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第四十話 洛陽(二)

「おっと、いつまでも人の多さに感嘆している場合ではないな。


 早く市場に向かわないと」


 門から真っ直ぐ延びる道は、幅三十メートルはある大通りだ。

 だが、それがそのまま一つの道になっているわけではない。高さ1メートルほどの土壁が続き、その土壁によって大通りは三つに分割されている。

 真ん中の道が一番広く、そして閑散としている。左右の道は真ん中よりは狭いが、それでも車馬や馬が十分通れるほどの道幅で、こちらは人であふれかえっている。


「真ん中の道はお偉いさんの通る道だ。間違っても通るなよ。


 俺たち庶民は左右の道を行く。奥に進む時は左側を、外に出る時は右側の道を通るんだ」


 劉備りゅうびにそう言われ、僕は改めて大通りに目をやった。確かに皆、進行方向が同じだ。途中で立ち止まる者はいても、逆走している者はいない。


 城市内の道は縦横に格子状に張り巡らされている。どの道も直線で、曲線の道は一つもない。


 僕はその何処までも続く大通りの彼方へと目をやった。


「本当に真っ直ぐな道しか無いんだなぁ。


 ん? この道の先に見えるあの一際大きな建物はなんだ?」


「ありゃ、皇帝陛下の住まう天下の宮城よ。


 まあ、俺らにゃ関係ない場所さ」


 なるほど、宮殿か。場所からしてこの洛陽らくようのほぼ中心地にあるのだろう。ここからではよくわからないが、恐らく洛陽らくよう中で最も大きな建物だろう。

 まあ、今の僕らじゃとても近付けるような場所ではない。興味はあるが、下手に近寄って捕えられてもつまらない。今は無視しておこう。


 僕は再び周囲に視線を移す。


 僕らの行く道のさらに端には街路樹として柳の木が並んで植えられている。その柳の木々の奥には洛陽らくようで暮らす人々の家が整頓されて立ち並んでいる。


 人でごった返してはいるが、真っ直ぐな道と整列した建物のおかげか、とても綺麗な街という印象だ。


「さて、じゃあ、さっさと市場に向かうか」


「市場はここから遠いのか?」


 僕は出発しようとする劉備りゅうびに尋ねた。


「いや、そんなに遠くはないぞ。


 さっき、劉星りゅうせいが尋ねた宮城はこの街の中心にある。その周辺が政府高官や富豪の暮らす街。その外側が一般庶民の暮らす街となる。


 市場は賑やかで、騒動も多いからな。庶民街の方にあるというわけだ」


 なるほど。調べるとどうやら市場はいくつかありようだ。今、僕らのいる東の地域にも大きな市場があるそうで、城門からそう遠くはない。


 僕らは早速、東の市場へと移動した。


 この洛陽らくようでは馬に乗ったまま移動してもいいようだ。だが、慣れない町中で他の人とぶつかっても良くないので、僕らは馬をいて向かった。


 馬に乗らずとも、そんなに時間をかけずに東市へと到着することができた。


 街中に四方を壁に囲まれた一角が姿を現した。この中が市場だ。


 洛陽らくようが一大商業都市と言っても、何処にでも店があるわけではない。未来のように歩く度に色々な店と民家が交わって乱立しているような風景とは全く違う。基本的にこの市場の中にしか商店はない。


 これは涿県たくけん安喜県あんきけんでも同じだったので、僕には既に馴染みの光景だ。


「このまま市場に行きたいところだが、中に馬は連れこめん。


 城門の手前にいる門番に預けるぞ」


 門番の指示に従い僕が彗星すいせいを杭に結びつけた。するとその瞬間、彗星すいせいはポロポロを糞を垂らしてしまった。


「ああ、しちゃったか。


 困ったな」


 馬は何処でも糞をする生き物だ。生理現象である以上、これを止めることは出来ない。


 いつも走らせている草原や平地なら特に気にもしないのだが、しかし、ここは街のど真ん中だ。

 さすがにそのままにしておくのも気が引けて、僕は周囲を見回した。


劉星りゅうせい、それは気にしなくていいぞ」


 劉備りゅうびにそう言われるのと同時に、僕の後ろから男が一人、ぬっと現れた。その男は手に持った火バサミのようなものでヒョイヒョイと馬糞を拾い上げ、背負っていたかごに慣れた手つきで入れていった。最後に持っていた革袋から砂を巻いていった。跡形もなく綺麗に清掃すると、サッサと去っていった。


「市場の前が馬糞や牛糞で汚れていると市吏の責任になるからな。


 ああやって掃除する人を雇っているんだよ」


 なるほど、さすが天下の洛陽らくようだ。管理が行き届いている。


 僕は一安心して彗星すいせいたちを預けると、市場の門をくぐった。


 市場の中も外と同じように格子状に道が延びている。


 そして、市場の中央には市楼しろうと呼ばれる塔が立っている。ここは市場を監督する役人の滞在所だ。そして、最上階には太鼓が置かれ、市場の開閉時間を告げるのに用いられる。


 市楼しろう涿県たくけん安喜県あんきけんの市場にもあった。だが、それは二階ほどの高さで、もっと小さかった。対してここ洛陽らくよう市楼しろうは五階建ての豪壮な建物だ。あの最上階からなら、この広い市場も一望できることだろう。


 そして、その市楼しろうの周辺には幾つもの商店が立ち並んでいた。


 並ぶ建物の壁は白く、柱や窓枠は赤く塗られ、屋根には黒い瓦が連なっている。涿県たくけん安喜県あんきけんで見た店はむき出しの土壁に、そのままの木の柱。そして、茅葺かやぶき屋根の建物が一般的だった。それを思うとなんて綺麗な店なんだろうか。


