一抹の不安を抱えつつ、僕・劉星は劉備に同行して後漢の首都・洛陽を目指して進んでいた。
僕らは安喜県を去ってから、西を目指して馬を走らせた。関所を抜け、右手に山、左手に川を見ながらその間の道を通り、後少しということころまでやって来ていた。
先頭を行くの僕らの大将・劉備。
彼は過去に洛陽へ行ったことがあるということなので道案内を兼ねての先頭であった。
彼が跨っているのは駁一つない黒一色の美しい彼の愛馬・驪龍だ。相変わらず美しい鬣をしている。
他者を寄せ付けない気高さを持つ馬だが、先頭を行くことでよりその性格が強調されているように感じる。
それに続くのは劉備の弟分・張飛。
彼は先頭を行く劉備に何かあればすぐ飛び出さんと近すぎるくらいにすぐ後ろを歩いている。
彼が乗るのは前に馬商人・張世平より購入した鹿毛色(茶色)の馬であった。
この馬は毛色こそ鹿毛(茶色)だが、全身を多くの黒斑模様が覆われている。
馬体を横から見ると、連なる黒斑模様がまるで鳥の翼を広げた様子にも見えた。
その模様から黒い燕、黒燕と名付けられた。
劉備に過度に近付こうとする張飛を制御し、ぶつからないように気を配る優等生な馬だ。
さらにその後ろを進むのは関羽。
彼は前でも後ろでもどちらでもアクシデントにすぐ対応出来るようにと両方に気を配って隊の真ん中を歩んでいる。
彼は僕らの仲間になる前から馬を持っていた。
こちらも鹿毛(茶色)の毛色だが、張飛の黒燕よりも明るい赤褐色の馬だ。
体高は百四十センチ近くとこの時代ではかなりの大柄で、特に蹄が大きい。
この馬の名を赤蹄という。
かなり気性の荒い馬のようだ。関羽でなければ乗りこなせないかもしれない。しかし、そうでなければ二メートルもある関羽の長身を乗せるのは無理なのだろう。
最後を進むのは僕・劉星だ。この中で一番、反応速度が良いという理由で最後尾を任された。
愛馬はもちろん彗星だ。
僕がこの世界に転生してから、今この時まで共に戦い続けた月毛(クリーム色)の相棒だ。
劉備の愛馬・驪龍と同じく主を選ぶ馬だが、僕に対しては従順で優秀な名馬だ。
安喜県から始まった馬での長旅も、まもなく終わりを迎えようとしていた。
「さあ、着いたぞ。あれが雒陽だ」
劉備の声に合わせて、僕らは彼の指差す先に視線を移した。
見た目こそ涿県や安喜県のように城壁に囲まれた都市だが、僕が見てきた県の十倍はあろうかという巨大都市が僕らの前に姿を現した。
その城門には絶えず旅人が行き交い、外から見ても中の活気が伝わってくるようであった。
やはり、本物を目の前にすると心が躍る。ここが天下の一大商業都市・洛陽だ。
「じゃあ、雒陽に入る前に各自の符伝を渡しておくぞ。
無くすなよ。代わりは用意できんからな」
そう言いながら劉備は文字の書かれた絹布の切れ端を懐から取り出し、僕らに一枚づつ配って回った。
この布切れが符伝、つまり、旅行券なのだという。関所の通過や宿屋での宿泊時にはこれを見せねばならないらしい。
「しかし、劉備は督郵を殴ったからお尋ね者になってしまったはずだ。それなのに、よくこんな符伝なんて用意出来たね」
僕が先走ったせいだが、劉備は安喜県での督郵殴打事件でお尋ね者になっしまった。
それなのに符伝なんてものをあっさり用意してきた。
一見、文字の書かれた布切れだが、発行者の印鑑が押されており、簡単に偽造できるようには見えない。
僕は劉備に尋ねると、彼はふふと笑って答えた。
「確かに今の俺の立場ならすぐに用意は出来んな。
しかし、うちには簡雍というこういうのを用意するのがやたら上手い奴がいるんだよ」
「こんなのが用意できる簡雍って何者なんだ?」
その疑問には劉備は大口で笑いながらはぐらかした。
「あいつは器用な男だからな。ははは」
「器用で済ますなよ」
簡雍は劉備陣営では裏方を担当している人物だ。木を削って鐙を作ってくれるほど手先の器用な男でもあった。
その劉備の言い方から、もしかしたらこれは偽造なのかもしれない。
