目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

第三十九話 洛陽(一)

 一抹の不安を抱えつつ、僕・劉星りゅうせい劉備りゅうびに同行して後漢の首都・洛陽らくようを目指して進んでいた。


 僕らは安喜県あんきけんを去ってから、西を目指して馬を走らせた。関所を抜け、右手に山、左手に川を見ながらその間の道を通り、後少しということころまでやって来ていた。


 先頭を行くの僕らの大将・劉備りゅうび

 彼は過去に洛陽らくようへ行ったことがあるということなので道案内を兼ねての先頭であった。


 彼がまたがっているのはぶち一つない黒一色の美しい彼の愛馬・驪龍りりゅうだ。相変わらず美しいたてがみをしている。


 他者を寄せ付けない気高さを持つ馬だが、先頭を行くことでよりその性格が強調されているように感じる。


 それに続くのは劉備りゅうびの弟分・張飛ちょうひ

 彼は先頭を行く劉備りゅうびに何かあればすぐ飛び出さんと近すぎるくらいにすぐ後ろを歩いている。


 彼が乗るのは前に馬商人・張世平ちょうせいへいより購入した鹿毛かげ色(茶色)の馬であった。


 この馬は毛色こそ鹿毛かげ(茶色)だが、全身を多くの黒斑くろぶち模様がおおわれている。

 馬体を横から見ると、連なる黒斑くろぶち模様がまるで鳥の翼を広げた様子にも見えた。


 その模様から黒いつばめ黒燕こくえんと名付けられた。


 劉備りゅうびに過度に近付こうとする張飛ちょうひを制御し、ぶつからないように気を配る優等生な馬だ。


 さらにその後ろを進むのは関羽かんう

 彼は前でも後ろでもどちらでもアクシデントにすぐ対応出来るようにと両方に気を配って隊の真ん中を歩んでいる。


 彼は僕らの仲間になる前から馬を持っていた。

 こちらも鹿毛かげ(茶色)の毛色だが、張飛ちょうひ黒燕こくえんよりも明るい赤褐色せきかっしょくの馬だ。

 体高は百四十センチ近くとこの時代ではかなりの大柄で、特にひづめが大きい。


 この馬の名を赤蹄せきていという。


 かなり気性の荒い馬のようだ。関羽かんうでなければ乗りこなせないかもしれない。しかし、そうでなければ二メートルもある関羽かんうの長身を乗せるのは無理なのだろう。


 最後を進むのは僕・劉星りゅうせいだ。この中で一番、反応速度が良いという理由で最後尾を任された。


 愛馬はもちろん彗星すいせいだ。

 僕がこの世界に転生してから、今この時まで共に戦い続けた月毛つきげ(クリーム色)の相棒だ。

 劉備りゅうびの愛馬・驪龍りりゅうと同じく主を選ぶ馬だが、僕に対しては従順で優秀な名馬だ。


 安喜県あんきけんから始まった馬での長旅も、まもなく終わりを迎えようとしていた。


「さあ、着いたぞ。あれが雒陽らくようだ」


 劉備りゅうびの声に合わせて、僕らは彼の指差す先に視線を移した。


 見た目こそ涿県たくけん安喜県あんきけんのように城壁に囲まれた都市だが、僕が見てきた県の十倍はあろうかという巨大都市が僕らの前に姿を現した。


 その城門には絶えず旅人が行き交い、外から見ても中の活気が伝わってくるようであった。


 やはり、本物を目の前にすると心がおどる。ここが天下の一大商業都市・洛陽らくようだ。


「じゃあ、雒陽らくように入る前に各自の符伝てがたを渡しておくぞ。


 無くすなよ。代わりは用意できんからな」


 そう言いながら劉備りゅうびは文字の書かれた絹布けんぷの切れ端をふところから取り出し、僕らに一枚づつ配って回った。


 この布切れが符伝てがた、つまり、旅行券なのだという。関所の通過や宿屋での宿泊時にはこれを見せねばならないらしい。


「しかし、劉備りゅうび督郵とくゆうを殴ったからお尋ね者になってしまったはずだ。それなのに、よくこんな符伝てがたなんて用意出来たね」


 僕が先走ったせいだが、劉備りゅうび安喜県あんきけんでの督郵とくゆう殴打事件でお尋ね者になっしまった。


 それなのに符伝てがたなんてものをあっさり用意してきた。

 一見、文字の書かれた布切れだが、発行者の印鑑が押されており、簡単に偽造できるようには見えない。


 僕は劉備りゅうびに尋ねると、彼はふふと笑って答えた。


「確かに今の俺の立場ならすぐに用意は出来んな。


 しかし、うちには簡雍かんようというこういうのを用意するのがやたら上手い奴がいるんだよ」


「こんなのが用意できる簡雍かんようって何者なんだ?」


 その疑問には劉備りゅうびは大口で笑いながらはぐらかした。


「あいつは器用な男だからな。ははは」


「器用で済ますなよ」


 簡雍かんよう劉備りゅうび陣営では裏方を担当している人物だ。木を削ってあぶみを作ってくれるほど手先の器用な男でもあった。


 その劉備りゅうびの言い方から、もしかしたらこれは偽造なのかもしれない。

 ここに来るまでの関所は難なく通れたので、十分な完成度だ。


 僕らには中山国ちゅうざんこくの大商人・張世平ちょうせいへいが協力してくれている。もしや、張世平ちょうせいへいの用意したものに簡雍かんようが僕ら用に手を加えたのかもしれない。

