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第三十八話 議会(三)

 太尉たいい馬日磾ばじつていが提案した張純ちょうじゅんの乱に参戦した将兵の昇進の件に対して、宦官かんがん張譲ちょうじょうはあっさりと切り捨てた。


「それは本日の議題ではありませんな。


 今は劉幽州りゅうぐの昇進のみが議題ですぞ」


「しかし……」


 まだ、食い下がろうとする馬日磾ばじつていを、張譲ちょうじょうは一喝した。


馬太尉ばじつてい、御前ですぞ!」


 その一喝に、皆は一斉に張譲ちょうじょうの後ろに座るその玉体へと目を移した。


 周囲の視線が自分に注がれているのを感じた霊帝れいてい馬日磾ばじつていを叱るような言い方で注意を述べた。


馬日磾ばじつてい、今回、張純ちょうじゅんを捕えたのは劉虞りゅうぐの功績だ。今は劉虞りゅうぐの昇進のみ議論すれば良い。


 残りの者たちはいづれの機会にでも議論すれば良かろう」


 馬日磾ばじつてい霊帝れいてい自身に止められてはこれ以上話すことは出来ない。やむなく議文を書き直し、それを提出した。


 宦官かんがん張譲ちょうじょうはその議文に署名を集めると、霊帝れいていうやうやしくそれを差し出しながら述べた。


「陛下、決まりました。


 劉幽州りゅうぐ太尉たいいに任じ、容丘侯ようきゅうこうに封ずるのが適当かと思われます」


「よし、わかった。


 では、今の太尉たいい馬日磾ばじつていは本日をもって罷免ひめんとする。


 そして、劉虞りゅうぐ太尉たいい容丘侯ようきゅうこうとする。


 ただし、幽州牧ゆうしゅうぼく劉虞りゅうぐ以外に代わりは務まらない。ぼくの役職はそのまま兼務とし、幽州ゆうしゅうの地で太尉たいいの職に就くこととせよ。以上」


 そう言うと、霊帝れいていは満足気な様子で、張譲ちょうじょう含む宦官かんがん数名を率いて、赤い木沓きぐつをカツカツと鳴らしながら、殿中を退出していった。


 議会はこれにて終了した。参加した官僚はそれぞれの部署へと帰っていった。


 〜〜〜


 その議会からの帰り道、馬日磾ばじつていは一人、釈然としない思いを吐露していた。


「今日もまた、陛下は朝服ではなく、祭服を召されていたか⋯⋯」


 今回の議会で霊帝れいていが着用していた衣服は冕冠龍袞べんかんりゅうこんと呼ばれる。本来は祭祀さいしなどを執り行う時に着用する正装であった。今回のような議会であれば、文官と似たような朝服が適切と言えた。それをわざわざ霊帝れいていは正装で参加していた。


「わざわざ、冕冠龍袞べんかんりゅうこんをお召しになるというのは、我らを威圧するのが目的であろうか。


 我ら朝臣は敵ではないというのに⋯⋯」


 馬日磾ばじつていはため息をつき、さらにこの度の辞職を振り返った。


「私が太尉たいいの職を辞すのは良い。


 しかし、私が太尉たいいの職にあってまだ一年と経っていない。前任の樊徳雲はんとくうん(樊陵はんりょう)殿はわずか一月で罷免ひめんされた。

 丁元雄ていげんゆう(丁宮ていきゅう)殿も劉子高りゅうしこう(劉弘りゅうこう)殿も三公に就いてまだ数ヶ月だ。


 こうもコロコロ三公が変わってしまっては威光も何もあったものではない。


 劉虞りゅうぐにしても太尉たいいに相応しくないとは思わない。だが、張温ちょうおんの先例があるとはいえ、朝廷に出仕せぬままの太尉たいいとは⋯⋯」


 馬日磾ばじつていは胸中を吐き出すように嘆いた。


 三公が大臣最高位と言っても、こうも頻繁に成り手が代わっては威信も衰えてしまう。

 そうなれば当然、変わらないものへと威信が集まっていく。それが宦官かんがんか、それとも、外戚がいせきか。

 馬日磾ばじつていは今朝の議会を振り返りながら、今の状況をうれいた。


 そんな彼の後ろから別の声が轟いた。


馬太尉ばじつてい!」


 まるで鐘の音のようなよく響き渡る声が彼を呼び止めた。


 現れたのは長身の馬日磾ばじつていよりまだ高い八尺二寸(約百八十九センチ)。歳は五十代頃。面長な顔に白髪混じりの長い眉と髭を生やしている。馬日磾ばじつていほど体格はゴツくないが、彼もまた威厳をよく備えた容姿をしていた。


「おお、盧子幹ろしょく殿ではないか」


 彼の名は盧植ろしょくあざな子幹しかん。今は尚書しょうしょの職位にあった。


盧子幹ろしょく殿、私を太尉たいいと他人行儀に呼ばないでいただきたい。知らぬ仲ではないではないですか」


 馬日磾ばじつていは苦笑いして彼に答えた。


 盧植ろしょく馬日磾ばじつていと同様、学者としてもよく知られた人物であった。さらに言えば彼は後漢の著名な大学者・馬融ばゆうの教え子であった。馬日磾ばじつていはこの馬融ばゆう族子おいであり、彼の教えを受けた。言わば二人は同門であった。