ここに来るまでの関所は難なく通れたので、十分な完成度だ。
僕らには中山国の大商人・張世平が協力してくれている。もしや、張世平の用意したものに簡雍が僕ら用に手を加えたのかもしれない。
何にせよ、本物を見たことがない僕にはこれ以上のことは分からないな。
「しかし、簡雍は余計な仕事もするのが玉に瑕だ。
こんなのまで送りつけてきやがった」
そう言って劉備は符伝とは違う布切れを懐から取り出して、僕に見せてきた。
その長方形の布切れには劉備の姓名と人相書き、それに安喜県で起きた督郵殴打事件のあらましが書き連ねてあった。
「もしや、これは手配書では?」
「どうも俺の手配書が涿県や安喜県を中心に出回ってるらしいな。
簡雍の奴め、こんなものを嬉々として符伝と一緒に送ってきやがった」
劉備は笑いながらそう語るが、僕にはとても笑い事には見えなかった。
「いやいや、笑い話で済まないだろう。
手配書が出回ってるなら洛陽に入ったら捕まるかもしれない。大丈夫なのか?」
しかし、劉備は気にも止めていないといった様子で、まだ笑っている。
「ははは、一体、全国でどれだけの事件が起こっていると思っているんだ。
ここは天下の雒陽だぞ。
こんな片田舎の小事件なんて誰も気にしちゃいないさ」
「それならいいんだけども⋯⋯」
「ほら、さっさと雒陽に入るぞ」
僕は劉備に促され、洛陽の城門へと向かった。
「これが洛陽の門か。
なんて大きさなんだ⋯⋯!」
洛陽の周囲には十二の門がある。僕らが利用したのは東にある上東門と呼ばれる門だ。
十メートルはあろうかという高い城壁。その前にそれを覆うような土台が築かれている。土台の幅は二十メートルはあるだろうか。さらにその土台の上には大きな楼閣が建てられている。
十メートルの城壁の上に建つ大きな楼閣。高さにすれば三、四階建ての建物に相当するだろう。しかし、周りに他に大きな建物がないから、まるで高層ビルでも建っているかのような存在感を放っている。
楼閣の柱は赤く塗られ、屋根には瓦が用いられている。楼閣の中を数名の兵士が行き来しているのが見える。恐らく、この楼閣は見張り台なのだろう。だが、地方の官舎よりよほど豪華な造りをしている。
その下、土台の中には三つのトンネルがくり抜かれ、分厚い門が備え付けられている。
最も大きな中央の門は固く閉じられている。対してその左右にある小さな門の方は開け放たれている。小さな門と言っても車馬(この時代では馬に牽かせた車を“馬車”ではなく“車馬”というらしい)でも余裕で行き来できる大きさがある。その門の前を門兵が絶えず監視している。
しかし、厳戒な態勢というわけでは無いようだ。旅人は符伝さえ見せればあっさりと通ることができる。時折、門兵と旅人が談笑している様子も見えて、何処か緩い感じを受ける。
「さあ、サッサと符伝を見せて、中に入るぞ」
劉備の後ろに付き従い、僕らは左の小門から中に入った。城門の兵士も、僕らの符伝に対して特に何も言うこともなく、あっさりと中へと通してくれた。
その門をくぐった先には今まで見たこともないような大都市が広がっていた。
「こ、これが洛陽か!」
まず、目に付くのは人の多さだ。
右を見ても左を見ても、人、人、人で、人がひしめき合っている。安喜県も市場の周辺は賑わってはいたが、ここを見てしまうと、やはり田舎だったのだと実感する。
それでも未来の東京なんかに比べれば、まだ人は少ないので、僕はかろうじて圧倒されずにいる。
だが、洛陽を初めて見たであろう張飛なんかは「おお⋯⋯」と感嘆の声を漏らし、口をあんぐりと開けて見入っている。
「これが後漢の首都・洛陽か!
遥々、ここまで来たんだ。せっかくだ。思いっきり楽しもう!」
思えば僕が最初に見た風景は戦場だった。
その後も滞在した城市は田舎ばかりだった。ようやくの大都市だ。思う存分、満喫したい。
そんな思いで僕は胸を躍らせていた。
しかし、この時、既に新たな歴史がここ洛陽から動こうとしていた。
それをまだ僕らは何も知らずにいた。
《続く》