 何にせよ、本物を見たことがない僕にはこれ以上のことは分からないな。


「しかし、簡雍かんようは余計な仕事もするのが玉にきずだ。


 こんなのまで送りつけてきやがった」


 そう言って劉備りゅうび符伝てがたとは違う布切れをふところから取り出して、僕に見せてきた。


 その長方形の布切れには劉備りゅうびの姓名と人相書き、それに安喜県あんきけんで起きた督郵とくゆう殴打事件のあらましが書き連ねてあった。


「もしや、これは手配書では?」


「どうも俺の手配書が涿県たくけん安喜県あんきけんを中心に出回ってるらしいな。


 簡雍かんようの奴め、こんなものを嬉々として符伝てがたと一緒に送ってきやがった」


 劉備りゅうびは笑いながらそう語るが、僕にはとても笑い事には見えなかった。


「いやいや、笑い話で済まないだろう。


 手配書が出回ってるなら洛陽らくように入ったら捕まるかもしれない。大丈夫なのか?」


 しかし、劉備りゅうびは気にも止めていないといった様子で、まだ笑っている。


「ははは、一体、全国でどれだけの事件が起こっていると思っているんだ。


 ここは天下の雒陽らくようだぞ。


 こんな片田舎の小事件なんて誰も気にしちゃいないさ」


「それならいいんだけども⋯⋯」


「ほら、さっさと雒陽らくように入るぞ」


 僕は劉備りゅうびに促され、洛陽らくようの城門へと向かった。


「これが洛陽らくようの門か。


 なんて大きさなんだ⋯⋯!」


 洛陽らくようの周囲には十二の門がある。僕らが利用したのは東にある上東門じょうとうもんと呼ばれる門だ。


 十メートルはあろうかという高い城壁。その前にそれをおおうような土台が築かれている。土台の幅は二十メートルはあるだろうか。さらにその土台の上には大きな楼閣ろうかくが建てられている。


 十メートルの城壁の上に建つ大きな楼閣ろうかく。高さにすれば三、四階建ての建物に相当するだろう。しかし、周りに他に大きな建物がないから、まるで高層ビルでも建っているかのような存在感を放っている。


 楼閣ろうかくの柱は赤く塗られ、屋根には瓦が用いられている。楼閣ろうかくの中を数名の兵士が行き来しているのが見える。恐らく、この楼閣ろうかくは見張り台なのだろう。だが、地方の官舎よりよほど豪華な造りをしている。


 その下、土台の中には三つのトンネルがくり抜かれ、分厚い門が備え付けられている。

 最も大きな中央の門は固く閉じられている。対してその左右にある小さな門の方は開け放たれている。小さな門と言っても車馬(この時代では馬にかせた車を“馬車”ではなく“車馬”というらしい)でも余裕で行き来できる大きさがある。その門の前を門兵が絶えず監視している。


 しかし、厳戒な態勢というわけでは無いようだ。旅人は符伝てがたさえ見せればあっさりと通ることができる。時折、門兵と旅人が談笑している様子も見えて、何処かゆるい感じを受ける。


「さあ、サッサと符伝てがたを見せて、中に入るぞ」


 劉備りゅうびの後ろに付き従い、僕らは左の小門から中に入った。城門の兵士も、僕らの符伝てがたに対して特に何も言うこともなく、あっさりと中へと通してくれた。


 その門をくぐった先には今まで見たこともないような大都市が広がっていた。


「こ、これが洛陽らくようか!」


 まず、目に付くのは人の多さだ。


 右を見ても左を見ても、人、人、人で、人がひしめき合っている。安喜県あんきけんも市場の周辺は賑わってはいたが、ここを見てしまうと、やはり田舎だったのだと実感する。


 それでも未来の東京なんかに比べれば、まだ人は少ないので、僕はかろうじて圧倒されずにいる。

 だが、洛陽らくようを初めて見たであろう張飛ちょうひなんかは「おお⋯⋯」と感嘆の声をらし、口をあんぐりと開けて見入っている。


「これが後漢の首都・洛陽らくようか!


 遥々はるばる、ここまで来たんだ。せっかくだ。思いっきり楽しもう!」


 思えば僕が最初に見た風景は戦場だった。


 その後も滞在した城市は田舎ばかりだった。ようやくの大都市だ。思う存分、満喫したい。


 そんな思いで僕は胸をおどらせていた。


 しかし、この時、既に新たな歴史がここ洛陽らくようから動こうとしていた。

 それをまだ僕らは何も知らずにいた。


《続く》



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?