 また、二人は過去に後漢の公式な歴史書『漢紀かんき』(『東観漢記とうかんかんき』)の編纂に携わった間柄であった。


「しかし、私は尚書しょうしょ、貴方は太尉たいいだ。


 この場では身分の差を重んじねばならない」


 盧植ろしょく尚書台しょうしょだいに属していた。今回のような議会で決まった内容を改めて文章に起こし、それを官民に伝達するのを役目とする。

 その長官は尚書令しょうしょれい、次官を尚書僕射しょうしょぼくやと言い、盧植ろしょく尚書しょうしょはその次の地位であった。


 また、盧植ろしょくの腰から垂らしているじゅも、馬日磾ばじつてい紫綬しじゅより二つ低い黒綬こくじゅであった。


 だが、盧植ろしょくの言葉に、馬日磾ばじつていは首を横に振って答える。


「順当であれば、あなたの方が先に三公の位に就いていたことでしょう。


 全ては宦官かんがんのせいです」


 かつて、盧植ろしょく黄巾こうきんの乱では討伐の指揮官を務めていた。

 しかし、視察に来た宦官かんがん賄賂わいろを贈らなかったために、投獄とうごくされた。

 それを同僚の皇甫嵩こうほすうの執り成しのおかげで罪を許され、復職した。

 だが、その一件が尾を引き、未だにその地位は尚書しょうしょのままであった。


「全ては陛下が決めたこと。


 私はそれに従うだけだ」


 盧植ろしょくの言葉に馬日磾ばじつていはため息混じりに答えた。


「陛下は英邁えいまいな方だ。


 だが、あまりにも宦官かんがんを信用しすぎている。さらには大将軍かしん宦官かんがんに従っている。


 今や権力は完全に宦官かんがん外戚がいせきに握られてしまっている。

 このような者が陛下の側に蔓延はびこっている限り、良い判断が出来るとは言い難いな」


 そうボヤく馬日磾ばじつてい盧植ろしょくはすぐにたしなめた。


馬翁叔ばじつてい殿、口を慎み給え。何処で誰が聞いているかわからぬぞ」


 盧植ろしょくの顔つきは怒っているようであった。馬日磾ばじつていを心配しての言葉であった。それを察した彼はまたも苦笑して返した。


「貴方だって、その程度のことで口を慎んだりしないでしょう。


 それに私は先ほど、太尉たいいの職を免官になった。今更、気にすることもあるまい」


 その言葉に盧植ろしょくは目をつむってしばし考えたが、目を見開くと再び話し始めた。


「中央では宦官かんがんや外戚が力を持ちすぎた。

 政治をただすべき我ら士大夫したいふは立場が弱くなるばかりだ」


 盧植ろしょくもつい、自身の思いを暴露した。彼もまた内心では宦官かんがんらにいきどおりを感じている一人であった。

 いや、宦官かんがんによって処刑されかけた分、いきどおりはより強いだろう。


 盧植ろしょくの辛酸をよく知っている馬日磾ばじつていは彼の言葉にため息をつき、天を仰いだ。


「中央では官僚の力は弱まり、政治腐敗が進んでいく。その一方で、地方の力を増すような政策ばかりが行われていく。


 果たしてこのくにはどうなるのであろうか……。


 かつての戦国の世のように諸侯が乱立する群雄割拠の時代がこなければよいが……」


 〜〜〜


 督郵とくゆうの一件で安喜県あんきけんを去ることになった劉備りゅうびに同行して、僕・劉星りゅうせい関羽かんう張飛ちょうひはこの後漢の首都・洛陽らくようを目指して進んでいた。


洛陽らくようはこの時代では一番の大都市だという。

 涿県たくけん安喜県あんきけんでは見たこともない文物が揃っている事だろう。


 それだけでも心躍るが、洛陽らくようにはさらに心躍る存在がいる。


 それは“汗血馬かんけつば”、アラブ種の馬がいるという。

 アラブ馬は未来のサラブレッドの原種になった馬だ。


 是非ともお目にかかりたい。出来ることなら購入したいが難しいだろうか⋯⋯」


 僕はまだ見ぬアラブ馬に胸を躍らせていた。


 しかし、楽しいことばかりではない。心配の種もある。


 僕は未来からきた転生者だ。

 だから、この先どうなるかも知っている。


 この先、洛陽らくようは魔王・董卓とうたくによって支配される。

 その魔王打倒に立ち上がった曹操そうそうら反董卓とうたく連合軍と大規模な戦争に発展。連合軍にあがない難いと判断した董卓とうたくは首都を長安ちょうあんへ移してしまう。

 そして、華の都・洛陽らくよう董卓とうたくによって燃やされて灰になってしまう⋯⋯。


「出来ることなら、この董卓とうたくに関わりたくはない。


 まだ、董卓とうたくが政権を取ってはいないようだ。後、どのくらいの時間が残されているのか分かれば良いんだが。


 今がいつなのか確認出来ればなぁ⋯⋯」


 これが目下の悩みだ。董卓とうたくの乱が発生するまでのタイムリミットを知りたい。


 今が何年か分かればまだ対策の取りようがあるが、それには別の問題がある。


劉備りゅうび、今何年だっけ?」


「今は中平ちゅうへい六年だな」


 これなんだよ!

 わかんないんだよ、年号で言われてもさ!

 なんで西暦じゃないんだよ!


「年号もちゃんと覚えておくべきだったなぁ⋯⋯。


 督郵とくゆうの事件から期間が空いていたように覚えてるんだが、はっきりとは覚えてないし。


 何事も無いと良いな」


 一抹の不安を抱え、僕らは洛陽らくようへの道を急いだ。


《続く》

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