 さらに店の軒先には色とりどりに染められたのぼり暖簾のれんが並び、元気な声が客を呼び込んでいる。


 店は大きく二種類。店舗の中に客が入れる一軒家タイプと、カウンター越しに商品だけを手渡す出店タイプだ。


 一軒家タイプの中には、大きくて立派な門構えの店や二階、三階建ての店舗もある。基本的に店舗が大きくて立派なほど高級店だ。


 また、田舎ではゴザを敷いて商品を並べただけの露天商も結構見かけた。だが、洛陽らくようではこのタイプの店はあまり見かけない。


 並ぶ店は衣服店のエリア、飲食店のエリアのように似たような店は同じ箇所にまとめられている。


 肉屋や魚屋なら田舎でも見かけたが、楽器屋なんてのがあるのは都会ならではな感じもする。他にも工芸品や鍛冶屋、飲食店や居酒屋なんかも並んでいる。


「おや、このまとめられた木の束はなんだろう?


 まき屋? という感じでも無さそうだが」


 僕がそう呟くと、隣を歩く関羽かんうが答えてくれた。


劉星りゅうせい殿、それは書肆ほんやだ」


「ああ、なるほど、本屋か!


 張世平ちょうせいへい殿から貰った相馬経そうまきょうが紙の本だったからつい忘れていた。けれど、この時代だと木簡や竹簡の本の方が一般的なのか」


 そう考えると、この相馬経そうまきょうは結構な高級品なのかもしれない。大事にしとかないとな。


 そう思い、僕は懐に仕舞っていた相馬経そうまきょうの本をぎゅっと抱きかかえた。


「しかし、本屋か。せっかくだし、ちょっと立ち寄ってみたいな」


 僕が本屋の方へと近付こうとした。だがその時、誰かのお腹の「グウー」という音が鳴り響いた。


 後ろを振り返ると、張飛ちょうひが腹を擦って困った顔つきをしている。


「そんなことより腹減ったぜ。


 先になんか食おうぜ。あそこの酒舎いざかやとかどうだ?」


 そう言って居酒屋を指差す張飛ちょうひ劉備りゅうびたしなめた。


「来て早々に酒舎いざかやに行こうとするな。


 まあ、なんか食おうか。せっかくだし、今、都で流行りの“アレ”を食うとするか」


 僕らは劉備りゅうびに連れられて、とある屋台へと向かった。


「これが今、都で流行りの一品。


 胡餅こへいだ」


 そう言って劉備りゅうびが差し出してきたのは大きくて平たくて円形の、胡麻をまぶした白い煎餅のような食べ物であった。


 僕はそれをちぎって、一口食べた。


「これはパンか。ナンみたいな薄手のパンだな。


 モチモチしていて、ほんのり塩味が効いていて美味しい。胡麻の風味もしっかり感じられて良いね」


 薄味ではあるが、現代人の味覚でも美味しくいただける一品だ。


「うちの胡餅こへいは絶品だろう。


 さあ、ドンドン食ってくれ!」


 褒められてご機嫌な様子で、店主のオジサンは次々と胡餅こへいを焼いていく。

 ドラム缶のような円錐形えんすいけいに炭をドンドン投げ入れる。そして、そのドラム缶型のを開けると中から幾つもの胡餅こへいが取り出されて、店の棚に並べられていく。


「今の皇帝陛下がこの胡餅こへいが大好物らしくてな。


 その影響で今、洛陽らくようでは胡餅こへいが大流行しているんだ」


 そう言われて周囲を見回すと何店も胡餅こへい屋が並んでいる。なるほど、いつの時代も流行というのがあるんだな。


「味は悪くねぇけどよ、こんな一枚じゃ腹がふくれねーぜ。


 オッサン、もう一枚くれ!」


 張飛ちょうひがさらに追加で注文すると、劉備りゅうびが小声で彼を小突いた。


張飛ちょうひ、その一枚で最後にしておけ。


 よく見たら結構いい値段だった」


 店の看板に目を移すと、そこには「一枚四十銭」と書かれていた。


 それを見て、財布を預かる劉備りゅうびは頭を抱えてしまっていた。


胡餅こへいが一枚四十銭か……!


 前に幽州ゆうしゅうで買い求めた時は確か一枚三十銭だったはずだ。また値上がりしたか」


 値上がりは頭の痛い話だ。


 どうも物価自体が結構上がっているようだ。前に冷害のために食糧難だとは聞いていたが、天下の洛陽らくようも無縁ではいられないようだ。


 そういえばもう四月に入ろうかという時期なのに、まだまだ冬のように寒い。吐く息は白く、手はかじかむ。何枚も上に重ね着しなければとても過ごせる気温ではない。こんなに気候が滅茶苦茶では、そりゃ作物も実らないだろう。

 物価が上がるのもやむ無しか。


「何処の世界も不景気だなぁ⋯⋯」


 僕はそうボヤきながら、何気なく横へ振り向いた。その時、僕の目の隅にソレは映った。


 一瞬の出来事で、見間違いかとも思ったが、いや、僕がソレを見間違えるはずがない。


 僕は居ても立ってもいられないず、道を挟んで奥手にあるその店へと駆け寄った。


 そして、その店の隣にある柵の中にソレはいた。


「馬だ!」


 そこには見目麗しい馬が柵の中に繋がれていた。


「これは⋯⋯僕の求めていた馬なのか⋯⋯!」


《続く》

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