないですか?」


 僕が尋ねると、そのいかつい店主は豪快に笑いながら答えてくれた。


「ハッハッハ、そうだ。


 コイツは生まれこそ涼州りょうしゅう(現代の甘粛省かんしゅくしょう辺り)だが、元をたどれば遥か西方、大宛だいえんよりやってきた汗血馬かんけつばだ。


 天下の雒陽らくようといえど、これほどの名馬は早々、お目にかかれないだろう」


 いかつい店主は自信満々にそう答えた。


「確かにこれは名馬だ。


 しかし、背の張りを見るに、歳はかなり若そうだ」


「ほお、歯を見ずに年齢がわかるか。


 コイツの歳はまだ二歳、成人までは少し時間があるな」


 馬は歯を見れば年齢がわかる。しかし、馬相手に歯は簡単に見せてもらえるものではない。そんな時は背のへこみや筋肉の付き具合でおおよその年齢を判断することができる。


 なお、馬は四歳で大人になる。二歳と言えばまだ少年だ。

 だが、競馬の世界では一歳で訓練を行い、早ければ二歳でレースにデビューする。競馬的にいえば適齢期か。


 いや、この時代はまだ数え年のはずだ。つまり、未来で言うところのまだ一歳か。ならば、これから訓練しなければいけない。


 これだけの名馬を自分で訓練できるのも面白い。一歳で体高が百五十センチもあるなら、成馬になれば百六十センチも夢ではない。

 これは育て甲斐がある。是非とも欲しい。


「店主、この馬の⋯⋯」


 僕が値段を尋ねようとした時、後ろから劉備りゅうびたち三人がゾロゾロとこの店へとやって来た。


「おい、劉星りゅうせい、勝手に飛び出していくなよ」


 劉備りゅうびは苦笑いしながら僕に軽く注意を口にする。


「すまない。馬が見えたもので、つい」


 確かに急に飛び出した僕に落ち度がある。僕は劉備りゅうびに謝った。


 すると、張飛ちょうひがグッと一歩前に踏み出してきた。文句の一つも言われるかなと思ったが、張飛ちょうひは僕の横をすり抜けて、いかつい店主の方へと歩み寄った。


「お前、馬商人なのか?


 馬商人の体格には見えねーな」


 そう言い、彼は店主の体つきをジロジロと見回した。


「おい、張飛ちょうひ、やめないか。


 失礼だぞ!」


 さすがの劉備りゅうびもちょっとキツめな口調で、張飛ちょうひを注意した。


「でもよ、兄貴。


 コイツの体つきは只者じゃねーぞ」


 張飛ちょうひの言動は失礼だが、確かに彼の言うことには一理ある。

 この店主、馬商人にしては随分、体がいかつい。このまま馬に乗せて、矛の一つでも持たせれば、戦場で大活躍しそうだ。同じ馬商人でも、張世平ちょうせいへい殿とは全然違う体格だ。


 しかし、店主はそれに対して、困った顔をしながらも、豪快に笑って答えた。


「お客さん、勘弁してください。私はただの馬商人ですよ。


 ただ、私は西の彼方、涼州りょうしゅうの生まれです。


 私の故郷では羌族きょうぞく(異民族)が暴れ回り、商人といえども無関係というわけにはいかないのです。それに対抗するために私自身も鍛えているというわけですよ」


 僕らがこの前戦った烏桓うがんが北の異民族なら、きょうは西の異民族だ。幽州ゆうしゅうでは張純ちょうじゅんの乱以外にもたびたび烏桓うがんの侵攻を受けているそうだ。同じように最西の涼州りょうしゅう羌族きょうぞくの侵攻を受けているのだろう。


「まあ、お前だって幽州ゆうしゅうにいた頃から体を鍛えていただろう。似たようなものだよ」


 劉備りゅうびにそう言われ、張飛ちょうひも納得したのか、店主に謝った。


「変に突っかかってすまねぇ。


 貴方があまりにも歴戦の戦士のような貫禄を漂わせていたからつい気になっちまった」


 頭を下げる張飛ちょうひに、店主はまた豪快に笑い飛ばして許した。


「別に気にしちゃいないさ。


 しかし、歴戦の戦士なんてやめてくれよ。私はまだ二十二歳だ」


 なんだ、この人まだ二十二か⋯⋯二十二!


 僕は店主の言葉に吹き出しそうになったのを、必死にこらえた。

 この人、まだ二十二歳なのか。彫りの深い顔立ちだから老けて見えるのかな。三十二と言われてもまだ少し老けているように感じてしまう。


「ほお、二十二か。


 それなら私と同い年だな」


 そう言い出したのは、これまた二十二歳には見えない立派なひげを蓄えた関羽かんうであった。


 そうだった。この人も二十二歳だった。僕と一つだけ上なだけなのに、二人とも貫禄は十年分くらい上だ。一体、わずか一年の差にどれほどの苦労が刻まれているのか。


 関羽かんうはさらに続けて尋ねた。


「しかし、同い年とは何かの縁。


 どうですかな、私と一戦、手合わせを願えないかな?」


 この店主は苦笑いも豪快だ。


「ハッハッハ。お客さんまで勘弁してくださいよ。こんな馬商人とやったって勝負は見えてますよ。


 それより、お客さん方、幽州ゆうしゅうから来られたんですか?


 どうせなら、幽州ゆうしゅうの話を聞かせてくださいよ。私は色々な地方の話を聞くのが趣味なんですよ」


 まあ、相手は中国史に名を轟かす関羽かんうだ。それを知らなくても二メートルもある大男だ。そんな大男相手に手合わせしないかと言われて、受ける人もそういないだろう。


 それにしても、幽州ゆうしゅうの話か。僕が幽州ゆうしゅうにいたのは少しの間だけだ。話せることと言ったら、参戦した張純ちょうじゅんの乱くらいしかないな。


 張純ちょうじゅんの乱は北方では黄巾こうきんの乱に続く大規模な反乱であったようだ。黄巾こうきんの乱を体験していない僕からすると、あれ以上の過酷な思い出は無かった。


 やはり、同じく参戦していた劉備りゅうび張純ちょうじゅんの乱は記憶に強く刻まれているようで、彼の話題もそれであった。


幽州ゆうしゅうの話か。


 今の幽州ゆうしゅうの話題と言えば張純ちょうじゅんによる反乱だな。


 この反乱のために幽州ゆうしゅう冀州きしゅうの各地は荒廃し、便乗して盗賊が蔓延はびこっている。


 治安は著しく悪くなったが、今は徐々に回復してきている。


 今も兄貴⋯⋯公孫瓚こうそんさんという将軍が張純ちょうじゅん相手に戦っているはずだ」


 劉備りゅうび安喜県あんきけんに昇進したために、僕らは張純ちょうじゅんの乱の平定戦から外れることとなった。

 だけど、辺境を守る公孫瓚こうそんさんは引き続き、張純ちょうじゅん烏桓うがん相手に今も戦っていた。


 そして、あの乱では、一人の女性のことを思い出す。


「ああ、張純ちょうじゅんか。それならもう討たれたようだぞ。


 先日、市場に首がさらされていた」


 店主が突然、そう答えた。


 寝耳に水のこの話に、僕らは一様に驚いた。


 僕が転生して最初に対面した敵・張純ちょうじゅんが死んだ!


《続く》



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